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今死ぬか歳をとって死ぬか

回答数回答 2
有り難し有り難し 33

今の暮らしにこれといって不満はないのですが、結婚や親の介護、自身の老後を考えると不安ばかりです。

自身が歳をとって介護が必要になる前に死ねれば安心なのですが、人に迷惑をかけてまで生きたいとも思えないですし、その頃には自殺をすることもできないだろうと思うと早いうちにしてしまってもいいのかとよく考えます。

家族や友人達のことを考えると思い止まってしまうのですが、いつか訪れる彼らの死を考えると耐えられないだろうし、その前に死んでおきたい気もします。

3年ほど前に仕事をきっかけに鬱になり自殺しようとしたこともありますが、結局勇気もなく途中でやめてしまったりでこれまで何となく生きてきました。
付き合っている彼とは結婚も考えてもいますが、このように考えているような人間が結婚なんてしていいのかとも思います。

このまま生きて親になったとしても、子供にこのような思考が影響するのではないか、自殺を考えるような人が親になっていいのか、考えても結論が出ません。

文章がまとまらず申し訳ありませんが、他の誰にも相談できず悶々としていたところ、こちらを見つけ相談させていただきました。
ご教授のほどよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫です。そのペダルをこぐのをやめるだけでいいのです。

まず、ものの根本から。
【そのことが始まっていないのに、今から「きっと、たぶん、どうせ、こうに違いないだろう」とネガティブな想定をして、決めてかかる】ことをしていませんか。これは人生苦しくなるだけ。朝起きた途端に眼に玉ねぎのしぼり汁を入れるようなもの。やめにしませんか?
たぶん、あなたの問題はココです。
今起こっていないことをあらかじめネガティブ分断しちゃうことではないでチョウか。('◇')ゞ
わたしにもそういうこといっぱいありました。
それが多ければ多いほど、未来に希望が持てなくなるのです。
未来に希望があっても無くても、今から体験する実生活は私たちのあらかじめの思っていることや、予想していることとはまるで別物。まるで別物。全く別物なのです!ココ大事です。
ついつい、まだ、その事が始まってないのに、あらかじめ悪いことだ、悪いことに違いないと思い込んでいませんか?
それって、わるいかんがえですから、その考え自体が自分を一番苦しめる思いなのです。
「未来なんてどうせつまんないや」という思いそれ自体が毒性を持っているという意味です。
つまり、あなたを一番苦しめているのは、これから先に怒る未来ではなく、今あなたが考えている負の思いこそが自分を苦しめている真犯人です。
もう一度申し上げます。
あなたを一番苦しめているのは、あなた自身が物事を【悪く・暗く】考えてしまう、負の想念ペダルをこぎ続けていることなのです。
物事の解決の仕方は、考えればよいという事ばかりではありません。
その負の想念を離れたければ、それをやめることです。
止めるコツを知りたいと思うようになったら坐禅会にお越し頂きお話をお聴き頂ければ人生が変わっていくます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

もったいない

あなたを産むとき、お母さんは命がけであなたを産みました。
あなたを育むために、たくさんの人が関わりました。
あなたが生まれてから今日まで、たくさんの命を食物として取り込んできました。

いま、あなたがそこに居るのは、目には見えないたくさんの命のおかげさま。

それをこの命は自分だけのものだと、自分の自由にしてよいというのは思い違いですよ。
大切にしてください。
あなたの命は、数え切れないほどたくさんの命の、ご縁のたまものなのです。
大切にしてください。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

質問者からのお礼

林様
丹下様

ご回答くださりありがとうございます。

命が自分だけのものではないこと、ネガティブな考えが苦しみの原因であること、どちらもなるほどと思ったと共に、考えを改めていかなくてはと思いました。

少しずつ明るく考えれるように、自分の死について考えない日を過ごせるようになりたいです。

本当にありがとうございました。

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