復讐心が芽生えぬ方法
悩みがとても膨大なのですが、その中でも急速に解決したい問題のひとつである「復讐心」について相談させてください。
複雑かつ長くなるので、経緯は省かせて頂きますが、元彼(今も連絡は取り合うけれど向こうに気持ちはなさそう)への復讐心が止められなくなりそうなときがあります。彼は悪い人ではありません。
その復讐心はふとしたきっかけで起こります。
例えば、スーツ姿の人を見かけたり、街中でカップルを見かけたり、1人でご飯を食べていて寂しさを感じたとき、幸せだった頃にふたりで行った場所へ行ったときなど、日常に転がっている小さな小さなきっかけが、大きな炎を燃やすんです。
なんとかこの復讐心を抑えようと、臨床心理の本を読んだり、カウンセリングに通ったり、仕事以外のほぼすべての時間を費やして、努力しています。
復讐心は他者に責任がある考えからくるものだということも学びました。
これは紛れもなく自分自身の為の努力にも関わらず、怒りのスイッチが入ると、なぜわたしだけがこんなに苦しい思いをしているんだ!あいつは今頃のほほんと楽しんでいるのに…と湧き上がる怒りに心は汚染され、どうやって相手を苦しめようかばかり考えてしまいます。
ささいなことから、犯罪に至ることまで頭の中は相手を苦めるアイデア、でいっぱいになります。
この、「復讐心」が浮かばないようにすることは可能なのでしょうか?それとも、この復讐心とこの先ずっと付き合っていかなければならないのでしょうか?
復讐心をありのまま受け入れて、流す。なども考えたのですが、自分がとても嫌な人間に思えて仕方ありません。わたしはよりよい人間でありたいです。
どうか、『復讐心が一生芽生えぬ方法』を教えてください。
下記実践済み
・忙しくする
・とにかく寝まくる
・相手の幸せを考える
・自己責任自己責任…と唱える
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分で獲得する
お坊さんに人生相談すれば悩みが解決する知恵を授かることが出来れば人生は楽でいいですが、他人が決めてくれた人生を生きるなんて本当は誰もしたくないんですね。何事も人間は自分が獲得してはじめて自分のものになります。このサイトで相談される方も、お坊さんに手助けされて救われるのではなく、自分で納得できる問題解決の手段を見つけるヒントぐらいを受け取るんです。他人の言われるままに生きたくないから苦しむんです。
あなたもいろいろ考える人のようですから、ご自分を離れた位置から眺めてご覧ください。あなたの書かれた相談をあなたが他人の目で眺めて、お坊さんの気持ちになってあなたならどう回答するのがいいか考えて模範回答を書いてみて下さい。
自分の性格の美点も欠点も一番知ってるのはあなたですから、回答を書けるはずです。自己を客観視することができれば復讐なんていう次元の低い頭の悪い人間の言うようなことから卒業できますね。実践のなかにメタ認識する、というのを加えてやってみて下さい。
忍辱の実践と無知を憎んで人を憎まず
マツコ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
元彼に悪い罪、非が特にあるというわけではないような感じなのかもしれませんが・・
「復讐心」を無くすには、耐え忍ぶという忍辱の実践が、仏教的な対治の基本にはなります。
「感興の言葉・ウダーナヴァルガ」(中村元氏訳)・岩波文庫・第14章・「憎しみ」から・・
「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。」
「怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は怨みをつくらない。」
また、更に仏教では、恨みを持ってしまっている、その者に対して、忍耐してその怨みを無くすことだけではなく、煩悩、無知(根本的な無知)によりそんなことをしてしまう者を憐れみ、何とかして助けてあげたいという慈悲も掛けてあげることをお勧め申し上げる次第となります。
とにかく、「罪を憎んで人を憎まず」で、無知がその人に悪さをさせてしまっているのであります。無知は、悪いウイルスのようなものです。無知こそが真なる憎むべき敵なのです。悪いウイルスに負けて熱に苦しみ悶えているようなものです。
どうしても復讐心が芽生えてきてしまうようであれば、何とかして無知による愚かなことへの憐れみと共に、その者を救ってあげたいという慈悲の思いも掛けてあげてみて下さいませ。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
ただひたすらに
拝読させて頂きました。その様な心はおこりますね。以前私もそのように思い呪いました。
お寺にお参りなさってください。うちのお寺でも良いと思います。
そして仏様にお向き合いなさってください。
そしてただひたすらに木魚をたたきお念仏おとなえなさってください。
なむあみだぶつ、とただ一向におねんぶつなさってください。
必ずやあなたの心の焔は和らいで参ります。
そしていつの日かすっかりと消え去る時が参ります。
慈悲を育てる。他のことを考える。
復讐心、怒りはストレスの原因ですから、かなり苦しいでしょうね。
日本テーラワーダ仏教協会のホームページで「慈悲の瞑想」というのがありますので、試してみてはどうでしょうか。
そして、心の中で、復讐心に費やす時間を減らすようにしましょう。
できるだけ素早く、他のことを考えるようにしてください。
ためしに、朝から晩まで1日のうちに、そのことを考えた回数を数えてみましょう。
回数をメモか何かに記録するのです。
心を、復讐心から、記録するという作業に切り替えるのです。
怒りは、自分が怒っていると気付いたら弱まる場合があります。
記録をとることで、自分で自分に気付けるかもしれません。
質問者からのお礼
山内さん
ご回答ありがとうございます。
自分で考えて、たぶんこれが1番良い方法だというものがひとつだけ見つかりました。しかし継続させて実践することがとても難しいです。結局ふたつほど復讐してしまいました。すっきりしたような罪悪感ような気持ちになり、自分に危険を感じています。
川口さん
教えをありがとうございます。いろいろ本を読んだり勉強はしているのですが、まだまだ足りないということでしょうか。忍耐できずにやってしまいました。もっと忍耐強い人間になりたいです。
Azumaさん
アドバイスありがとうございます。あいにく信仰心というものを持ち合わせておらず、心の底から救いを求めて念仏を唱えることはわたしには難しいです。
願誉さん
具体的な解決方法をありがとうございます。
記録すればするほど、憎しみは増幅してしまいました。こんなにも憎かったのか。という具合にどんどん憎しみは増していくばかりです。憎しんで憎しんで1日が終わってしまいます。