自分の考えを伝えられない、バカにしてきた相手を怒れない
初めまして、もちといいます。
偶然ツイッターでサイトの存在を知りました。
サイトを拝見したところ、相談の文面から様々な性格を推察し興味を抱いています。
日々ご多忙の僧侶が数多くの相談に回答されていること、大変有難く素晴らしいことだと思います。
せっかくなので今回初めて、私も相談させて頂くことにします。
相談内容は自分自身の自信の無さについてです。
具体的には、家族以外の人に対して「口頭で」意見を言うことに大変抵抗があります。
私は自分の意見をぶらさず持ちつつも、他人の持つ意見を受け入れる柔軟な生き方をしたいため
今の意見を言えない性格を治したいです。
原因としては先に挙げた自信のなさや意気地なしや他人に対する諦観、コミュニケーション能力の低さといった点が当てはまるのではないかと考えています。
付随して相手が自分をバカにしてきた際に、揉め事が大きくなるのが嫌で怒ることができません。
感情に任せるのではなく、言い聞かせるような怒り方ができるようになりたいです。
以上二点に関して、時間が取れるときで構いません。
何か思いつくアドバイスがありましたら教えて頂けると助かります。
最後に私は普段は祈ることが多い側の、僧侶の心身の健康と平和を祈っています。長文失礼しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もちさんは、なぜ自信がないのでしょうか?
なぜ他人に対して諦めておられるのでしょうか?
揉め事が嫌いとのことですが、なぜかいつも揉め事に絡んでしまう人はいたとしても、元来揉め事の好きな人なんていないはずです。
「自分の意見をぶらさず持ちつつも、他人の持つ意見を受け入れる」とありましたが、なんだか教科書通りという気がします。
時には「相手の方が正しい」とわかっていても受け入れがたいことや、受け入れることで痛みが伴うことも世の中には沢山あります。
もちろん、相手の言いなりになってしまえばそれこそ苦痛が伴いますが、「ぶれない」ということは、他人によって左右されないということではありません。
他人の意見を受け入れるというのは、自分の指針のバリエーションを増やすということです。
時には左右されることも、自分にとって大きなプラスになることもあります。
「ぶれない」とは、自分の方向性を失わないということであって、意見を変えない、道を変えないということではありません。
他人とコミュニケーションを取るということは、当然いつもニコニコしている時ばかりではありません。時には意見が対立したり、喧嘩をすることもあるでしょう。
しかし、そんな対立があってもまた継続して付き合えるのは、どちらかの異見に従うとか、期待しないで諦めるとかいうことではなく、お互いの意見を聞いて解決作を見いだすこと、これもまたコミュニケーションなのです。
文章を読んだだけで、もちさんに対してとても失礼な言い方かもしれませんがお許し下さい。
もしかして、もちさんは自分が痛い思いをすることが嫌なだけなのではありませんか?
もしそうならば、痛い思いを避けていては、自分の世界がどんどん狭く限られてしまいます。
山に登るにしても、坂道や時には険しい道を登るからこそ、平坦な道を選んでいては見られない雄大なすばらしい景色を見ることが出来るのです。
誰かにドアを開けてほしいなら、内側の鍵は自分で開けないと、いくら待っても他人には開けられません。
もちさんが、心の内にある鍵を開けて、大きなチャンスを得ることを心から期待しています。
年とともに図々しくなれます
年齢を重ねれば図々しいオバサンになっていきますから安心してください。
私もあなたと似たような感じでしたし、今もそうですが、若いときよりはそうでなくなりました。
要は、オバサンになる前にオバサン的な能力を手に入れたいということでしょう。
習うより慣れよ、意識的に訓練と経験を重ねれば効果かがあるかもしれません。
やりたいこと、成りたい自分のビジョンが明確におありなので、実際にやってみることを重ねればよいでしょう。
人間の心は恐ろしいもので、初めてやるときには抵抗感があっても、一度やってしまうと二度目はわりといけ、三度四度で癖になることがあります。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
「何故自分に自信がないか?」
1日考えましたが、自分の考えが本質的に幼稚と感じるからかな?という漠然としたことしかわかりませんでした。
「他人に対して諦めている理由」
事実とは異なるとしても周囲の人は皆私を嫌い、私の前からいなくなると考えるからと思います。
私の話など何を話そうが最後まで聞かれることはない。聞かれる価値はないんでしょう。
諦める反対は期待、期待など無意味。人は変わらない、自分のみを愛する。無知で馬鹿で無能な私を、利用し影で嘲笑った後捨てるのです。
「ぶれない」話ごもっともです。自分の大事にしている方向性が何か、探そうと思います。
お互いの意見を聞き解決策を見いだすのもコミュニケーションですか。
なるほど考えつきませんでした、勉強になります。
念のため、私は人に理解して欲しくて欲しくて仕方がない状況ではありません。
むしろ自分のことをすべて、心から好きだと言われる方が生理的に受け付けないです。
普段は自分の生活に支障が出ない程度に理解してもらえればいい。そのための主張のつもりでした。
しかしずっとこのままというのも退屈な話なので、たまに自分の心の鍵を開けることにします。
丁寧な回答ありがとうございます。
>>願誉浄史へのレスポンス
回答ありがとうございます。
安心しました。
このようなネットの書き込みや、チャットでは自分の考えを伝えることができるので、
まずはスカイプ通話から、段階的に伝える訓練をして、経験を積んでいきたいと思います。
追記の訂正します。
>>願誉浄史さんへのレスポンスです。
敬称省略してしまい申し訳ありません。