“謝る”のは誰のため?
こんばんは、ふとした疑問が湧きお坊様方々の考えを聴きたく質問させていただきます。
自分には、自身の酷く・抜け出せない疑心暗鬼から人を遠ざけて傷付けてしまった(確認出来ませんがそう思っています。)人がいます。
今回、“一年”という時間はかかってしまいましたが何とかその人に謝罪の言葉を伝えるチャンスを自分で作れそうなんです!と、言うかその人に謝罪したいんです。
そこで思ったのは、この“謝罪”という行為は
⚫誤解から(自分の行為で)苦しんでいる(傷付いている)相手の心を救う為?
・・勿論、先ず第一にその人に楽になってもらいたい。苦しんだり、哀しんだりする必要はないと伝えたい!
⚫自分の心の苦痛を軽減させる為
・・ひょっとしたら自分は許されないかもしれません。でも、そういう“行為”に寄って自分の心には区切りを付けることができ今までよりかは楽になるでしょう。(書いてて何だか“打算的”でイヤだなぁって、思います😵⤵)
考えていたら、この対極的な2つの考えが出て来て良く判らなくなってきました、、、。
仏教の質問や相談ではなく、お恥ずかしいのですがお坊様方々の考えを教えて戴けましたら幸いです! よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相手と自分のため
「苦しんでいる相手の心を救う」
「自分の心の苦痛を軽減させる」
謝罪には、そのどっちも備えていると思いますよ(^^)
「言葉」で「射る」と書いて謝です。
射るチャンスが作れそうなら、ぜひ頑張って下さいね!
おまけの小話で、、、
ある経に「黒い衣を纏える者は、襟の裏の垢穢を覚らず。白衣を纏える者は、わずかの不浄をも畏る」という節があります。
罪で真っ黒な色になったら、多少の罪も混ざって気付かない、けど罪のない清浄な状態でいれば、少しの罪でもしてはいけないと思えるようになるということです。
そういう意味では、「謝罪」は心の洗濯でもあると思いますよ。
許してもらえることも大事かもしれませんが、謝罪することに意味もあるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
お忙しい時期の中、回答どうもありがとうございました❗
その後ですが、その方に何とか謝罪の言葉を伝えようとした、トコロまではいったのですが全て伝え切らないうちに(最初の頃辺りで)相手は「えっ??!」って感じになりそれで終わって終いました。
日を改めて言う事も只の【自分語り】になってしまうような気がして、気後れしてしまい自分的にはちょとスッキリはしないまま今日に至っております。
ですが、自分の中で“一区切り”ついたのは確かです。助言有り難うございました❗
これから寒さも厳しく、日顕様も益々忙しい時期になるかと思いますが、体調を崩さぬようご自愛下さいませ❗
お忙しい時期の中、回答どうもありがとうございました❗
その後ですが、その方に何とか謝罪の言葉を伝えようとした、トコロまではいったのですが全て伝え切らないうちに(最初の頃辺りで)相手は「えっ??!」って感じになりそれで終わって終いました。
日を改めて言う事も只の【自分語り】になってしまうような気がして、気後れしてしまい自分的にはちょとスッキリはしないまま今日に至っております。
ですが、自分の中で“一区切り”ついたのは確かです。助言有り難うございました❗
これから寒さも厳しく、日顕様も益々忙しい時期になるかと思いますが、体調を崩さぬようご自愛下さいませ❗