遺骨を持ち帰って供養したい
前回質問させていただいた後、お寺さんや親戚と話し合いをしました。
その際、私たちの気持ちの整理がつくまで父の遺骨を自分たちの元へ持ち帰ってもいいか相談しました。私たちが住んでいる場所から父の実家、納骨場所は遠く、なるべく自分たちのそばに置きたいと思ったからです。しかし持って行く先に仏壇も仏像も無いのならダメと言われました。仏壇や墓なんてまだまだ考えていません。とりあえず納骨はまだ考えておらず、実家に遺骨を置きっぱなしにするぐらいなら持って行きたいのですが…新盆もその後の法事も自分たち主体でやっていきたいんですが、ダメなんでしょうか。
宗派は浄土真宗です。仏壇と過去帳が父の実家にあり、仏となった父はその仏壇にいると。(祖父もいます。)だから法事は実家で。どうしてもというなら喉仏を分骨して持って行きなさいということでした。私たちの生活圏内に知り合いの寺があるからなんなら紹介するとまで言われました。
将来的にも父実家方面へ赴くのは大変で、できれば近くに遺骨を持ってきてゆっくり今後のことを考えたいんですが、それはわがままなんですか。住職の言う通り仏壇が無いといけないんでしょうか。過去帳は自分で買い求めて自由い記入することができると、本で見ました。自宅にて遺骨と写真と線香、お花、自分で用意した過去帳で供養じゃだめですか?
距離の問題もあるし、そもそも気持ちの面で整理がつかず相談をしているのに、そこには一切寄り添ってもらえず、許可を得ないといけないような感じなので心がもやもやしています。
そんなものなんでしょうか?住職がなんと言おうと自分たちの気持ち、やりたいことを貫いたらわだかまりが残ってしまうでしょうか。実家には祖母や親戚がいるので、しばらくは喉仏を持ち帰りお骨はこちら(実家で祖母にということです)で供養してもらえばいいんじゃないですか、と言われてしまいました。
はっきりこうしたいと住職さんにお伝えしていいものでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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懐中名号をお仏壇としてはどうでしょうか
はじめまして。亀山純史と申します。
ご質問の中で、持って行く先に仏壇も仏像も無いのならダメと言われた理由は、浄土真宗の礼拝の対象は故人(遺骨)ではなく、阿弥陀如来(「南無阿弥陀仏」の名号)だからでしょう。なお、仏様となられたお父様は、悟りの世界である極楽浄土に往生しているのであり、お仏壇の中にも、遺骨や過去帳の中にもいるわけではありません。さらには、極楽浄土に往生した故人は、この世に残された私たちを救うために、阿弥陀如来のはたらきによって、浄土からこの世に還ってきているとも説かれます。(阿弥陀如来のこのはたらきを還相回向と言います。)このことについて、親鸞聖人は「一人いて喜べば二人とおもえ、二人いて喜べば三人とおもえ、その一人は親鸞である」と言い残して世を去られたといいます。また、ある方は「人生のきびしい日暮らし、いとなみの中にあって、先だっていった肉親を慕い、お念仏申すところ、そこにわが親は、わが夫は、わが子は還相したもうているのである。」と申されました。
さて、分骨の問題ですが、今回のご質問を読んでみると、様々な感情が入り込んでいるように思われますので、なかなか、第三者である私から、このようにすべきだと申し上げることは難しいです。申し訳ございません。そこで、私から提案出来ることとしては、懐中名号というものをお求めになり、それをお仏壇としてお参りしてはどうかということです。懐中ですので、サイズも小さく場所も取りません。また、値段も高くありません。ご検討なさってはどうでしょうか。
心の拠り所
ぱすてるさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈と申します。
お父さまの遺骨がお父さまの実家にあり、遠方のため遺骨を近くに置きたいと考えおられるのですね。仏壇も仏像もないので認められないと断られて途方に暮れておられるようです。
さて、遺骨とは何でしょうか。
確かに、ご遺体を火葬した後に残るものであり、仏壇やお墓に納めるものです。
しかし、私は遺骨は心の拠り所と思います。
故人が亡くなれば、すべてが無くなってしまうような気がします。ですが、そうではありません。残していってくれたものもたくさんあるはずです。家や財産、子孫、思い出など。遺族は、故人が残していったものを大切にしていかなくてはいけません。なぜなら、故人が残していったものは、ご遺族にとって心の拠り所となるからです。
最近では「手元供養」があります。小さなペンダントのように入れ物に少しだけ遺骨を入れ、御遺影とともにおまつりしたり、ペンダントとして持ち歩くことができます。
パステルさんが大切にしたいものは何でしょうか。
遺骨でしょうか。それとも亡くなったお父さまの心の拠り所でしょうか。
供養にはいろいろな形があります。大切なことは故人をいつまでも忘れず、偲ぶことだと思います。
質問者からのお礼
若干感情的な文章になっていてまとまりなく恥ずかしい限りです。
それなのにお返事頂けて嬉しいです。
亀山様
過去帳にいるわけでもないんですね。お仏壇が大事で、形をまずそろえなさいと言われたようで不満でした。供養の気持ちがあっても仕方ないというような感じだったので。
懐中名号というものがあるんですね。考えてみます。これなら負担になりませんね。
中村様
突然いなくなってしまったので、心の拠り所を見つけるのも辛く大変でした。そして突然一人でいってしまった父を思うと、痛かったかな、辛かったかなと嫌なことしか連想できず、せめて供養するにあたっては近くに置きたいと思ってしまうのです。思い出すと辛く、心安らかに偲ぶことはまだ先になりそうです。
手元供養も考えています。
独りよがりな供養にならぬよういただいたアドバイスをもとに考えてみます。
どうもありがとうございました。