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何をしても自信がありません

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有り難し有り難し 20

自分の考えや子育てに自信がありません。
ママ友と子供達の話をしたりすると、自信がなくなります。(もともと自信なんてありませんが…)
自信というか、自分が冷たい人間で、ダメな考え方をしてるように思えてなりません。
ダメな考え方、間違った考え方なんてないって言われても、ママ友さんと会話してると自分のダメさ、甘さ(考え)、気遣いの出来なさに悲しくなります。
本当は、彼女の正義感や相手に対しての思いやりが嘘くさく思ってしまうんです。彼女も家族を裏切る様な秘密を抱えてるのに、とことん自分の正しさ(白さ?)を主張してきて苦しくなります。私が良かれと思いした行動や言葉もダメ出しされてる様に思えて苦しくなります。でも、彼女の言う事はやっぱり正しいって思うし、そんな彼女の事を嘘くさい、とか過保護とか思う自分は、すごく冷たい人間なんだろうなとも思います。人と話してこんな冷たい自分がバレるんじゃないか、と思い人と会話するのも少しこわいです。
こんな母を持っても、子供は素敵なお友達にも恵まれ、勉強もそれなりにこなし、運動大好きで毎日楽しそうにしてくれてます。
私の芯のなさ、自身のなさが子供へ悪く影響しそうで子供や周りへの接し方がわからず心を閉ざしてしまう自分にもっと嫌になります。
他人と比べることなく、自分らしく人と繋がるにはどうすればいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正しさって何でしょう

ある特定の「彼女」という人物を認められないことがもっちさんの自信の無さの原因でしょうか。彼女を認められないが、彼女と同じように隠しているものがある自分を責めてしまうのですね。
難しいかもしれないですが、彼女の事を認めることがポイントかと。

それは彼女が「正しい」というのではなく、「人間なんてそんなものだ」ということです。口ではもっともらしいことを言いますが、縁によってブレブレなんです。彼女も、もっちさんも。
そのブレブレな存在が「自分らしさ」というものを引っ張り出してくるとこれまたやっかいです。
「こうあるべき」「こうでなければならない」という私らしさを「信念」といいます。ところがこの信念を持つ人間自体が本来ブレブレなのですから筋が通らないのです。信念を貫き通せず矛盾が出てくる。

なので仏法を拠り所とする私たちが大切にするのは「信心」です。「信心」とは私など「縁によってブレブレな芯のない存在だ」ということがはっきりすることです。
ややこしいですが「自信のないことに自信がある」ということ。もっちさんは「自信がない」と言いながら「本当は自信があるのにそれが認められないという不満がある」のかもしれません。

しかしこの「自信のないことへの自信」を自身の思いで持とうとしてもそれはどこまでも自信を捨てられないという自信への過信なのです。いよいよ、わけわからなくなってきましたね(苦笑)

だから私たちは仏法に自身の姿を照らされます。浄土真宗ではそれを念仏に依ります。仏という真実の教えに私をさらけ出されるのです。

そうするならば、あちらを立てればこちらが立たず、ということはありません。彼女は彼女、私は私。お互い正しい教えを聞いて、それによって話し合っていきましょうというスタンスです。ブレブレなのは「お互い様」。

では最後にこの曲に習いましょう

中島みゆき「Nobody Is Right」

もしも私が全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
世にある限り全てのものは 私以外は間違いばかり
もしもあなたが全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり
つらいだろうねその一日は
嫌いな人しか 出会えない
寒いだろうね その一生は
軽蔑だけしか いだけない
正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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子育てに公式はない

 こんにちは。お子さんがおいくつ位なのか分かりませんが、「勉強もそれなりにこなし…」ということは、小学生以上なのでしょうね。
 そこまで育ってきて、自分の好きなことが1つあれば、まずは成功していると思いますよ。どんな紆余曲折があったのか存じませんが、いまのお子さんの姿は、そのまま貴女の子育ての成果なのだろうと思います。
 昔から、あまた子育ての議論はされていますが、「これ」という公式は今に至るまでありません。そもそも、実施する親たちが個性を持ち、それぞれ異なる人間なのですから、ひとつのやり方で納めよう、という思考自体に無理があります。お釈迦様だって、84000の教えがあると言われ、その一つ一つを付き合わせたら、矛盾だって出てくると言われます。
 それで良いのです、「自分に合ったやり方」を見つければ。私は「子育ての技術」を学ぶことについては推進派ですが、同時に「子育ては試行錯誤」であるとも考えています。立派な本に書いてあったとしても、我が家に合わなければ採用しないだけ。うまく行かなければ別のを探すだけ。「我が家で上手く行った」は、人に話してもいいけれど、「だから貴女も!」というのは余計なお世話です。
 いいですか、「親がどう働きかけるか」よりも「子どもにどう受け取られているか」が大切なのです。「子どもにどう思われてもいい!私はコレが正しいと思うんだ!」はダメだということです。
 親が芯とか信念を問われるのは、思春期です。もちろん母親だけではありません。両親そろって、「自分はこうして人生を生きている」を問われる可能性があります。それを超えると、「子育て」のゴールは間近です。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

Nobody Is Right びっくりするほど刺さりました。曲聞いて泣いたのは初めてでした。
正しいか、間違ってるかの判断ばかりで気持ちもガチガチでした。自分も相手も『人間そんなものだ』って思ってまるごと認められる様な、大きな心持ちたいです。
長文のお返事ありがとうございました。

佐藤様
子供(小4と保育園児)に対していつも、自分がどうすべきかばかり考えてました。受けとる側の感覚がなかった。ダメな母親って見られない様にばかり、結局は自分ばかり。それで勝手に対人恐怖みたいになったり、疲れたり…
子供ともっと素直に楽しい話してみようとおもいます。

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