自分に自信がない
過去のつらい思いを思い出してしまいます。
そして今の心の状態にも響き、辛く感じてしまいます。
人間関係の悩みです。
僕は人間関係ができる幼稚園のときからいじめなどを受けやすく、中学まで続きました。
まず、とにかく悪口はよく言われました。
幼稚園の時には暴力振るわれたり、小学校の時には、幼稚園のときとは違う人からも意地悪を受けてきました。一番キツかったのは、クラスの多くの人からキモいだのやってもない噂をたてられたりだの、また仲間外れにされたりしてきました。中学ではいじめというほどではないものの、不快なこと、例えが被りますが考えてもいないうわさを流されたりしてきました。
また、そういう人だったので、あまり人と話すことができず、いつも孤立してばかりな感じでした。
本題ですが、いじめによって、人から認められることがなく、自分のプライドとか自信をずっと否定され続けられたために、自分に自信がありません。高校に入って、意地悪はなくなり、高校生活を純粋に楽しいと感じれて幸せなのですが、一方で心に余裕ができたせいか、中学までの辛いことを思い出してしまうことも多くなりました。それを考えるたびに、心にトゲが突き刺さるようで辛いです。忘れられないのです。どうすれば辛さが軽くなるのか、それは自分に自信を持つことではないかと考えるようになりました。
今の自分に自信を持てるようになれば、過去のことを気にせず今と将来のことに全力になれると考えました。
では、どうすれば自信が持てるようになるか考えました。そして、もっと他の人に自分のことを認めてもらいたいと思うようになりました。
これは、いじめられていたころ、自分自身で自分のことを認めようとして、他人に自分のことを自慢した結果、バカにされたからです。これ以来、自分自身で自分のことを認められなくなりました。だから、他人から認めてもらいたい、褒められたい欲求が強まりました。また、勉強や部活、人間関係をよくする努力はしているのですが、最近は勉強や部活で成果は出ず、また人間関係でも頑張っている割りに人との距離感をしまうことが多いです。
あと、上に書いてあることが原因で、精神的に負担ができて、つまり頑張っているのに成果が出なかったりして、心が疲れている気がします。なので、その疲れから解放されたいとよく思います。
これらの解決策について、助言お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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良い生き方に矛盾はありません
拝
私もいじめられて中学でドロップアウトしたから見返してやりたい気持ちは解る。ひじょーにわかるよ。だけど「忘れたい」という気持ちと「見返すために頑張っている」行動に絶対的矛盾がある。忘れたいなら自分のために頑張るべきだと拙僧は感じました。
良い生き方に矛盾はありません
合掌