エゴが半端なくてびっくりする
最近
自分を客観的に見ると
ものすごく愚かだと思うことが多くて、
うわぁ、あいつってほんとバカだなぁ〜笑って
ドン引きされ
うしろ指さされて嘲笑されても
なにも返す言葉がないくらい
なんであんなことをしたのか。
あんなものの見方しかできなかったのか。
なんでこんなに恐れが多いのか。
自我が強烈で私が私を苦しめて?いたと思うことが多く、なんとも無力感があります。
今とても惨めな気持ちがありまして、
瞑想みたいなことをしていて、
状況は変わるかもしれないし、
変わらないかもしれない、
でも、それはあまり重要ではない。
変わらなければいけないと言っているのは思考で、
ただ今目の前に惨めな気持ちがある。悲しい気持ちがある。
そう思って、
般若心経を読みながら
もうすでに惨めな気持ちが出てきてるなら認めてあげたいですが、
私は不安な気持ちがあります。
ただただ
あぁ、今私は不安なんだね。悲しいんだね。
惨めって思っているんだね。
って認めてあげている。
解決しようとしないでただただみてあげる。
でも、
私はどうしたらいいのかわからないです。
いや、知らないよ!
で終わりですが、困っています。
私は自分は賢くないです。
私は、このままではだめだという思いが
強すぎて、
それってほんとう?、
という問いかけに対して、
全然冷静に考えられません。
他人のことなら冷静にみてあげられるつもりですが、自分のことってさっぱりわからないです。
。
自分なりに一生懸命頑張れば頑張るほど、
ドロ沼だったと思います。
解決したければ。
行動しろ!と言われて
一生懸命頑張って行動したのですが
無理して身体を壊してしまい、悲しいです。
エゴを抑える書籍など、
仏教系で何かあったら教えてほしいです、
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不幸なときは自分を凝視める
最近私がブログに書いた詩ですが、あなたの考えてるようなことを書いたつもりです。
回答の得られない謎に満ちた人生、それを生きているのが人間かも知れませんね。
古来からいかなる聖人も、きちんと答えを出した人がいないのが人間の存在です。
これを知ったら満足という人生なんてないんでしょう。
自分なりに思索する、思索することが大事ですね。
結論がでれば人生は面白くも楽しくもないかも知れません。
観自在であって動自在でもある。
私はそうありたいと願って楽健法を普及しています。
人間は考える存在であると同時にプラクティスでもあります。
自信をもつなんていうひともいますが、自信などという嫌らしいものはもたないほうがいいのです。
不幸なときは自分を凝視める。
幸福なときは自分を凝視めないのが人間というものです。
不幸について
その陰は
わたしにしか見えない
鏡にもうつらない
ぼんやり感じる悪魔か
やさしい隣人とでも言おうか
その陰に包まれるとき
わたしの脆い細胞の迷路は
にがい水にみたされ
おのずから
生滅をくりかえす
しあわせが
隣人のように
やって来たとしても
黄金の羽を眩しくはばたかせ
たちまち消え去るだろう
その陰が
私と重なりあうとき
わたしはわたしを
はっきり感じる
昨日から今日へと
そう確かに生きていると
あってなきもの
なくてあるもの
それが
じぶんというもの
陰と溶け合って
苦楽の海に泳いでいる
趣味こそがあなたを救いますよ!
ゆきのさん、こんにちは。
自分を振り返ると、エゴで愚かなことがわかり、辛いのですね。反省して努力してもなおらない・・・
私も同じです。もうお坊さん20年してきましたが、いつも失敗ばかり。煩悩に振り回されながら生きている自分がなさけなくなることもあります。・・・・が煩悩は即菩提。私の大好きな一休禅師は、煩悩と共に生きることを示されました。ありがたやです(笑)。
一番自分を変えるにいいのは趣味を持つことです。スポーツでもいいです。軽いオタクになるぐらいがいいでしょう。ゆきのさんは若いのに般若心経を学んでいるのですから、寺ガールになればどうですか?全国の好きなお寺に行って般若心経をあげる。その証として朱印帳にお授かりを頂く。その行ったお寺のレポートをブログに書く。めっちゃ面白いと思いますよ。長野は吾が宗派の善光寺をはじめ、温泉付のお寺だらけ。温泉好きな私はよく長野に行きましたよ。オンコロコロ・・・と
その中で般若心経の意味も体験でわかってくると思います。寺ガールが集まるサイトもありますから、参加して友達を作るのもいいでしょう。旅は人の心を強くしてくれます。伊勢に来たときは、うちのお寺に泊まってね。歓迎します(笑)。
ネガティブに生きればどんどん人生が暗くなっていきます。ポジティブに生きればどんどん楽しいことが増えてきます。是非、自分の生き方を切り替えてください。
がんばって、いつでも辛かったらメール・電話で相談ください。一緒に幸せになって生きましょう。合掌
「空」と「縁起」を学ぶ
ゆきの様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
エゴを抑えるためにどうしていくべきかと、悩んでおられるご様子・・
エゴの意味も、自我、自意識過剰、自己中心的、自分勝手、わがまま・・と色々とありますが、とにかく、仏教においては、自分という存在のありようを、しっかりと理解していくことで、一体、自分とは何かをしっかりと見極めることで、最終的には、エゴをどうしようにも、まず、自分という存在自体、実体の無いものであるという自覚が求められるものとなります。
「無我」とか「空」とか申しまして、まさに「般若心経」の内容になるのですが、、
簡単には、自分は自分だけで生きていくことができているような存在ではなく、他に色々と依存していることによって成り立っているということになります。
「般若心経」が、「無い、無い」と否定しているのは、「実体としての成立」についてであります。
もちろん、実体としては成立していないけれども、存在は存在してはいます。但し、それは、「他に色々と依存して」ということになります。
もう一度、自分の足下を見つめ直して、いったい、自分の存在とはどのようなものであるのか、自分自分とエゴ出して存在できている自分というものはあり得ているのか、是非、お考えになられてみて下さい。
エゴを抑えるための学びとなる本ですか、、
やはり、仏教の「空」や「縁起」を説いているような内容になりますかね。。
「空」や「縁起」と共に、「般若心経」についても学べるのが、以前にもご紹介させて頂きました「ダライ・ラマの般若心経」(三和書籍)になるのではないだろうかと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ダライ・ラマの本売ってなかったので、
図書館で探してきます。
趣味はないです。
あ、趣味は
真我探求です。