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元気が一番!
禅宗の初祖、達磨大師と二祖、慧可大師の問答で、有名なお話があります。
慧可は中国の人。
神童と呼ばれるほど優秀な人で、数々の経典を読破したのですが、未だ不安の心がぬぐえない、そこへインドから達磨さんがやって来たと聞いて、色々あったもののなんとか弟子にしていただきました。
そして最初の問答で「どうか私を安心させて下さい」とお願いすると、達磨さんは「ならばその不安の心を持ってきて見せてみよ」と言うのです。
慧可さんは熱心に心の在りかを探したあげく「不安の心を見せることはできません」(不可得なり)と言うと、達磨さんは「そうだろう、最初からそんなものは無いんだ」と説き、慧可さんはそこで深く納得なさったそうです。
結局、不安の心というものはどこかモヤモヤしていて実態もない、なんだかよく分からないけど、わからないから不安。そういうことなのではないかな?
そんな、実態の無いものに思い悩んで、貴重な人生の時間を費やすなんて、アホらしいと思いませんか?
結局は「気の持ちよう」なんですよ。
不安の心はあなた自身が創り出した物なんだから、あなた自身が元気を出して振り払うしかないんです。
うまいもん食って、いっぱい遊んで、思いっきり笑って、
不安なんて消し飛ぶくらい元気を出していこう^^
感謝すること
はじめまして。清香様。お悩み拝見させていただきました。
人間生きていれば悩みは尽きないものです。
それでも自分は救われていると言えるあなたは、大変謙虚な方なのでしょう。だからこそ考えすぎているのかもしれませんね。
以下はおかしなたとえ話ですが、
あなたがアイドルだったとして、ライブ会場には100人の観客が来ているとします。そしてその中のたった一人の客は、実はあなたのことが嫌いなアンチファンだったりします。もしも、そのアイドルが99人のファンではなく、たった一人のアンチばかりを気にしていたら、その光景はどんなふうに映るでしょうか?
救いの中で不安を感じるというのも、同じ状況かもしれません。
上の例えなら、まずすべきは99人のファンに感謝することでしょう。一人のアンチの心配はそのあとでいいのです。
まずはご自身を救ってくれた人々に、力いっぱい感謝してみてはいかがでしょうか。全員に、そのすべての行いに感謝して「ありがとう」と毎日言ってみることです。不安について思い悩むのはそのあとでもいいんですよ。
清香様が不安にとらわれることなく、明るい気持ちで日々を送れるようなることを祈っております。
南無大師遍照金剛
質問者からのお礼
林さん
深いですね。なんだか納得しました。ありがとうございました。
鈴木さん
はじめまして。分かりやすい例えをありがとうございました。なんだか道が見えてきたような気がします。