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交通事故に遭った子供のことを引きずっている友達

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有り難し有り難し 28

以前自分が少し眼を話した隙に、車の事故で子供を亡くした友人がいます。今でも苦しんでいるようなので、どのように声をかけて励ませばよいか悩んでいるのですが・・・
魂や輪廻転生といったもののお話ができて、説明できると少しは気が楽になるのではと思うのですが、お答えいただける方、いらしたらご回答をよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

懸命に祈る。それがいま出来ることではでしょうか。

とても難しい問題です。ただ、言葉は時として
こちら側の思いとは別な思いで相手に届くことがあります。
おなじ「辛いね」という言葉でも、相手が同意として受け取る
時もあれば、「上から目線」と受け取られる事もある。
とてもむつかしいのです。

輪廻のはなしや魂のはなしは、おそれいりますが、お寺さんに
おまかせした方が宜しいのではないかと思うのです。

いまはただ、一緒に亡くなったお子様への、尊い祈りを
共に捧げて下さることを、お寺側としては、あなた様に
お願いしたいと思います。

輪廻も魂も、へたをすれば、そこに「執着心」というものを
生みかねません。執着心とは留まる心です。
お子様の喪失に留まったまま、輪廻や魂のはなしをしてみても
場合によって苦しみを増やすことにもつながりかねません。

一歩進めるには、御自身の不注意でお子様を失ったことも
ぜんぶひっくるめて、供養の祈りをささげることです。
どうか、お子様の行った世界が、安らかでありますように。
いずれ行くであろう、私たちが、必ずまた、お子様と
逢えるように。ただ、ただ、ただ、ただ、
その祈りを、あなた様はご友人と一緒に祈って頂きたいのです。

それはあなたにしか出来ないことです。
以下は私が聞いた、とあるお子様を失ったお父様に向けて、
ある高僧がお話なさった言葉です。
「わたしたちは、明日の事がわかりません。
だから、天気予報を見ます。それは、明日が来ることを
信じて疑っていないからです。
誰もが、明日は善き日となるようにと、願って生きている
ということです。
死はわたしたちにとっての明日です。
わたしたちは、誰もが死に向かって歩んでいます。
死はわたしたちにとっていつ来るかはわからない世界です。
明日の世界、そこは亡くなった人の世界でもあります。
ならばその明日の世界が、愛する人の死した後の世界が
善きところとなるように、私たちは信じて祈り生きることが
大切なのではないでしょうか。
いつか、御子息と出会えると信じてその日まで、
懸命に「今日」を生きる。懸命に、今日を善き日として
生きねば、明日は、善き日にはなりません。
懸命に生きて、懸命に死ぬこと。これが、亡き人と出会える為に
私たちが今出来ることです。」

以上、御参考となれば幸いです。
さちあれ、さちあれ。合掌

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誰のせいでもありません

フジイさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

質問の文面を拝見した感じですが、フジイさんがご自身を責めておられるのではないでしょうか。交通事故により幼い命が消えてしまったことは悔やまれますが、もしフジイさんが目を離さなければ交通事故に遭っていなかったとも言い切れません。別の場所で、別のタイミングでそうなっていたのかも知れません。

誰のせいでもないのです。
今は、ただ手を合わせるしかないように思います。時間が解決してくれます。

弘法大師空海も、最愛の弟子を若くして亡くしました。普段なら流暢な文章を書く弘法大師空海が「ああ、哀しいかな、哀しいかな。重ねて哀しいかな」という文しか書けませんでした。それほどに深い悲しみの中にいるときは、祈りしか通じないのです。

心静かに手を合わせてあげてください。合掌

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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子供と 一緒になれない 別々にもなれない ならば 共にあゆむ

喪失感
被害者意識
自責
後悔
フラッシュバック
この5つにそれぞれ向き合って頂くか、
参禅をして自分の思いから救われることが望ましいです。

まず、自分が救われるためには、二つを選択してもらうことです。
「あなたがいつまでも悲しんでいて、周りの人や、自分を苦しませることが、本当にその子の供養になると思うか?」
悲しいですけれども、私達の人生は続いています。
その中で、苦しみの綱を頼りにのぼっていっても、自分を責めることで、それを無かったことにしようとしているようなものです。ですが、それは無かったことにはならない行為です。
「ではどうすればいいか?」
お子さんが亡くなられたことは事実。
加害者であっても、罪を償わなければならない。
相手にも家族があったはずです。相手もおそらくは予期せぬことだったはずです。
どちらも、本当に悲しい事故でした。
極端に申し上げれば、どちらも被害者… でも、どちらも加害者・被害者になるべきではなく、なってはいけない。事故のケースは、故意ではないのですから、どちらも被害者とは言えません。
だから、誰かを責めるというのは、誰も救われないから、相手も自分を責めることはやめる。

失われた、という面ではなく、ただその通りであったという事実に目覚める。
今も、その子との関わりは続いているはずです。亡くなったその子と、今、どうかかわっていくかが彼女の人生。
そこに、色々な思いを重ねすぎて、ご自身でも分からなくなっておられると思います。

自分を責めても、後悔してもいいです。
でも、いつまで、それをし続ける「べき」であるか。
そんな事をいつまでやって心の中で繰り返していても、人生は何も変わらない。

だからこそ過去を取り扱う自らの思いから自由になり、自分自らを本当に生きる。
一心同体だったお子さん。それでもそれでも、命は別存在なのです。
そして今与えられている機縁、仏縁を大切に生きてゆくことで、必ず救われます。

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「事故」問答一覧

当て逃げをしていたらと不安です

3日程前に、子供の行事で出かけた際、子どもと帰ろうとしたところ自分の車が他の車に囲まれていたため、少し待っていました。両隣や他の車は5分ほどで出ていったのですが、自分の前の車だけなかなか来ず、子どもも待ちきれない、私もトイレに行きたいしと、前後人一人分通れるくらいの幅はあったため、切り返しをゆっくり、何度もしながら、慎重に動きました。 その際窓を開けていましたが、音も衝撃もなかったので、無事に抜け出せたと思い帰りました。 帰ってから念の為車を確認しましたが、(右にハンドルを切り出ていったので、前方と左側面を特に確認しました。)傷も凹みもなく、5~10分後ほどで所用でその駐車場の前を通りましたが、自分の前にあった車もなく、警察車両もなかったので、また心配しすぎかと思い帰宅しました。 しかし、時間が経つにつれ本当に大丈夫だったのかと不安に襲われます。 常日頃から、留守の間に火事にならないか、右左折時に巻き込みひいてしまったのでは、薬を間違えて飲ませていないか、きちんと書類は出したか等確認しながらしているのに、何度確認しても自分の思い込みではないか、と思い不安になってしまいます。 特に、事故をおこした、誰かに迷惑をかけたのでは、子供たち、家族に迷惑をかけるのではと思うと、不安がどんどん大きくなり、自分を信じられず、不安が消えません。 昨日も今日も何度も車を確認していますが、車同士すったような傷、凹みは見当たりません。 音や衝撃があれば気付きますし、逃げた方が悲惨なことになるのはわかっているので逃げる選択肢はありません。 ネットで見ると、不安なら警察に相談、とありますが、傷もない、音も衝撃もなかったのに当ててない、と思いながらも不安なだけで、そんなこといいに行ったら「なにかやましい事があるのでは?」と勘ぐられるのではと不安ですし、万が一被害届が出ていたらと思うと怖くて聞けません。傷もないから警察が来てから考えようと思いましたが「気づかなかった」が通用するのかも不安。 何もかも不安です。 メンタルクリニックなどはかかっていませんが、2人目を出産してから特に自分の中で不安が強く、6月に中絶をしてから最低な人間だという思いも消えず、自分が信じられなくなることが増えています。 どうしたら自分の事を少しでも信じられるのでしょうか。せめて、自分が確認したことくらいは信じたいです。

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交通事故加害者になりました

私が運転するレンタカーが、横断中の男性をはねてしてしまいました。 原因はわたしの不注意による信号無視です。 赤信号に気付いた時点では夫は赤ちゃんをシートからおろして抱っこ、 急ブレーキをしなければ男性とぶつかる距離でしたが、赤ちゃんが心配で怖くて軽くしかブレーキを踏めませんでした。 もちろん自分の家族は大事ですが、男性自身にもきっと大切な存在や予定があったかもしれない、と思うと 本当に申し訳なくて情けなくて、なのにもしも謝罪やお見舞いへ伺うことになった時、対面するのがこわいとも思ってしまいます。 また、同乗していた夫や赤ちゃんに怖い思いをさせたことも申し訳なくて。 当日、お相手は救急搬送し、私たちは警察と話をし、レンタカー返却後ひとまず帰宅となりました。 当日夜電話で「レントゲンでは異常ないので明日退院し、念の為MRIを後日とります」 と聞いたため翌日帰宅した頃かなと、早々にかけてよいか悩みつつ、夕方に電話をしたが不在、 折り返しで謝罪をしたいことの相談をすると「まだ入院中で、大病院へ移動し手術することになった、謝罪は必要ないと思ってる、交通ルールを守ってくれたらいい」とのこと。 事故日と状況が変わっていることに混乱し、 レンタカー契約時に加入していた保険担当者の方に報告したのですが保険会社のかたは電話がつながらないとのこと。 その後わたしも再度かけたのですが折り返しはありませんでした。 個人的には謝罪をすることでお相手の方にとって精神的にご負担になるため”必要ない”と言われたのか とは言ってもご迷惑や怖い思いをさせてしまったので謝罪はすべきなのでは、と悩んでます。 担当者からは連絡はできるだけ控えてほしいが、謝罪やお見舞いの相談は任せるとのことでした。男性とどう向き合うのが最善でしょうか。また、加害者としてどう生きていけばよいでしょうか。

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交通事故の経験

こんにちは。 いつもHasunohaにはお世話になっております。 ご相談させて頂きたく。 私は海外在住です。以前おおよそ5-6年前、あるレジャー施設内の駐車場で人身事故を起こしてしまったことがあります。 女児(3,4歳)の足の上にタイヤが乗り上げ、軽傷を負わせてしまいました。 現場での対応や治療費は私でできる限りのことはさせて頂き、真摯に対応させていただいたつもりです。当然ですが、親御さんも発生時はかなり憤慨し、私を暴行する寸前になるほどでした。 病院での検査、治療後は特に問題がなく大事には至らず、胸をなでおろすばかりでした。不幸中の幸い、いつもゆっくりと運転する為、大きな事故にならなかったとのことです。また親御さんからは、自分が全く子供を見ておらず、自分の不注意がこの事故を起こしてしまう要因になったとも仰っていました。念のため、電話番号を渡しましたが、それ以降連絡はありませんでした。 一歩間違えれば駐車場内での死亡事故になる可能性の事故を起こしてしまったことや注意を払いきれていなかったこと、さらにそれが幼い子供であったことなど、今になっても申し訳なく、反省してもしきれません。 このような状況下の私に助言など頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ