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離婚を考えています

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有り難し有り難し 34

はじめまして。
私28、旦那27の結婚3年目の夫婦です。
子供はいません。

結婚する前から飲みに行くことが好きな旦那で、結婚してからもほとんどその生活は変わらず、週末はほぼ毎週飲みに行き朝帰りでお出かけなどもほぼない。
旅行など一度も行ったことがない。
給料が入ればすぐ飲みに使ってしまい、私にお金をくれとせがむ。
結婚してからも飲酒運転をし、何度言ってもやめず、飲酒運転をするか、私の送迎の頭しかない。
何度言ってもやめないので、私は、自分が眠いのを少し我慢して迎えに行ったほうがいいと思い、朝でも迎えに行ったりしていました。
結婚当初から、小遣い制にしたいと言い続けていますが、未だに拒否されていて、小遣い制にするなら友達と遊びに行ったりするのをやめろ。服などを買うのを控えろ。俺の金を持ってるのに俺のいない所で俺じゃないやつと楽しんでるのがむかつく。など言われ、小遣い制を断念しました。こんな感じで言葉遣いも悪いです。
友達と遊びと言っても私のまわりも既婚者がほとんどなのでランチに行ったりする程度です。
それも自分のお金で出しているし、服なども自分で出しています。
私の両親とのお出かけでも自己中発揮。
そんなことをしていたら、去年ストレスで体を壊し病院に通い薬も飲んでいました。
エピソードがありすぎてここには書ききれないのですが、体を壊したのをきっかけに旦那に全部言いました。
あなたの自由さについていけませんと。
そしたら謝ってきて、飲みに行くのも今でも自粛しているし、前よりお出かけも連れてってくれるようになり、きっと頑張って変わろうとしてくれているんだと思います。
ですが、どんなことをされても私の気持ちが戻りません。正直もう冷め切ってしまっています。
触れるのもやだし、性生活なんてもってのほかです。
両親からも旦那の評価はとても悪く、もう別れて次に進んでほしい、もう帰ってこいと言われています。
ですが、こんなに嫌なのに離婚を切り出せません。
涙がでます。好きという感情はもうありません。前みたいに戻れるかと言われたら、それはもう無理だと思います。
自分の気持ちが戻らないことが辛い。だから旦那に離婚を切り出すこともかわいそうと思ってしまう。
もうこの状況も辛すぎて、毎日こんなことを考えていることに疲れきっています。
自分がどうしたらいいかもわかりません。
助けてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの人生は相手があっても、それでも、あなたの自己責任。

人は誰かと結婚していても存在としては永遠に一人です。
百人といても孤立感があれば一人です。
夫婦でいても片方が冷めきってあなたのように心理バリアを張れば冷戦が続いて互いにストレスになります。
夫婦はお互い「おのれ」のルールをぶつけ合うから愛を誓い合ったはずの夫婦であっても憎しみ関係になるのです。
あなた達に足りなかった、不足していたのはそこです。
宗教心が欠如しているのです。
宗教とは他人ごとではありません。
自分が自分の好き勝手にやってきて、旦那は旦那で、あなたはあなたの独自ルールをしいて、それぞれがそれぞれのマイルール、マイワールド、マイ帝国の法律を作って、敵対国になる。
仏教では菩提心とい申します。
自身の向上、自身の精神的な向上を絶えず持ち続ける。
相手が気に入らないと言っても怒りの炎を燃やすのはあなたの中にあるはずです。
人のことでも自分の様子。
みな、自分持ちなのです。
今後離婚したとしても、ここを明らかにしませんと、誰と一緒になってもまた他人の事が許せなくなるでしょう。
離婚したければ、遠いでしょうが埼玉までご夫婦でお越しください。
双方、二者間だけで口論炎上するよりは、第三者にレフェリーに入っていただく方が話し合いが感情的にならずにスムーズです。
もしくは、栃木県のお近くのお寺さんにお願いしてみてください。
どうせ別れるなら、憎しみあって別れるのではなく、互いに分かってもらいたいことを言い合って、相互理解を深めるべきです。
もう終わった。もう無理と思っても、仲直りできるのも人間です。
人は変われます。
思うより、行動です。
離婚問題とは別にあなたはあなたで今後の人生の自身の生老病死やこのような事"怨憎会苦"、四苦八苦はあなた自身の自己責任です。これからも待ち受ける様々な苦しみを解脱するには、仏道をならい、自己意識を滅して、自身の想念から影響を受けない心になれば本当の自己に目覚めることで一生救われるようになりましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

離婚は結婚の何倍ものエネルギーが要ります。

お子さんがいらっしゃらないようなので、離婚すべきでしょう(ご主人の「酒癖」は恐らく治らないでしょう・・・)。
但し「相手が悪い」ので別れるのでなく、「自分が悪かった」と思って別れて下さい。
離婚大国のアメリカで別れた人の追跡調査をした研究があります。「相手が悪い」と思って別れた人はあまり幸せになっていない。「自分が悪かった」と思って別れた人は幸せになっているケースが多かったようです。
仏教では❝我愛(=自分が一番可愛い)❞が「苦」の原因と説きます。それを乗り越えた時「楽」になり幸せになれると教えます。つまり「相手のせい」にしている内は❝我愛❞に囚われているので「苦」の解決にはなりません。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

どんなに辛い思いをしても、結局自分が可愛いと言われてしまうのが辛いです。
そう言われてしまうと、もう自分が我慢してやっていくしかないんだなと思ってしまいます。
自分が甘いんだと思ってしまいます。
ありがとうございました

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ