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真面目な性格は損をするんでしょうか?

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お世話になります。

今回お伺いしたいのは真面目な性格は損をすることが多いのか?ということです。

そもそも「真面目」という言葉の定義もどこからどこまでを指すのかという疑問もあります。

仕事を真面目にするというのは最も当然のことであるのですが、「良い人」であるがために良いように利用されてしまうことがあることもまた事実だと思います。

相手のミスや雑な対応に笑って済ますことも時と場合で必要かと思いますが、言うべき時にははっきりと叱る、主張することも必要ですよね。

文章を書きながらちょっと自分も混乱してきましたが、融通を利かす時、はっきり言う時をどう分けたら良いのでしょうか?

最近、仕事、プライベートで腑に落ちなく納得いかないけど心に抱え込んだままで過ごしているのが気持ちが悪いです。

相手への伝え方も難しいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

柔和質直者 (やわらかで素直なもの)

真面目といいましても、あまりに頭が固いと苦労します。
頭が固い人というのは正義感が強い人、責任感が強い人、~ねばならない、~べきであるという思考にコッチコチに縛られてしまう人です。
正義という事の何がいけないか。
正義って、結局危険思想めいたところがあるのです。
自分達は正しいから相手を傷つけてイイ、みたいな感じになります。
責任感が強すぎると、仕事が終わらなくなったりします。
修行道場のある部署で勤めていた時、9時から5時ならぬ、五時から九時まで仕事して、その仕事の終わらなさに頭が知恵熱状態だった時があります。
体壊します。
~ねばならない、~べきである思考の人は、その自らの決まり事で縛られます。
もっと自由な人はテキトーです。
テキトーというと響きが良くないと思われるようでしたら、適切、という感じでいかがでございやしょ。
ふにゃふにゃではなく、カチコチではなく、しなやかでカタくあれ、と。
時と場合によってON,OFFを上手に切り替えるようにするとイイでしょう。
相手にものをいう時には、そのことだけをそのまま伝えるとイイです。言い方がきつくならんように、そのまーまいう事です。もちろん、失敗した本人が一番自分の非を心得ていますから、フォローもしつつ。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

損得狙いの真面目はよろしくない

座右の銘という言葉をご存知だと思います。
後漢の時代、崔瑗(さいえん)『座右銘』(『文選』第五十六巻)が典拠です。
その言葉の中に、

人に施しては思うことなかれ

人に施されては慎んで忘れることなかれ

とあります。これはつまり、自分が、損得を狙ってする行為はよくない、また、施された行為に関しては忘れては駄目ですよと、言っています。この言葉は、真言宗の宗祖、弘法大師空海様のお気に入りの言葉でもあります。

無心にすることが、ストレスを生まないというクールな昔の人の考え方です。
何か期待した上での真面目さであれば、結果狙いの真面目さであり、心からの真面目ではないということです。

そんな言葉もあるとして、融通を利かすか、ハッキリものを言うべきかについて迷っておられるようですが、ハッキリものを言うのがいいんじゃないですか。融通を利かす場合もハッキリとこれはこうなんだけど、こうなんやでと、恩着せがましく言ってやるのがいいんじゃないですかね。これは真面目云云ではなくて道理だと思います。色々悩むところだとは思いますが、ちょうどいい加減の表現を、さらっと言えるよう意識されてはどうでしょうか。それが無心に言えるようになればストレスフリーですね。

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個別相談可能
相互礼拝 相互供養
対応できる時間帯は19時から22時です。資格は高野山真言宗阿闍梨(教師)、普通運転免許、防災管理者、英検準1級。

プロの横顔。「ちょうどいい」の探求は、終わらない。

とても難しい質問ですね(笑)
サッカーのペナルティーキックに例えれば、フリーキックは、ゴールの枠から外れないようにシュートしなくてはいけません。
とは言え、枠から外れるのを恐れてど真ん中を狙いすぎると、キーパーに捕られてしまいますから、枠のすみっこを狙うことも必要です。

メリット・デメリット、安全性とリスクのバランスをとる、ちょうどいい具合を探求し続けるのがプロではないでしょうか。
その探求には、終わりはないのかもしれません。

ところで、私が前に働いていたお店で、調理を担当する主任は高級店のシェフ経験がある60歳近い男性で、その主任が赴任して来てから、定番メニューに加え、今までになかった「ひと手間」を加えたメニューも出して人気だったのです。
が、ある日、主任が新作メニューを作っている間に、定番メニュー(必ず置いておくべき品)が売り切れてしまっていたのです。
そのとき、バイトの女の子(腕は社員なみ)が主任に言った一言を、私は忘れられません。
その一言とは、
「小技(こわざ)はいいから定番つくれっっ!」
です。
「ちょうどいいバランスの探求」は、小技ではなく定番なのではないでしょうか。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

詳しく回答頂き感謝します。
参考にさせていただきます。

親身な回答ありがとうございます。

参考にさせていただきます。

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