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離婚を考えています

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夫51歳、私38歳、結婚10年、子どもはいません。
ずっと共働きだったのですが、三年前、私が心身のバランスを崩して会社を辞め、家に入りました。
それまでは生活に関わるお金は、全く別にしていました。住宅ローンは夫、光熱費食費その他は私、という感じです。
退職後しばらくはこの形のまま、私の貯金などを使って過ごしていましたが、収入がないのでそれも尽き、一年ほど前から夫が生活費のすべてを賄うことになりました。
次第に、振舞いが尊大になってきました。
誰が食わせてやっていると思っているんだ、
おまえは毎日休みでいい身分だな、
どうせ暇でしょ、
というような感じです。
言われていることは事実です。
ただ私は、とても悲しく、情け無い気持ちになります。
現実的に、生活を彼に依存していることが情け無いですし、家に入ってからは家事もがんばっているつもりなのに、何一つ認めてもらえない自分が、本当にダメに思えます。
恥ずかしい話ですが、生活費も、数度お願いないと渡して貰えず、ときには借金をしてしのいでいます。
(彼は年収は一千万ほどあり、困窮しているわけではないです。ただ、私に渡すのが嫌なのだと思います。)
もう別れたいと思っていますが、私がダメなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからの先を見据え・・でもその前に

これからの先を見据え、弁護士に相談し離婚調停に持ち込んではどうでしょうか? 旦那様の収入はにこ様の支えがあったからこそで決して旦那様1人の力ではありません。先を見据え準備しましょう。・・・

でも、その前に一つお聞きしたい事があります。

「にこさまは旦那様との離婚、別れたいという想いに変わりはありませんか⁇」

これまでお二人ときずいてきた人生。思い。これまでのご縁。

ご自身の中で後悔の無いなら、先に述べたように別れる道を進まれた方がよいと私は思います。

ただ、少しでも旦那様とのご縁に迷いがあるなら、一度想いの全てを旦那様にぶつけてみてはどうでしょうか?もしかしたら、お互い思いのすれ違いがあるかも知れません。

にこさまによきご縁、よき出会に恵まれますように。 合掌

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おきもち

大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティー番組ぶっちゃけ寺出演経験。著書:最高のお葬式・最高のご供養(ベストブック社)地元紙・業界誌に執筆・投稿・取材等。ファイナンシャルプランナー・終活カウンセラー上級・お墓ディレクター2級などを保有。「どんな供養の悩みも解決出来る僧侶」を目指し気仙沼を中心に活動中 松岩寺公式ページ https://bk3027o.wixsite.com/kesennuma

思いに間違いはないですよ。

間違ってないと思います。
お金の問題でそういう思いをされる奥様はよくいらっしゃいます。

しかし、肩身の狭い思いをする必要はないと思います。家事をしっかりしていただいているから旦那さんは安心して仕事に行けるのです。役割分担と割り切って、堂々としていていいのだとおもいますよ。

しかし旦那さまに、お金を稼ぐ=偉い、上なのだという考えを、改めてもらいたいものですね。
お話をしても納得してもらえないものなのでしょうか。

離婚について、あなたが納得しているのであれば、良いも悪いもないと思いますよ。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

離婚を考えるのではなく、自立を考えましょう。

女性としての尊厳が無くなりつつあるだけです。
精神的な自立、夫からの自立(感謝は必要)、独立をこれを機に行動に移すべきです。
人は、自分で何かを生み出せる環境にないと、どんどん自堕落になっていきます。
自分で、自分はダメだと自分の我見をもって決めつけているだけです。
ああ、私はダメなんだ、という思いに縛られているだけです。
仕事を始められてはいかがでしょうか。
結婚というのは、お金を稼ぐことがメインになってはいけません。
お金も幸せになるために使われるべきです。
一度、ご主人に今のお気持ちをストレートにお伝えすることです。
ただ単にコミュニケーション不足、男女のコミュニケーションの違いを受け入れられないだけであるとも思います。相手の言葉を悪意でばかり受け止めずに、自分のネガティブな思いを添えずにストレートに聞ける訓練をしましょう。
自分を一番ダメにするのは、自分のネガティブな思いなのです。
そこからの自立こそあなたに今一番必要な事でしょう。
女性として、これからの人生の主人公として、天地にたった一人のあなたとしての自立の一歩を踏み出せますことを祈念申し上げます。
ご面倒でなければ、当山の坐禅会にでもお越しください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
でも結局、
つなか

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