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人生を、楽しめない

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とにかく、人生を楽しむことが出来ません。常に不安に包まれていて何をしていても楽しくないです。仕事をしていても、このままこの仕事を続けて大丈夫なのかとか、職場の人間関係でも話の輪には入れなかったり他の人たちは、楽しく会話しながら仕事をしているように見えます。自分は、とにかく協調性や社交性が無いです。もっと気楽に人と話せるようになりたいです。なので、なかなか彼女も出来ません。たまに、紹介などしてもらえるのですが長続きしません。一緒に居ると楽しくなさそうと言われてしまいます。女性と居るときも、常に不安に支配されているからです。自分に自身が無いからです。一人で休日を過ごすときなども特にこれといった趣味も無く無駄に時間だけが過ぎていきます。とにかく毎日悩みすぎて疲れます。楽しくないです。どうしたら人生を、前向きに楽しむ事が出来ますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頭の中をまっさらにする

何かが足りないのでは無く
何かが多いのです

考える時間を少なくしましょう
呼吸を整え吸う事と吐く事にだけ集中する時間を持ちましょう。
頭の中を真っ白にしますと
自分がくだらない事を考えてた事に気づく筈です
何度も積み重ねると不思議なもので
それまで気がつかなかった幸せに気がつくようになりますよ

不安は考えて想定する事から始まるのだから
それを止めれば良いのです
余計な心配が無くなると
ただの散歩だって少し楽しくなる

合掌

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有り難し
おきもち

個別相談可能
山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロップアウトするなど金銭的にも苦しみ多面的な貧困を経験。 それらを乗り越えた事は、今では自身を照らす灯り。 色んな社会的活動をしてますが、 自然の中で遊ぶことが大好きで、子供達に体験活動やイベント、木工教室などを催しております。 お寺では草花葬墓地などの永代供養も宗派問わずお迎えしております。

いらない曲はかけるな。サビがショボければすっ飛ばせ。笑

あなたが退屈な時。
たとえるならそれは、CDアルバムで言うと駄作を聴いている時です。
次の曲に飛ばすかCD変えましょう。
なんでツマラン曲いつまでもイヤイヤ聴いちょる必要がありましょか。
自分で選択すればいいのです。
他人まかせ、その場の成り行き任せにしているからいけない。
自分で道を切り開け!ばいいのです。
あなたが5人組のアイドルグループの一人だとします。
嵐やスマップでいうと、あの人みたいな感じで一番人気がなかったとします。
おまけに他のメンバーと仲が良くなかったとします。
一番虐げられているとします。
協調性にも欠け、そこに属していてもそこのルールに縛られていて苦しい。
ひけめ、ヒクツに感じる。
なら脱退すればいい!のです。
脱退して、注目を浴びつつソロデビューしなさい。もしくは引退して、自分の向いている業界デビューしましょう。
周りからの評価や誹謗中傷も無い。気楽に生きればいいのです。
とことんソロ活動をしましょう。
あなたが思っている以上の真のソロ活動!があります。
それが仏道です。
この天地にたった一人しか存在しない。この自身を生きること。
回転ずしでも流れてくるイカもタコも天地にただ一つのネタです。
それを今日、あなただけが世界でただ一人が頂く。口にする。
この回答も、天地に只一人のこの丹下の渾身の回答です。
あなたも天地にただ一人です。
それを実感する。
誰かと比較できないあなただけのあなたを生きればいいのです。
余分な事を考えすぎだと思います。
会わない人とは合わなくていいのです。
あなたにはあなたに会う人がいる。
私は二日前、このhasunohaを通して縁のあった人の結婚式がありました。
知り合いのお坊さんも沢山居ましたが、そんなに仲のイイ人もいませんでしたので、泊まる予定をキャンセルして独りでドローンしてきました。
それが私のとった選択です。
帰りに好きなところへ寄り道して帰りました。一人道、最高。
昨日も私の修行仲間の結婚式でした。
二次会誘われましたが、断りました。
私に対していつも感じ悪い人がいたからです。
「うん、無理してこいつといなくてもいいか。よっしゃ、帰ろう。」それが私の選択です。
自分の人生は自分で生きる!迎合ゼロ!
女性だって本当に合わなけりゃ別れればいい。
本当の自分を生きる!これあるのみ。
自分にウソをついてはダメです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

自分自身を鍛えて、自分らしく生きていこうと思いました。日々出来ることを少しづつ努力していこうと思います。ありがとうございました。まずは、行動あるのみですね。

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