同業(同行)です
まだ住職成り立てホヤホヤで、誰にも相談出来ず、恥ずかしながら、こちらにて、諸先輩方からの御指導頂きたく思います。
実は今日、檀家さんが相談事があるとのことで来寺されました。
その方曰く、『生前葬』をお願いしたい。
もう80で長くないし、どんな葬儀になるのか、また、自分の今までのご縁があった方が来るのか見たいとのことでした。
他にも様々な思いがある様子で、既に葬儀会館は押さえているようです。
私はその場では即答出来ず、教義的に可能かどうか、宗派の事務機関が、年末年始休みで問い合わせ出来ないと、その場しのぎの返答をしました。
個人的には、要は今回の件は、僧侶が、生前葬という名のエゴイズム丸出しの、パーティーのBGMに徹する事であろうと感じます。
お布施の誘惑と、宗教者としての確固たる立脚地との狭間で悩んでおります。
皆様はどう思われますでしょうか?
宗派を超えて、仏教者の忌憚ないご意見をお聴かせ願います。
追記
依頼者は裕福なお方です笑
あと、出来ればこの愚問の御解答は非公開だと嬉しいですが、如何でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今日は冷えますね。
前の回答をされておられる、お坊さま方がごもっともなアドバイスを書かれておられるので、施主さんとのホットな会話等についてはお書きしません。
檀家さんの意に沿い寄り添うことが、菩提寺を預かる住職の務めと私は認識しております。
松平師は、迷っておられますが、、、
生前葬で私の有難いお経が、パーティーのBGMに成り下がってしまうのは、拙僧のプライドが許しませぬとお答えいただければと私は思いました。
「宗教者としての確固たる立脚地」を求めたいというお気持ちは充分に理解できますので。
ただ、正反対のご意志、金の事でも迷ってられますが、、、
葬儀屋さんには、お抱えの僧侶が多数おられます。
施主さんの心づもり一つで、いくらでも松平師の代わりとして僧侶が来られ、生前葬が営まれる可能性も有り得るとご理解下さい。
もしくは、あなた抜き。
だって、葬儀会館押さえてあるんでしょ。
もう、あぐらかいて、せんべい食っとっても、お仕事が舞い込んでくると思うのは時代遅れ。
もし、あなたの代わりに生前葬を執り行われた僧侶が魅力的ならば、そのお寺の檀家さんになられますよ。
「依頼者は裕福なお方です笑」と書かれているところをみれば、失礼ながら僧侶としての意識が欠落しとるのではないかと私は思いました。
「宗教者としての確固たる立脚地」を求めるよりも、まずそこからですね。
私なら断ります
私なら断ります。
葬儀では亡き人の為に参列者みんなで念仏を唱え極楽往生を亡き人の代わりに願います。しかし、生きているのなら、生きている本人こそが念仏を唱えるべきだからです。
どんな葬儀になるのかなどは事前にしっかり親族や葬儀会社と打ち合わせしておけばいいですし、誰が参列してくれるかは意味が無いと思います。参列した人が心から悲しんでいるとは限りませんよね。生きているから行かないと後で怒られると思って参列する人もいるでしょう。
仏教を伝える為というなら、生前葬儀ではなく、その人主催で法話会を開いた方がよりしっかり仏教について伝えられるのではないでしょうか。
自分が亡くなって縁者が何をしてくれるかよりも、今生きている時にご自身が縁者に何をしてあげられるのか、そこが大切ではないでしょうか。
葬儀とはつまり
拝読させて頂きました。そもそも葬儀とは何でしょう。迷う人を正しい仏の道へと導いていくことではないでしょうか。
あなたが修行にて習得なさった仏教の教えを生きていらっしゃる方にお伝えなさる機会を得られることではないでしょうか。
確かに生きていらっしゃる方をご縁ある方々が集まってお見送りなさることもその一部でしょう。様々な演出もあるでしょうね。
私達僧侶はお釈迦様のみ教えを人々に伝えることが役割です。
改めて葬儀に関わるお経本を見て確認なさってみてくださいね。
あなたが無事その方を仏の道へとお導きなさいます様にと心よりご祈念申し上げます。
どうか試行錯誤頑張ってくださいね。
葬儀はお釈迦様の弟子になる式
こんにちは。
曹洞宗です。なるほど「生前葬」ですかぁ。今のところ私の寺ではそういう要望はありませんが、これからだんだん出てくるかもしれませんね。
私たち宗派の葬儀の内容は「授戒」(お釈迦様の弟子になる式)です。本来は生きているときに行うものです。数年前、息子の得度式を行いましたが、なるほどお葬式と一緒だなぁ、と思いました。ですから、私だったら、いつも通りのお葬儀=「授戒」を行うと思います。
もし、音楽でワイワイやりたいようでしたら、それが終わった後の食事会(静岡では「精進落とし」とか「はらい」などと言います)で、お坊さんのいないところで盛大にやっていただくように勧めたらいかがでしょうか?
その方の家庭の経済状況にかかわらず、ていねいにおこなうようにしてくださいね。
BGMならお断り
こんばんは。興味深い問いです。
まず、「回答は非公開」はあり得ません。ただ、お坊さん方の中には、個人プロフィールを公開しておられる方もあるので、直接伺うことは可能です。地域も近く、宗派の同じ方もおられるかも知れません。
わたしは浄土宗ですが、この宗派には五重という在家さん用の修養の会があります。また、大概の宗派では授戒会を行なっていると思います。お住いの地域でそういった会が盛んであれば、その授戒会なりの内容を取り込んではいかがでしょうか。
今回、可能性として「いいなぁ」と思えることは、ご本人とじっくり対面で話せる機会が多かろうということです。その中で、一定の信頼を勝ち得たとしたら、その後も力になってくれるかも知れません。
お戒名の文字選びにしても、式の組み立てにしても、弔辞の類(本人からの…と周りからの両方)にしても、いろいろ今後を考える材料になると思いますよ。没後の葬儀では、なかなか本人の意向は聞けませんからね。聞く必要はない、という考えも、勿論あります)。
ということで、地域の先輩ご住職も巻き込んで、場合によっては法話と陪席を頼み、協力してもらえたらいいですね。お坊さんが多いことは喜びそうな方もなのでは?
何れにせよ「BGMならお断り」、まずはそれを主張しましょうよ、結果はどうあれ。貴方ご自身が「BGMに徹すべき」と考えているならそれも宜しいが、がっぷり取り組むに相応しいケースだと思います。
「イヤ生前お別れ会だけど、名前は生前葬」というならば、逆にスピーチのコマをもらって法話に徹する。それもありかも。
その方が実際に亡くなるまで 、またその後のお参りまで、尾をひくことは明らかですから、ひとつ腰を据えて考えて下さいね。
質問者からのお礼
多忙の為、御礼申し上げるのが遅くなりました。
丁寧かつ親身な御指導ありがとう御座いました。
ご意見を参考に日々精進、模索して行きたいと思います