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死について

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有り難し有り難し 46

死について質問です。
今の私にとって死とは、必ず行き着く先であるからこそ、明日すら計り知れない今を頑張る源となっているように思います。
小学生の頃はずっと死にたくないと思っていたのに対し、大学時代は死にたいけれど自分から死ぬ勇気はない、そんなことで周りに迷惑もかけたくないと思っていました。
また一度だけどうしようもない気持ちがいっぱいで手で首を締めた時、少しの吐血で非常に驚き、やっぱり自分から積極的に死を選ぶことはできないと実感しました。
そうして死の捉え方が変わっていきながらも、今は明日死んでも、五十年以上後に死ぬことになっても、いつでも悔いなく安らかに眠れるような気がしています。
一方で医療職に就き人の命を救う立場でありながら、このような死の捉え方をしていることには、どこか自分や他人に嘘をついている気がしてしまうこともあります。
お坊さんがたは、お葬式などで死者を弔う役目を果たされながら、死をどのように捉えておられますでしょうか?
どうぞお聞かせ頂ければと思います。
宜しくお願い致します。

2016年10月22日 2:20

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ありのままに生きて下さい

過去の質問を拝読させていただきましたが、梅雨生まれさんは、いろんな思考をめぐらした結果、死について深く考えておられる今があるんだと、私は思います。
それにしても、血を吐くまでご自身の首を絞められるなんて、すさまじい体験をされましたね。
私は思うんですが、、、
自身の首を絞められるのは、いけない行為だと思いますが、自殺はやっぱり無理だ、積極的に死を選ぶことはできないと理解できた点に於いては、よかったんじゃないかと思いました。

さて、死についてですが、僧侶という立場にあることで、葬儀などを通して「人間は必ず死ぬな」と考えさせられます。
お葬儀では、滞りなくお勤めを行わせていただくことを一番に導師をさせていただいておりますが、、、
ただ、自分のことになると、溺死、焼死、ある一定時間恐怖を味わいながらの飛行機事故死など、苦しんで死ぬのはまっぴらごめんだと考えますし、大好きな母の死、家族の死、親友の死、直面した時、取り乱してしまうかもしれない。
と、人間海老原はことあるごとに、想いを巡らせます。

梅雨生まれさんは、医療職に就き人の命を救う立場でありながら、、、
とお考えのようですが、病でつらい思いをされている方を、救われていることは事実です。
ありのままに生きて下さればいいなと、私は思います。

2016年10月22日 14:37
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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...

まあ、生きていきましょうよ…皆でご一緒に。

 すみません …「死をどのように捉えているか」などという高尚な問いに、とても回答出来ないのにキーボードをたたき始めてしまいました。
 死がどういうことか…私はまだ死んでない、経験していないので分かりません。また分かった時には、死とはこういうことなんだよ!と、あなたに伝える手段を失っています。
 だから、世の誰も死の実態を知らないのです。そして知らないことは不安です。とても怖い…でも私もあなたも間違いなく死んでいかなくてはなりません。
 あなたが今、死について思いを巡らせておられるのは、死そのものに対する興味や意識からではなく、今の生きておられる状態に苦しみを感じておられるからではないでしょうか。この苦悩の生を逃れる道がもしかしたら死にあるのじゃないか…と。勝手な憶測で、間違えていたらすみません。
 いくら考えても死については分かりませんし、死の直前の自らの気持ちにしても「いつでも自分の意志で生に戻ることの出来る状態での死に望む、死に至る真似事をやってみた」時の私の気持ちに過ぎません。
 死の苦しみ、恐怖からは多分どうあっても逃れられないのだと思います…悟りをひらく以外には。
 ならば、生きていきましょう…死ぬまで…。
 それしかありません。皆が苦悩抱えて、「もう~イヤだ」と叫びながら生きています。私もその一人です。
 ご一緒に安心して苦悩の生活しましょう。そしてこの命終わる時に仏様のおはたらきでご一緒に仏様のお仲間に入れて頂きましょう。
 全く回答になって無くてすみません。でもこの問いに気の効いた回答なんて出来ないし、いらないんだと思ったのです…。

2016年10月22日 9:53
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有り難し
おきもち

千葉県市原市にある浄土真宗本願寺派  弘教寺の住職です。 当方 都市開教...

死ぬこと

マイナスの意味でなく、いつ死んでもいいと思える生き方は素晴らしいと思います。
生きるという事が明らかになっているという事です。

1秒前の自分すら今はもうなくなり、今の様子のみになっています。綺麗さっぱり無くなっているのに不安もなく、問題もなく過ごせています。死ぬということはそうしたことなのでしょう。
死ぬ前から色々想像しているようなことは全部違うのだと思います。

2016年10月22日 11:31
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有り難し
おきもち

死は本当に苦しいですよ

 梅雨生まれさま、御質問の内容を読ませて頂きましたが、お釈迦さまが説かれた四苦八苦の中の死も病気も苦しみですが、死ぬことは本当に苦しみますよ。病気をされて、早く回復すれば病気になった事は後々忘れてしまいますが、大病(がんや白血病)などは完治する病気になりつつありますが、昔は回復が難しくて本当に死を迎えるまで苦しまれました。自殺などで亡くなられる方も多いですが、自殺によって周りの方々に迷惑をかけるという事になります。梅雨生まれさまも死という事を考えずにありのままで、「おかげさま」「おたがいさま」という気持ちを持って下さい。合掌

2016年10月22日 9:42
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有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。

質問者からのお礼

堅田正樹様
ご回答有り難うございます。
死ぬことは本当に苦しいのですね。
ふとした時につい、何のために生きているのだろうと考えてしまい、その流れでいつも死について思い巡らせてしまうのですが、今の暮らしや周りに感謝していれば、そんな思いはきっと自然と薄らいでいくのですよね。
きちんと今に向き合って、自分を支えてくれている沢山の方々に感謝しながら、過ごしていきたいと思います。

小林 覚城様
ご回答有り難うございます。
仰る通り、今を逃れる道として死について思い巡らしてしまいます。
今や将来に対して不安が強くても、いつかはそこから抜け出せるんだと言い聞かせることで、今を頑張れる気がしてしまうのです。
毎日毎日周りの人様に迷惑掛けて、自分が期待通りになれないことに落胆していますが、誰もが皆苦悩を抱きながら過ごされているのですよね。
よくよく考えてみれば、自分の苦悩なんて小さ過ぎるほど、私は恵まれた環境で過ごさせて貰っているのだなと再認識できました。
私も誰かの苦悩を少しでも癒せるように、これからも精進して参りたいと思います。

邦元様
ご回答有り難うございます。
時が過ぎるとともに自分も周りも変化しており、昨日の自分が別人のように思えることもあります。
死というのもそういうものなのですね。
大人になっていくとともに、周りの変化に応じて適応していく機会が増えますが、過去を振り返ると実は想像以上に月日はゆったりと進んでいることに気づかされます。
あれこれと先を思い巡らしてしまいがちですが、全て変化していくのだから、未来は全て想像と違って当然なのですね。
もっと今を大切に、誠実に向き合って生きていこうと思いました。
未来も今も、周りも自分も、真摯に受け止めながら過ごしていきたいです。

海老原 学善様
ご回答有り難うございます。
通勤中など独りの時間に自然と色んな思考が沸いてきて、その末に死について考えを巡らせております。
自分にも他人にもあまり嘘はつけない性格で、時に我が儘過ぎるほどありのままに生きているのですが、その不器用で融通の利かない部分だけは、いつまでもどうしても赦せずにいます。
誰だって自分の嫌な部分はあるでしょうから、そこさえ赦すことができれば、もっと誠実にポジティブに向き合って生きていけるのでしょうが。。
24年も生きてきて自分のことはよく分かっているつもりなのに、やはり期待外れな自分に出会す度に、自分を受け入れられずに落胆したり逃げてしまいたくなったりします。
自然と自分の内面のことばかり気にしてしまう癖があるのですが、もっと外に目を向けて、お互い様だと思い支え合い感謝しながら生きていければ、恐らく善い道が拓けるのでしょうね。
そう至るまでにまだ時間は掛かりそうですが、長い人生の中で焦らずに成長していきたいと思います。

「死について」問答一覧

なぜ死を選ぶ事は悪とされるのでしょうか。

私は幼い頃から両親に愛情をもらえませんでした。優しい顔をする反面、親同士は毎晩毎晩、口を開けば私の養育費や世話をどちらがするか揉めていました。 鍵っ子だったので一人でいる時が逃げ場でした。 学校でもうまく馴染めず生きづらさを感じ、中学高校では軽く虐められたりキモいブス死ねなど頻繁に言われてきました。 後に生きづらさはADHDから来ていたものだとわかりました。 逃げ道としてバンドの夢を追いかけましたがメンバーからもずっと役立たずや死ねなど罵詈雑言の嵐。それでも夢の為に頑張りましたが裏切られ解散。 首を吊ろうとしましたがあと一歩踏み出せませんでした。お前はどうせ勇気がないから死ねないと言われた事をとても覚えています。 当時結婚を考えていた人にも浮気され何も持たない日々を今送っています。 どうせ死にたいのだからメメントモリよろしく、いつ死んでもいいようにと夢に向かって生きました。 夢は潰えましたがやりたい事をやり切った気持ちもあります。 今は朝日を浴びても美味しい物を食べても異性の温もりに抱かれても何も喜びを感じません。なぜ生きているのかわからず何も生産性の無い自分に生きてる意味も価値も見出せません。早くお迎えがきて欲しいと、苦しんでは息を吸い、絶望しては息を吐きます。 皆一様に、人は好きに生きる権利があると謳うのになぜ人は好きに死ぬ権利はないのでしょうか。 安楽死制度のようなもので死にたい時に幸せに死ねるほうがいいと思います。 死にたい事が苦しいのではないのです。 死にたい日々に終わりが見えない事が苦しいのです。 誰かの為に生きる事が喜びと言う人もいますが、それは強者の為に弱者の命が薪のように焚べられているだけで それを使命と呼べる人はいいでしょうが私には思えません。 私より優れた人はたくさんいて私より必要とされる人もたくさんいる。 友と呼べる人もなく、心許せる人もいない私には人生全うしたと心から思える歌に安らかに死ぬ事こそが幸せです。 もがき苦しみ泣きながら死ぬ必要などあるのでしょうか? 心の底から自ら死んでいった人達を悼みます。 一刻も早く安楽死制度を作るべきだと思います。生きたい人が笑顔で生き、死にたい人が安心して死ねる社会を望む事はおかしいでしょうか?

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

幸せなはずなのにいつも死にたいです

はじめまして。私は幸せなはずなのに、なにをしていても常に死んでしまいたい気持ちでいます。 私にはたくさん友達がいて、仲の良い家族がいて、かわいい犬もいます。 大学生なのですが、アルバイトやボランティアと両立し、自分で言うのもどうかと思いますが成績も良く、充実しているはずです。 不満は1つもないです。 しかし、いつも死ぬことを考えてしまいます。 朝、目が覚めるとがっかりします。電車のホームで急行列車を見ると飛び込んだらどうなるだろうと思います。どのくらい食事を取らなかったら動けなくなるんだろうと考えながらご飯を食べます。 家族や友達と楽しく過ごしている時に、ふと私が居なくなったらどんなふうだろうと思います。 いつからこんなふうに考えるようになったのか、もう思い出せません。 私は優しくしてくれる人がたくさんいて幸せです。もし死んでしまったら多くの人が悲しむというのもわかっています。 それだというのに、ずっと死にたいのはどうしてでしょうか。 私は周りの人に感謝して生きるべきですが、どうしても死にたいです。 この気持ちを消すことはもうできないのではないかと自分では思っていますが、死にたいと思っていても、その気持ちと一緒に生きていくことはできるでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

孤独死を迎えるにあたって

お世話になっております。 以前、「自業自得の孤独を乗り切る方法」という内容でご相談した者です。 あれから丸一年、就業先を自分なりに探してみましたがやはり現実は厳しく、現在も無職かつ貯蓄も底を尽きそうな日々を過ごしております。 本日お伺いしたいのは 「孤独死」が確定した中で「今生での生活」を営む事すら金銭的に厳しくなる中どうしたら、せめて心穏やかに旅立てるのか、です。 行政、各所支援団体含め当たった上でも 「生(活)」する為の資金は得られず、かと言って自死する勇気もなく、だらだらと毎日息をする日々。待っているのは老いと病→いつかどこかで物理的に腐敗し、発見されて、最上の弔いがあった所で無縁仏です。 死ぬ瞬間はいつ、どこで来るかわかりませんし、死後の世界も未知の中、 【質問】 ・どう思って生きれば、死の瞬間を穏やかに迎えられるのか(物理的苦痛少なくの意味) ・今生で「ただ息をして今日を生きる(現実的にそうするしかない状況)」に意味はあるのか、あるならば何が出来るのか ・死に方により、死後の世界?は変わるのか ※各宗派により見解異なるかと思いますが、少しでも苦痛少なく、今生を終えられたら、と思います。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

老化、病、安楽死、尊厳死

啖呵切ってハスノハとはお別れ宣言したのに出戻りですみません 結局私はここでしか辛い苦しみと悲しみを吐き出せません どうして死んではいけないのですか。 自殺率世界一位、幸福指数世界最低のこの国で、どうして死は許されないのですか 生きたかった筈の生命の中絶ですら許されているのに 命に別状がない程度の、だけど治りやしない病を永遠に抱えていく人生で、辛くて辛くて死にたいです もう体は勿論心も痛くて辛くて死にたいのです。生きてきた間、こんなにも辛い思いをしているのですから、せめて最後は安らかに死にたいです。もうあらゆる事から許されたいです 私は医者が大嫌いです それでも今日、耐え難い痛みに苛まれて病んだので、嫌な気持ちを我慢して、病院にいきました 医者は、貴方程度の患者は星の数ほどいると言い、多少の嘲笑も交えて。ろくな内診も診察もせず 医者にすら病の苦しみを理解して貰えず、私は心底悲しみ、生まれてきたことすら後悔しました。介護してくれている親にも申し訳ないです もう何もかもが嫌です。死にたいです。死にたいです 本人は辛くて生きていたくないのに 社会は自殺者に対して非常に厳しく 安楽死に否定的です 自分で命の決着を決める尊厳死の制度の何がいけないんですか 死にたいです。辛いです。毎晩生き恥をさらし心身の苦痛に泣いてます どうしたら良いのかわかりません 死にたいです 大好きな親にそっと息の根を止めてほしいと思ってしまいます もう限界です 答えにくかったら回答は不要です 辛い気持ちを吐き出させて頂きありがとうございました

有り難し有り難し 18
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