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死について

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死について質問です。
今の私にとって死とは、必ず行き着く先であるからこそ、明日すら計り知れない今を頑張る源となっているように思います。
小学生の頃はずっと死にたくないと思っていたのに対し、大学時代は死にたいけれど自分から死ぬ勇気はない、そんなことで周りに迷惑もかけたくないと思っていました。
また一度だけどうしようもない気持ちがいっぱいで手で首を締めた時、少しの吐血で非常に驚き、やっぱり自分から積極的に死を選ぶことはできないと実感しました。
そうして死の捉え方が変わっていきながらも、今は明日死んでも、五十年以上後に死ぬことになっても、いつでも悔いなく安らかに眠れるような気がしています。
一方で医療職に就き人の命を救う立場でありながら、このような死の捉え方をしていることには、どこか自分や他人に嘘をついている気がしてしまうこともあります。
お坊さんがたは、お葬式などで死者を弔う役目を果たされながら、死をどのように捉えておられますでしょうか?
どうぞお聞かせ頂ければと思います。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ありのままに生きて下さい

過去の質問を拝読させていただきましたが、梅雨生まれさんは、いろんな思考をめぐらした結果、死について深く考えておられる今があるんだと、私は思います。
それにしても、血を吐くまでご自身の首を絞められるなんて、すさまじい体験をされましたね。
私は思うんですが、、、
自身の首を絞められるのは、いけない行為だと思いますが、自殺はやっぱり無理だ、積極的に死を選ぶことはできないと理解できた点に於いては、よかったんじゃないかと思いました。

さて、死についてですが、僧侶という立場にあることで、葬儀などを通して「人間は必ず死ぬな」と考えさせられます。
お葬儀では、滞りなくお勤めを行わせていただくことを一番に導師をさせていただいておりますが、、、
ただ、自分のことになると、溺死、焼死、ある一定時間恐怖を味わいながらの飛行機事故死など、苦しんで死ぬのはまっぴらごめんだと考えますし、大好きな母の死、家族の死、親友の死、直面した時、取り乱してしまうかもしれない。
と、人間海老原はことあるごとに、想いを巡らせます。

梅雨生まれさんは、医療職に就き人の命を救う立場でありながら、、、
とお考えのようですが、病でつらい思いをされている方を、救われていることは事実です。
ありのままに生きて下さればいいなと、私は思います。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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まあ、生きていきましょうよ…皆でご一緒に。

 すみません …「死をどのように捉えているか」などという高尚な問いに、とても回答出来ないのにキーボードをたたき始めてしまいました。
 死がどういうことか…私はまだ死んでない、経験していないので分かりません。また分かった時には、死とはこういうことなんだよ!と、あなたに伝える手段を失っています。
 だから、世の誰も死の実態を知らないのです。そして知らないことは不安です。とても怖い…でも私もあなたも間違いなく死んでいかなくてはなりません。
 あなたが今、死について思いを巡らせておられるのは、死そのものに対する興味や意識からではなく、今の生きておられる状態に苦しみを感じておられるからではないでしょうか。この苦悩の生を逃れる道がもしかしたら死にあるのじゃないか…と。勝手な憶測で、間違えていたらすみません。
 いくら考えても死については分かりませんし、死の直前の自らの気持ちにしても「いつでも自分の意志で生に戻ることの出来る状態での死に望む、死に至る真似事をやってみた」時の私の気持ちに過ぎません。
 死の苦しみ、恐怖からは多分どうあっても逃れられないのだと思います…悟りをひらく以外には。
 ならば、生きていきましょう…死ぬまで…。
 それしかありません。皆が苦悩抱えて、「もう~イヤだ」と叫びながら生きています。私もその一人です。
 ご一緒に安心して苦悩の生活しましょう。そしてこの命終わる時に仏様のおはたらきでご一緒に仏様のお仲間に入れて頂きましょう。
 全く回答になって無くてすみません。でもこの問いに気の効いた回答なんて出来ないし、いらないんだと思ったのです…。

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おきもち

死ぬこと

マイナスの意味でなく、いつ死んでもいいと思える生き方は素晴らしいと思います。
生きるという事が明らかになっているという事です。

1秒前の自分すら今はもうなくなり、今の様子のみになっています。綺麗さっぱり無くなっているのに不安もなく、問題もなく過ごせています。死ぬということはそうしたことなのでしょう。
死ぬ前から色々想像しているようなことは全部違うのだと思います。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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死は本当に苦しいですよ

 梅雨生まれさま、御質問の内容を読ませて頂きましたが、お釈迦さまが説かれた四苦八苦の中の死も病気も苦しみですが、死ぬことは本当に苦しみますよ。病気をされて、早く回復すれば病気になった事は後々忘れてしまいますが、大病(がんや白血病)などは完治する病気になりつつありますが、昔は回復が難しくて本当に死を迎えるまで苦しまれました。自殺などで亡くなられる方も多いですが、自殺によって周りの方々に迷惑をかけるという事になります。梅雨生まれさまも死という事を考えずにありのままで、「おかげさま」「おたがいさま」という気持ちを持って下さい。合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

堅田正樹様
ご回答有り難うございます。
死ぬことは本当に苦しいのですね。
ふとした時につい、何のために生きているのだろうと考えてしまい、その流れでいつも死について思い巡らせてしまうのですが、今の暮らしや周りに感謝していれば、そんな思いはきっと自然と薄らいでいくのですよね。
きちんと今に向き合って、自分を支えてくれている沢山の方々に感謝しながら、過ごしていきたいと思います。

小林 覚城様
ご回答有り難うございます。
仰る通り、今を逃れる道として死について思い巡らしてしまいます。
今や将来に対して不安が強くても、いつかはそこから抜け出せるんだと言い聞かせることで、今を頑張れる気がしてしまうのです。
毎日毎日周りの人様に迷惑掛けて、自分が期待通りになれないことに落胆していますが、誰もが皆苦悩を抱きながら過ごされているのですよね。
よくよく考えてみれば、自分の苦悩なんて小さ過ぎるほど、私は恵まれた環境で過ごさせて貰っているのだなと再認識できました。
私も誰かの苦悩を少しでも癒せるように、これからも精進して参りたいと思います。

邦元様
ご回答有り難うございます。
時が過ぎるとともに自分も周りも変化しており、昨日の自分が別人のように思えることもあります。
死というのもそういうものなのですね。
大人になっていくとともに、周りの変化に応じて適応していく機会が増えますが、過去を振り返ると実は想像以上に月日はゆったりと進んでいることに気づかされます。
あれこれと先を思い巡らしてしまいがちですが、全て変化していくのだから、未来は全て想像と違って当然なのですね。
もっと今を大切に、誠実に向き合って生きていこうと思いました。
未来も今も、周りも自分も、真摯に受け止めながら過ごしていきたいです。

海老原 学善様
ご回答有り難うございます。
通勤中など独りの時間に自然と色んな思考が沸いてきて、その末に死について考えを巡らせております。
自分にも他人にもあまり嘘はつけない性格で、時に我が儘過ぎるほどありのままに生きているのですが、その不器用で融通の利かない部分だけは、いつまでもどうしても赦せずにいます。
誰だって自分の嫌な部分はあるでしょうから、そこさえ赦すことができれば、もっと誠実にポジティブに向き合って生きていけるのでしょうが。。
24年も生きてきて自分のことはよく分かっているつもりなのに、やはり期待外れな自分に出会す度に、自分を受け入れられずに落胆したり逃げてしまいたくなったりします。
自然と自分の内面のことばかり気にしてしまう癖があるのですが、もっと外に目を向けて、お互い様だと思い支え合い感謝しながら生きていければ、恐らく善い道が拓けるのでしょうね。
そう至るまでにまだ時間は掛かりそうですが、長い人生の中で焦らずに成長していきたいと思います。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ