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あなたはダレ推し?その2(「会えるお坊さん」)

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以前、『あなたはダレ推し?』ということで質問いたしました。
http://hasunoha.jp/questions/138

みなさま回答いただいたご存命の推しメンは、「尊敬する師匠」的存在だなぁと思った次第です。
そこで、【身近な人で】ダレを推すのか教えて戴きたいです。
「尊敬する師匠」的存在ですと、ちょっと・・・取っつきにくいというか(質問しておいてすみません)。立派な方なので、本を出されていたり、勉強になる感じというか・・・。
AKB48のように、「会えるアイドル」ならぬ「会えるお坊さん」が知りたいです。

同じ宗派の方でも、他宗派の方でも、お一人でも、複数でも、けっこうです。理由もどうぞ。
ここで紹介したせいで、大変なことになる・・・そんな可能性もなきにしもあらずでしょうか??無理の無い範囲で結構です。宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出入り自由な空間で法話をされている方

その1でも回答させていただいた者です。
私が尊敬する僧侶は貧困問題や自死問題などに向き合って活動している方々ですが、会える僧侶というとやはり開かれた場所で一般向けに法話をされている方になりましょうか。

都内にお住まいですよね?
会える、というのであれば江戸六地蔵・巣鴨の真性寺で毎月1回行われる法話会をおススメいたします。
土足のお堂に長椅子が並べられた会場で、どなたでも出入り自由、飲食自由です。
時間は10:30~15:30.複数の僧侶が入れ代わり立ち代わり15分程度の法話を致します。内容は特定の宗派に偏らず、自分の寺の宣伝等も一切ありません。自分の番で無い僧侶が境内で待機していますので、皆さんつかまえていろいろと質問などをされています。
日程はこちらをご参照ください。
http://bozubanasi.blog91.fc2.com/

ちなみに平成25年は
6月24日(木)、7月24日(水)、8月24日(土)、9月4日(水)、10月24日(木)、11月14日(木)、12月24日(火)
です。
会える僧侶の個人名をあげられずすみません。やはり
“人と煙草の良し悪しは煙になりて後にこそ知れ by山本玄峰老師”
だと思いますので…
アリーヴェデルチさんご自身の推しメンを見つけられますことを。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

アリーヴェデルチさん、こんにちは。

尊敬する師匠的ではない、けども会えるお坊さん・・・となると難しいですね。
ご心配のように大変なことなる可能性も無きにしもあらず・・・。なので、イベントをされているお坊さんがいいかなぁと思いましたので、ポータルサイトなどをご紹介いたします。検索すれば、まだまだ知ることができそうですね。
寺子屋ブッダhttp://www.tera-buddha.net/
寺カフェマガジンhttp://tera-cafe.com/
丸の内OLの仏教レジャーhttp://www.m-hannya.com/
シティリビングの特集記事http://city.living.jp/tokyo2/tokusyu/ikebou/
彼岸寺http://www.higan.net/

いちおう一人だけご紹介をば・・・。
尊敬する師匠ですが、とても気さくな方で、親しみをもたれるはずです。
円覚寺管長 横田南嶺老師。
生みの親、育ての親。というように仏教では、生みの師匠、育ての師匠がいらっしゃいます。
宗派によっては、もう一人お師匠様がいらっしゃるのですが・・・。ここで紹介いたします、育ての師匠です。
毎週日曜日に午前9時から法話がされていますが、第2日曜日が管長さまの日です。どうぞお聞きにお出かけくださいませ。以下ホームページ参照です。居士林だよりでは、管長さまのお話しを短く・わかりやすく、まとめてくださっています。ご一読ください。
円覚寺http://www.engakuji.or.jp/
居士林だよりhttp://kojirindayori.blog108.fc2.com/

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

カフェやレストラン・カルチャーセンターでの法話。

御著書もたくさんある真宗大谷派川村妙慶さんのお話を聞くことが多いです。
京都の方で、京都が活動の中心ですが、実家の門司や京都・大阪・名古屋などのカルチャーセンターでもお話しされます。遠方からの受講者もおられて、よく、そんなに遠いところから・・・と感心いたします。
レストラン・カフェでも御法話の会を。
お寺への御出講も数多く、川村妙慶さんのブログで、お知らせをチェックして会いに行ってみてください。
ブログも毎日更新。
http://homepage3.nifty.com/sairenji/

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真宗山元派上西山正善寺住職

質問者からのお礼

1年4ヶ月前の質問ですが、お答えいただいた皆様ありがとうございました!

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

嫁ぎ先がお坊さん便を使うこと

死後の世界はわからないものだとこちらでも他質問でいくつか拝読いたしました。 現代では亡き親族の供養の仕方は様々かと思います。いろんな考え方があって当たり前だと思うのに、いざ自分のことになると気持ちがついていきません。 私は名家出身とかでは全くないですが、両親はあるお寺の檀家として必要だと思うことはやってきておりました。父は亡くなっております。 私自身、それが普通だと思って生きてきまして、嫁いだら私の実家のお墓に入れなくても、宗派は違えども、嫁ぎ先のお墓・御先祖を大切にし、供養や法要等やるものだと思っていました。 しかし、主人の実家では檀家などの概念がありません。そのような考えがない方も現代にはいらっしゃると分かってはいます。 こちらでも、葬儀は必要なのか、法要は必要なのか、お墓は必要なのか、、、などと、類似の質問はあるかと思います。 ただ、義祖父の亡き後、葬儀はお坊さん宅配便…法要は最低限…。なんだか寂しいような、理解できない気持ちになってしまいました。 ですが、そのときに来ていただいた和尚さまには私としては感謝しかありません。 私自身、正直仏教について詳しく存じている訳では全くありませんのでこのような質問をさせていただくこともどうかとは思うところもあります。 ただ、気持ちの置き所をどうしたら良いのかわかりません。厳しいお言葉でも構いません。何かお示しいただけたら幸いと思い、質問をさせていただいました。よろしくお願いいたします。

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乞食と喜捨に関する考え方

こんにちは、托鉢や乞食に関して、周囲の理解を得たいです。 私は地方都市に住んでいるのですが、街中でよく托鉢を行う人を見かけます。 お財布にゆとりのある時には小銭程度ですが、托鉢を行う方にお分けする事もあります。 …しかし、基本的に一緒に居る連れにはいい顔をされません。 「仏教には喜捨という概念があって、捨て去る事を有り難いと思う、そういった機会を与えてくれる事に感謝するっていう考えがあるんだよ」と説明はするのですが、あまり納得してもらえません。 私は小額で人の為になれれば嬉しい、そんな程度の考えで托鉢をなさる方に施しをします。 ですが、連れには大体の場合、「ああいうのはホームレスとかが僧侶などに変装してやっている。何も知らない人の善意を踏みにじる行為だからそんなものに手を貸すなんて」という具合の反応を返されてしまいます。 連れの言いたいことはわかります。ですがそもそも喜捨に関しては相手が誰だろうと関係ないものと認識しています。 しかし、それを連れに言ってしまうのまるで大事な連れを分からず屋扱いしてるような言葉になってしまいそうな為、いつも「小銭でも喜ぶんだからいいだろ」と終わらせます。しかしその言葉もまた托鉢をしてる方を、私が悦に入るための道具扱いしてるようであまりいい気分ではありません。 ところで私は敬虔な仏教徒ではありません。 人の為にどうのというのも、昔やっていたボーイスカウト活動にて「困っている人を助ける機会は善行を積む機会を頂ける」という考えを持っているからです。(この辺りは喜捨と似ているかもしれませんね) そのせいもあって、あまり詳しい仏教的な教えなどは語れなくもあるのです。 長文乱文になってしまいましたが、要は人は助け合うべきものであり、自分もいつホームレスの方々のようにモグリの托鉢や乞食をせねばならなくなるかわからない以上、誰かに何か出来る時はしておくべきだと思うのです。 こういった考え、仏教的な価値観を持たぬ身近な人に、角を立てずにわかってもらうにはどうしたらいいでしょう? わがままな話ですが、友人は大切なので「アイツは変わり者だ」と思われて距離を置かれるのも、「なんだか面倒くさいヤツだ」と思われて距離を置かれるのも嫌なんです。 支え合いこそ人類の本質にして美徳、そして自己のためでもあるのだとただわかってもらいたいのですが……

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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 73
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