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身内の死を幼児に伝えるには?

回答数回答 5
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昨日義父が亡くなり、本日お通夜です。
3歳(幼稚園年少)の息子にどのように説明すれば良いか悩んでおります。
夫の実家へは月に何度か行っておりましたし、一緒に旅行もしたりと息子にとってじじは身近な存在で大好きだったと思います。
祖父は自宅で病気療養中でしたので、具合が悪そうな姿も見ていますし、亡くなる前日も会っています。
あまりオブラートに包み過ぎた説明もどうなのかなと思いますが、お通夜や告別式でびっくりさせたくもないので、息子なりに祖父の死と言うものを納得できるような説明をアドバイスお願いします。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

じじの、いのちの授業

おさかなさま
今夜がお通夜との事ですので、取り急ぎお返事をさせて頂きます。

お通夜ご葬儀の場に、小さな子がいることは多々あります。3歳ぐらいですと、普段会えない人たちに会ってハイテンションになり、笑い転げる場合もありますが、お叱りになりませぬよう。
(まれに、雰囲気を感じ取って静かにしている子もいますが)

いずれにしても、「人の死」をハッキリとは理解できないと思います。
けれど、親戚が集まり、いつもと違う雰囲気を感じとり、普段泣かない大人が涙を流す姿を見ることは、心の成長にとって大切なことだと思います。

また、療養中の姿を見て、亡くなる前日にも会っているとの事ですので、おっしゃる通り隠し過ぎずに伝えてあげて下さい。可能であれば、お骨上げも立ち会わせて頂ければ、と思います。

なんと伝えるか、ですが、私だったら「じじは、ほとけさまのお国に行ったんだよ。もう遊んでもらったり話したりは出来ないけど、ずっと◎◎ちゃんの事を心配して見ていてくれるからね」と言うでしょうか。

お義父さんの、いのちの授業です。
お子さんだけでなく、皆さまでお受け止め下さい。

参考までに…
『佛さまのお國』 金子みすゞ

おなじところへゆくのなら、
み佛さまはだれよりか、
わたくしたちがお好きなの。

あんないい子の花たちや、
みんなにいい唄きかせてて、
鐵砲で射たれる鳥たちと、
おなじところへゆくのなら。

ちがふところへゆくのなら、
わたくしたちの行くとこは、
一ばんひくいとこなのよ。

一ばんひくいとこだつて、
私たちには行けないの。

それは支那より遠いから、
それは、星より高いから。

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

その場で感じさせることが一番

最初から無理にお子さんに納得させようとせず、現場そのものの空気を感じさせるのが一番良いのではないでしょうか。
もっと大切なことは親が亡き方にしっかりと寄り添い、心を傾け一生懸命にご供養の真心をあらわにすることです。
ついついお子さんのことが優先になり、お別れよりもお子さんの面倒見が中心になろうかと思われますが、今夜のお通夜、明日の告別式と、ご夫婦揃って亡くなられた方へしっかり向き合うことが良いと思います。それだけで何となく、雰囲気を子供さんなりに察するのではないでしょうか。

もし「じじはどうしたの?」「どこへ行ったの?」とお尋ねになられたら、お子様が納得いかれるまで、素直に向き合ってお伝えになられればよろしいかと思います。
人が亡くなる事をお子さま向きに言い換えると、
・ご先祖様の所に帰った・仏様の世界で生まれた・お星様になった・極楽浄土へ旅立たれた・すでに亡くなられた方のところへ逝かれた・仏様がお迎えになったなどと、お伝えするのも良いかと思います。
ですが、やがて多感なお年頃になられて、説明を求められた時にきちんと答えられるように、「死とはどういうことなのか」を曖昧にせず、親御さん方が正しく理解しておく必要があると思います。
きちんと正しく真実を伝えることで、死に対する憂い、恐れがなくなる事でありましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

死生教育

おさかな様へ
改めまして、この度は御義父様のご逝去、誠にお悔やみを申し上げます。心からご冥福をお祈り申し上げます。
その後いかがでしょうか。
回答が遅くなりまして、参考程度に見ていただけましたら光栄でございます。

3歳にもなればもうすでにいろいろわかる部分はあると思います。
ましてや生前多くの関わりのあった方。
そのまま亡くなったことをお伝えすることが大切であると考えます。

最近では、人が亡くなる場を子供に見せたくないという親が増えていると聞きます。
しかしながら、非常に自分の存在、いのちについて考える大変貴重な体験であり
そう何度も体験できることではない機会をぜひ例え小さな子供さんであっても
体験させてほしいと思っております。       合掌

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有り難し
おきもち

「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を基とし、より多くの方々に御参拝いただき、御本尊様などから御利益を授かることを願っております。 また、本来お寺の持つ機能として、「学び」「癒し」「楽しみ」などがあったとお聞きします。 あらゆる可能性に対して、日々精進しながら日々模索しながら、多くの方々との御縁がつながっていくことを願っております。合掌

絵本の活用を。。

なまんだぶつ。

おさかな様。

子どもさんがイメージをつかむ手段として絵本を使うのはいかがでしょうか。
「おじいちゃんのごくらくごくらく」
「わすれられないおくりもの」    など。

生身の故人とはもう会えなくなるかもしれませんが、
故人の死とともにかかわった人の記憶がリセットされるわけではありません。
心は残ります。

今は告別式や還骨など非日常の儀式の最中かもしれませんが、ふと振り返る機会がやってくると思います。
そのとき「どこにいった?」も大事ですが
「じじと一緒だった人生」はどんなだったか「思いで」を共有することも大事にしていただければと思います。

じじと逢えなくなっても、じじが子どもさんの支えのひとつであり続けますように。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

ほとけさまの世界へのお見送り

おさかな様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

この度は御義父様のご逝去、誠にお悔やみを申し上げます。心からご冥福をお祈り申し上げます。

幼いお孫さんへのご説明・・お悲しみの中でのお気遣い、誠にお察し申し上げます。

本日お通夜とのことであまり時間がありませんので、端的に・・

「○○ちゃん、じじは、ほとけさまの国へと遠足に出掛けるのです。ほとけさまの国は幼稚園のように先生や友達もいっぱいいて、色々と楽しいところです。しばらくお別れにはなるけれど、○○ちゃんがずっと賢くしていたら、また、きっとほとけさまの国で、じじとも会えることになりますよ。今日、明日としっかりといってらっしゃいと見送ってあげましょうね」

補足として・・「これからも悪いことはせずに、賢く過ごしていくことが、じじの喜ばれることですよ」とも付け加えて頂ければ幸いでございます。色々と中途半端なことにて失礼致しました。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

さっそくのご回答、ありがとうございます。
息子にも大変分かりやすい説明だと思います。
今は悲しみの方が大きいのですが、私もしっかり見送りたいです。

浦上 哲也さま

ご回答ありがとうございます。
じじがいつも見ていてくれること、しっかり伝えたいと思います。
まだ3歳とは言え、いろいろと理解していますし、息子は繊細なところがあるので心配ですが、まさしく心の成長なのかもしれません。
お骨上げ、参加させる予定です。

丹下 覚元さま

ご回答ありがとうございます。
息子に感じさせるのが一番とのこと、確かにその通りかもしれません。
私自身、まだ死とはどう言うものなのかしっかりと理解出来ている自信がありませんが、義父の心に寄り添い、一生懸命供養してまいりたいと思います。

追記。先日、義父の49日の法要を終えました。
最初は息子になんて伝えよう!困った!と思い質問しましたが、じじは私にとって、血は繋がって居ないけれど実の父親以上の存在でしたので、自分自身が救われる回答ばかりでした。
回答してくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

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