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繰出し位牌の件(その2)

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私の書き方が悪かった用で、繰出し位牌、白木の戒名は開眼供養は、しているのですが、今回あらたに黒板に先祖代々霊位を作り,繰越し位牌の,一番前に入れました、その黒板,先祖代々霊位,に開眼供養をしなければ、いけないですか。(すみません)


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

供養はあくまでもお一人お一人に対して

墓石や、仏像と違い、お位牌は、一霊一霊に対して開眼供養を致します。
まずそもそも繰り出し式の位牌で「ない」場合、(繰り出し式の位牌は仏壇の中で場所をとるために便宜上に生まれた位牌であることをお忘れなく)一霊一霊、個別の位牌の場合は、葬儀告別式を終えた49日の大練忌供養法要において、白木の位牌から塗りの位牌に変わる場合は、開眼供養を勤修致します。
よって、繰り出し式の位牌であるからと言って、しなくてよいということはありません。
開眼供養はするべきであろうと思います。
供養は、あくまで、故人さまお一人お一人に対して、一霊一霊に対してなされるものです。
位牌に対して、供養をしている訳ではありません。
あくまで、位牌を御霊屋(みたまや)として、祀られている故人様に対して行われるものですから、きとんとお一人お一人にご供養をなさっていただくことをお勧めいたします。
先祖様、祖霊様に対しては、便宜上・利便性・合理性という人間の都合をあてはめずに、生身の一人の人間が一人の人間に対してご供養する、ということを重んじられることが、祖霊を重んじる宗教性、宗教心というものであろうと思います。
よって、繰り出し式の位牌に新たに、今までのご先亡の方々を新たに一つの位牌に祀られるわけですから、そのお位牌は繰り出し式の位牌であるにせよ、遷位の供養をして頂くべきであろうと思います。
このご質問に関しては、厳密にはわたしどもが答えるべきことではありません。
祖霊が祀られている菩提寺様にご連絡をされて、きちんとお伺いを立てるべきであろうと思います。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

繰越位牌

何度も書いていただきまして、ありがとうございます。
前回の記事に、追記させていただきましたが、白木の板に名前を書いた時に開眼供養をしているのであれば、表書きに先祖代々と書いたからといって、また開眼供養される必要はないのだと思います。
住職さんによって考えは様々だとおもいますので、確認はしてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ありがとうございました、これで 心が楽になりました。

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