子どもを安心して手放すには
この春から息子がかなり遠方の大学に進学しました。
進学が決まってから急に恐ろしくなりました。
もし息子がなにかつらいことがあって悩んでしまったら・・・
そのあげくに命を縮めるようなことがあったら・・・
どうして近いところではなくこんな遠くへやってしまったのか・・・
考えはまとまらないまま半年以上が過ぎました。
私は心を病み心療内科にかかっています。
しかしよくなる気配はありません。
日々息子は無事か、つらい思いをしていないかが気になって仕方ありません。狂ってしまいそうなぐらいです。
20年前に弟を自死でなくしたためか、以前から身の回りの人が死んでしまうのではないかという恐怖がありました。
これまでは理性で抑えていましたが、大切な息子が遠くへ行ってからは強迫観念のように息子のことが気になって気になって、苦しんでいます。
今日も無事に生きているかつらい気持ちになってはいないか・・・。
あのとき近いところを選んでいれば・・・あのとき・・・と、たらればばかり考えて気が狂ってしまいそうです。
大変苦しい毎日を送っています。助けてください。
ずっと子どもを支配しようという気持ちは決してありません。
体に病気を抱えている息子が田舎の不便な不慣れな土地でつらい思いをしないか、生きることがいやにならないかが気になっているのです。
そしてこの選択をしてしまったことを後悔しているのです。
主人は単身赴任で普段は娘と二人きりなので、娘のことも気にかけてあげなければいけないのに、それもできません。
娘のためにもなんとかしなければ・・・と思い相談させていただきました。
どうか助けてください。
お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愛よりも慈悲の心で
はじめまして。
私も同年代で、中学生の娘と息子がいます。
今は一緒に暮らしていますが、彼らもいつか巣立つときが来るのかなぁと考えると、少し寂しい気もしますが、それが自然な流れだと思っているので、特に苦しくなることはありません。
私自身も、12歳で家を出て、県外の禅寺の小僧になった経験があるからかもしれません。
「法句経」という古い経典にこんな言葉があります。
愛するものから憂いが生じ
愛するものから恐れが生じる
愛するものを離れた者は
憂いは無く、もう恐れることもない
ここでの「愛」とは、仏教で言う「渇愛」のことです。
渇愛とは、のどが渇いて死にそうで、水が欲しくてたまらないのだけれど、水を飲んでも飲んでも満足することができず、いつまでも執着し続ける。そんな状態のことです。
あなたを苦しめているもの、それはあなた自身の執着心です。
あなたがくり返す「息子が心配」という言葉、一見、愛情から来るもののようで、実はあなた自身が「自分の思い通りにしたい」という煩悩が見え隠れしています。
自分が安心したいがために、息子さんを自分の思い通りにしたい、だけど遠くに行ってしまって、自分の思い通りにならなくなってしまって、悔しい、さみしい、だから余計に執着してしまう。
その執着が、苦の原因なのです。
あなたと息子さんの間には、親子の絆という深いつながりがあります、けれども、息子さんの人生は息子さんのもの、何もかもあなたの思い通りにはならないものなのだと自覚しましょう。
仏教では「愛」をあまりよいものとは思っていません、利己的な意味合いが含まれているからです。
「愛」よりも「慈悲」の心で、息子さんを応援してあげて下さい。
質問者からのお礼
さっそくのご回答ありがとうございます。
たしかにその通りだと思いました。
病気がちでもあったので普通の親子よりも一緒にいる時間が多く、そのぶんわが子でありながら自分のもののように思っていたところもありました。
この苦しい気持ちも執着心といわれると、その通りだと思いました。
これから始まる子どもの人生は本人のものとして、遠くから見守っていけるように自分の気持ちを変えていきたいと思いました。
わかりやすく教えていただき大変ありがとございました。
これからもつらくなったらこのご回答を思い出して息子を応援していきたいと思います。
私も人間として成長しなければいけませんね。
ありがとうございました。