友人の子供が亡くなりました
初めて相談させていただきます。
私の親友は結婚して4年間不妊治療の末、今年赤ちゃんを授かりました。
半年を過ぎ、お腹の赤ちゃんに異常が見つかり重い病気が判明。
出産まで友人は入院してその間も毎日励まし合い、彼女も早く赤ちゃんに会う為に頑張ってました。
そして今月に未熟児ではありますが産まれてきてくれ、私も本当に嬉しかったです。
ですが出産前から言われていた心臓の疾患により早い手術が必要となり
数日前に手術、
無事に成功したとの連絡を受け安堵した矢先に、
亡くなった事を次の日に聞きました。
長い間、連絡を取り相談していたから最後会ってほしいと言われて通夜に参列させていただいたのですが、
小さな赤ちゃんの姿、
友人夫婦の悲しみにわたしは何も言葉が出ず、ただただ涙を一緒に流すことしかできませんでした。
友人とは高校から今の15年来の仲で、
ずっと笑い、彼女もわたしの悩みをいつも明るく前向きに励ましてくれます。
わたしは本人の辛さに代わる事も出来ない事は承知、無力さにどうしたら彼女の支えになれるか考えてしまいます。
時が解決することもわかるのですが、
赤ちゃんと別れてしまった彼女に
少しでも勇気つける言葉は無いかと探し続けてるのですが
無知な為に
言葉は浮かびません。
それは私が人生経験も浅いし、
彼女のような身近な別れも経験していないので経験談も話せません。
どうか彼女が少しでもまた明日に一歩前に進める言葉をお借りできないでしょうか。
亡くなった赤ちゃんは
安心して仏様のところへいったのでしょうか。
また彼女のところへいつか来てくれるのでしょうか。
宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一緒にお参りしてあげましょう
或る知り合いの娘さんが結婚され、身籠り出産しましたが、生まれた時から重い病気だったそうです。数か月の入院し懸命の治療を受け御家族も看病に努めてましたが、残念ながらお亡くなりになられました。嫁ぎ先は遠方で有ったため、私が仮通夜と出棺と火葬場での読経を頼まれ、お勤めしたことがあります。
通常のお通夜では故人の思い出や戒名の意義について法話させていただいておりますが、この時に通常の法話をお話しすることは出来ませんでした。何か力づけてあげたいと思い、「我々は年齢を重ねる中で、良い言葉を覚え良い知恵を身に着け良い仕事もします。しかし、その一方で悪い言葉を覚え狡さを覚え悪智慧を身に着けてしまいます。〇〇ちゃんの人生は残念ながら短かったですが、御両親からいただいた生命を一生懸命生き、本当に清らかな人生を送られました。これからは仏様の世界で新たな人生を送られると思います。仏様世界で清らかで健康に生きていくよう、祈ってあげましょう。そして、これからも節目節目の法要を通して、新たな人生を力強く生きていけるよう、り〇〇ちゃんの後押しをしてあげましょう。」と申し上げました。
このようにお話したことが正しかったのかどうか正直わかりませんが、亡くなった赤ちゃんが無事仏様の世界に行きますようにという気持ちを込めて読経させていただきました。きっとお友達の赤ちゃんも仏様のところに行かれたと思います。
御質問から、お友達を勇気づけてあけだい気持ちは痛いほど伝わってきます。でも、無理に言葉をかけてあげなくていいと思います。お友達とは今まで通りにお付き合いし、もしご自宅を訪問する機会があれば赤ちゃんのお位牌に手を合わせてあげ、お彼岸やお盆にお墓参りしてあげれば良いと思います。
松原哲明さんというお坊さんが幼いお子さんを亡くされた時の悲しみを著書に綴っておられます。参考になるかもしれません。
「そうやって、来る日も来る日も、ただ過ごしていたら、死んだ子は喜ぶだろうか・・・。そして、それから十数日をを要して、わたしは悲しみを乗り越えることができました。それは、釈迦の教え、「苦諦」にふれたからでした。・・・・」松原哲明氏著「人生 七転八起」(秀版社新書)やや昔の本ですが、AMAZONで買えます。引用部分の記事もネットで検索すれば見ることが出来ると思います。
質問者からのお礼
有難うございます。
何か励ましの言葉を探す自分も
どこかで偽善者なんでないか…
その子にとって特別な友達の存在でありたいと自分の欲というか、
そのような思いなんだろうか…
本当に彼女のことを想う気持ちならそうじゃないんじゃないか…色々と気持ちが生まれてきました。
今はそっと
遠くから彼女の気持ちがゆっくり前に進む事を急がず、
私が必要なときにすっと寄り添えたらとお言葉を見て感じれました。
また彼女の子供も
仏様のもとで
いっぱい息を吸って夫婦のことを見守ってくれてることを願います。
有難うございました。