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生きてるだけで損させられてる。

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前回の返事で「出来る事をしていく」と言い、していますが心がめちゃくちゃです。
生きてるからナンダカンダ考えて、色々しないといけない。結局させられてるんじゃ無いのかと迄思う様になりタイトルになりました。それは結局感謝が無いというのも自覚してます。
思い通りにいかない事に異常に執着し腹立たしく苦しく心を支配します。
私の人としての理想 ➡︎ 常に「有難やぁ」と笑顔で生き、思い通りにいかない事も「今度はこういうミッション来たかー!」と試行錯誤で乗り切り、今こんなに時間有るから「家族の為にアレしよう」「地域ボランティアであれしよう」「今迄した事無かったアレしよう」etc. と意欲的に生きてく。
どうしたらこの様になれますか、心をどうにかし穏やかに生きていきたいです。常に嫌なことばかりに着眼し思考してしんどいです。
自分の心一つままならないのに、世の中がままならないのは当然ですよね。。。。。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたのストーリーを優先させている

この世って、あなたのストーリーを優先させちゃいけないのです。
今日はサイタマはものすごい冷たい風が吹いています。
子供のサッカーの試合で負けて欲しくなかったけど負けちゃいました。
私は風邪ひきたくないのに風邪ひいています。
昨日は私の弟・弟子が死んでほしくなかったのに亡くなってしまいました。
警察に捕まりたくないのに、一時不停止で罰金でした。
【まったくこの世は自分の願望や期待とはまったく無関係な様として独立存在している】と21回唱えてみてください。これはあるお真言の日本語訳です。
あなたのマイストーリーは立派なように見えるのですが、それでもやっぱりマイストーリーなのですよ。
感謝できるようになりたい、感謝のある生活が望ましいと言っても、感謝できないのは何故かというと、マイストーリーが最優先で先立ってしまっているからです。仏道はマイストーリー「わたしの わたしが わたしにとって」という「ワタクシ👓めがね」をはずして、「わたくしの願い」を除外・度外視した、まっさらな今日のこの一日を体感して生きることです。
そうすると、今まで最優先していたものが「わたくし」だったのですが、それがなくなり「ほとけしゃま」というものが最優先されるようになりますわいの。「ほとけしゃま」とは、何であるかは自分で体感してみてください。なにやら「ほとけしゃま」らしいものを勝手に推測したり、あらかじめホトケめいたものを想起してもいけません。
私は庭の葉っぱにも、弟弟子の死にも、息子のサッカーの負け試合にも、違反の罰金にも「ほとけしゃま」を感じています。
今も風邪ひいて咳がひどいですが、それも「ほとけしゃま」なのです。
お大事に。お元気で。

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物事は損得では見ない

心は相手にしないことです^_^
思い通りにいかないのは当たり前。
損得で物事が決まるのではなく、縁起によりそのようになるだけの話です。
思いや考え方ではどうにもならないはずです。
そちらを相手にするより、今目の前の事実にのみ生きることが救いの道です。今、自分がどうなっているのかそれをまず知ることです。
正しい禅を実践されたらいいと思います。五感(眼耳鼻舌身意)を窓口にあるがままにいるのですよ。何かしら変化があるはずです。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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心は問題ごとに引き寄せられる

こんにちは。貴女の「マイストーリー」は立派なものだと思います。でも行き詰まっているのですね。できるならば信念に沿って行けばいい。私はそう思います。
我が子が赤ちゃんだった頃、よく夜泣きをしました。長女だったので、何とかしようとあれこれあれこれ考えて、オムツを替えておっぱいあげて、抱っこしたり歩いたり。歌ったりベランダから叫ばせたり。でも結局、「どうするば良いのか」は分かりませんでした。その都度、何かのきっかけで泣き止むことはあっても、それは絶対の方法ではなかった。「この間はこれで上手くいったのに…」に拘ったり、育児書を読み漁ったり。
けれど最終的には白旗でした。降参。「何でか分からないけれど、とにかく付き合うよ。泣き止むまで付き合うよ」と「必死さをやめた。諦めた」、そして主体性を捨て、彼女が泣き止むまで待つ事にしました。そういう割り切りをしなければ、きっと足掻き続けていたでしょう。
なので、「手放す」というのが我々最後にできる事ではないかと学びました。その頃テレビで偶然聞いたのが、「イマル」…明石家さんまさんの娘さんですが、その名前の由来でした。ご存知?「生きてるだけで丸儲け」の短縮形なんですって。
心はいつも、問題を見たがるのです。解決すべきだから。人生振り返って、嫌な記憶が多いのも同じです。解決して満足した事って、忘れても良いのです。そうじゃないから、いつまでも覚えている。これは人間の、というか心の仕組み・役割なのです。
だから、その傾向を知り、バランスを取らなきゃならない。信念とか座右の銘は、役に立つと思いますよ。丹下師ご紹介のものもそうですし、心が自然に傾いている事へバランスをとる言葉を持つ。
生きてるだけで 丸儲け。語呂もいいでしょう?問題へ突っ走ろうという心の動きを感じたら、その心のままで言ってみてください。生きてるだけで丸儲け。
私たち、浄土宗の坊さんが使っている言葉も紹介しましょう。南無阿弥陀仏です。何があっても南無阿弥陀仏。言葉の使い方って、こんなのもあるのです。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

邦元様
早々のご回答誠にありがとうございました。
「今目の前に事実にのみ生きる」そう出来るようにしたいものです。
「正しい禅」とは何処かお寺さんで聞いたら分かるものでしょうか?

丹下様
大変な中のご回答誠にありがとうございます。
声に出し21回唱えました。何だか気持ち悪い引っかかりが取れる様で取れないといった感じです。
とりあえず「わたくし眼鏡」を置きます。真っ白な今日に旅立ちます。

佐藤様
お礼遅くなり恐れ入ります。マイストーリーが崩れそうになると「南無阿弥陀」と唱える様にしました。でもおかしいと思ったら相手に確認します。そういうのもせずにジッとなる様になるのを受ける方が良いのでしょうか。

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