お葬式の度に違う宗派のお坊さんを呼んでいる
我が家の宗派について、父に尋ねてみました。すると「特にない」と返ってきました。
確かに、我が家はどこかのお寺の檀家でもないし、当然といえば当然かもしれません。
次に身内のお葬式のとき、宗派をどうしていたか尋ねると、「その時によって違う宗派のお坊さんを呼んでいる」という何ともテキトーな返答(笑)
しかも、違う宗派でお葬式をあげているのにみんな同じお墓に入ってるんですよ(笑)
これってどうなんですかね?まあやっちゃったものはしょうがないんでしょうけど…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
葬儀で宗派が変わることよりも・・・。
これは僧侶派遣のお蔭で色々お試しが出来ることになったのか?「とりあえず○○しない。」という気持ちからなのか?理由は色々想像できます。葬儀である宗派の僧侶が儀式をする=そのお寺の檀信徒になる。ということではないのが問題です。僧侶の慈悲心を逆手にとった態度とそれを許してただ、葬儀だけの関係で自分の収入を得ている僧侶に怒り心頭(新党)です。
本来、僧侶やお寺の関係は普段の付き合いが大切で所謂、ゆりかごから墓場までお付き合いするものです。。「どちらが勝っても釈迦の恥」で唯一の救いが仏教の宗派であったことです。そこだけは許しましょう。なのに僧侶もこのような在家も葬祭業としか見ておりません。しかし、今後、別の宗教で葬儀を行うなら今のようには行きませんよ。葬儀の方法も違いますが、お墓の形も違う。埋葬方法も火葬や土葬、鳥葬など宗教が違うことで色々違いがあります。火傷しないうちに我が家の宗教の方向性を決めてください。お父さんが駄目なら自分だけでも信仰を決めて下さい。これからは個人の信仰が許されていく時代です。生きている内に色々な宗教者と交流を重ねましょう。ただ、あまり怪しいのは避けましょう。
先祖祭祀のスタイルは個人の自由ですが、周囲への配慮も必要です
どのようなスタイルで先祖祭祀を行うかはそれぞれの個人の自由ですから、そのような形で呼ばれてやってくるお寺さんがいるのであれば、それはそれで良いでしょう。
ただし、そのようなスタイルで行っていることをあまりあからさまにすると、それを見て自分の信仰する宗旨の儀礼を軽んじられたように思い、気分を害する人もいるでしょう。
そういった点での配慮は必要です。
質問者からのお礼
百目鬼さん
そうですよね…他の人に配慮するのも大切ですよね。失礼しました。ご回答ありがとうございました。
大鐵さん
お怒り、ごもっともです。安易に質問してしまったことに自己嫌悪を感じています。ご気分を害してしまい本当にすみませんでした。私自身は信仰を仏教に定めるつもりです。ありがとうございました。そしてすみませんでした。