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自分について

回答数回答 1
有り難し有り難し 22

私は自分の感情を抑えられません。
少しイライラしたらすぐ顔に出ちゃいます。
それ以前に
高校を中退し、お母さんにも借金をたくさんしてしまいました。
お母さんにたくさん背負わせてしまってるの分かるのですが少しイライラするとその時の感情で小さい頃から汚いボロアパートに住んでたから友達から貧乏扱いされていないとか。
あんたたちが小さい時にパチンコしてうちらを託児所いれたからこうなったとか。
何もしてくれなかったと言ってしまいます。

何もしてくれなかったわけじゃないですが。
私が芸能人になりたくてオーディション受かって入った時のお金も出してくれたのに辞めたり。
高校中退してお金で迷惑かけたり。
私が頑張らなかったのは分かってるのに。

その時の感情の時は全部全部お前たちがちゃんとしてくれなかったからだといってしまいます。
お前が早くあんな奴と離婚してまともな奴と結婚してくれればこんなことにならなかったとか。
言ってしまいます。

父親に関しては私が幼稚園の時ギャンブルで私の学費保険に手をかけて借金したり自己破産したり。
母親は私や弟に言葉の暴力を言ってきたりして、
今も一緒に暮らしてはいるんですが、
私はその父親に似てるせいで友達やお母さんを傷つけてるのかなとか思ってしまいます。

父親に似てるとかの問題じゃないんだと思いますが。

昔は負けず嫌いでたくさん努力してきてたのに
中学生の頃から努力もしなくなりコレを頑張ろうと思ったこともすぐやらなくなったりしてしまいます。

昔は悪いことをしたら素直に謝れたし嘘もつかなったはずなのに
今はもう嘘だけで生きてます。

かろうじてバイトだけはできてるだけです。

将来を考えないといけないのに勉強やるという気力もでないし。なにもやりたくない感情なんです。

私は周りの人より頑張らないといけないのに分かってるのに、もう自分が何をしたいのかなんでこんなになったのか分からないです。
もはや、私が嘘つきすぎて周りの人も嘘つきにしか感じない。

どうしたら、
前見たくなれるのか分からないです。

もう、今のこの感情もどうすればいいのか分からないです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みんながアタシをいじめるぅ症候群です。大丈夫。治ります。

自分で自分をいじめていませんか。
自分いじめ。
誰かがイジメているように感じるでしょうが、それは「あの人が私を悪く言う、責める、イヤな事を言う」と思っているあなたのネガティブ感情です。
そこに向き合いましょう。
思い当たることがあれば、全てを断ち切るきっかけになるでしょう。
お寺で坐禅して今申し上げたことが分かるまで、「本当は誰があなたを苦しめているのか」を見極めてください。
実は、自分なのです。
それを若いうちから見極められればあなたは本当の大人です。
・自分の感情を抑えられない。
・イライラしたらすぐ顔に出る。
・お母さんに感情的になる。
・父親に関して許せない気持ちがある。
もちろん、相手のある事ではあるのですよ。
ですが、たとえばこれを読んでいた時にお父さんが、過去の事をまったく悪いとも何とも思わず横になってTVでも観ているとします。つまり、あなたの想いとおとうさんとは別物であることが分かるでしょう。
同様に、お母さんに対してもあなたがお母さんにあれこれ悪い言葉を言った。でも、おかあさんはそんな事を忘れてご飯の支度をしてくれている。
今、あなたの心の中のステージ、舞台でだけ、その負の思いが生じているだけなのです。
3,4回読み返して「あ、本当に私が勝手に、独り相撲みたく、自分だけで苦しんでいたのか」と分るまで考察してみてください。
わかったとしたら、素晴らしいです。
その勢いで、お母さんに、この前は言い過ぎてごめんねと言いましょう。
そして、明日から、月のことをお月様と呼びましょう。
太陽のことをお日様と呼びましょう。
ナンノコッチャかもしれませんが、しばらく続けて行ってください。
昔の人はね、水の事もお水。米の事もお米と読んだのです。
どんな物にも、あなたを支えてくれる存在、家族、命の息吹を感じる力があったのです。
あなたは小さい頃からの芸能活動やらで本当はのびのび育ちたかったのに伸ばすべき羽を伸ばせなかったところがあるのかもしれません。それをトリモロス(取り戻す)為に、素の自分にかえってみましょう。サイタマならば近ければ坐禅会におこしやす。あなたと似た方もおられますが、皆本来の自分に必ずかえっていかれます。誰かのせいにしたり、感情的になるのは何処か守る自分があるのでしょう。
そんな壊れやすい自分より、もっと大らかな自分探しに坐禅会にお越しください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

読んでるだけで涙が凄い止まらないです。
確かにそうなのかもしれないって思えます。
でもまだ。なんでって思ってる自分もいて

自分の考え方かえるだけで変われるかも知れないのかも知れないです。

一度そちらにお邪魔してもっとしっかりみつめなおしたいです。

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