hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

同業(同行)です

回答数回答 6
有り難し有り難し 58

まだ住職成り立てホヤホヤで、誰にも相談出来ず、恥ずかしながら、こちらにて、諸先輩方からの御指導頂きたく思います。

実は今日、檀家さんが相談事があるとのことで来寺されました。
その方曰く、『生前葬』をお願いしたい。
もう80で長くないし、どんな葬儀になるのか、また、自分の今までのご縁があった方が来るのか見たいとのことでした。
他にも様々な思いがある様子で、既に葬儀会館は押さえているようです。

私はその場では即答出来ず、教義的に可能かどうか、宗派の事務機関が、年末年始休みで問い合わせ出来ないと、その場しのぎの返答をしました。

個人的には、要は今回の件は、僧侶が、生前葬という名のエゴイズム丸出しの、パーティーのBGMに徹する事であろうと感じます。
お布施の誘惑と、宗教者としての確固たる立脚地との狭間で悩んでおります。

皆様はどう思われますでしょうか?
宗派を超えて、仏教者の忌憚ないご意見をお聴かせ願います。

追記

依頼者は裕福なお方です笑

あと、出来ればこの愚問の御解答は非公開だと嬉しいですが、如何でしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今日は冷えますね。

前の回答をされておられる、お坊さま方がごもっともなアドバイスを書かれておられるので、施主さんとのホットな会話等についてはお書きしません。

檀家さんの意に沿い寄り添うことが、菩提寺を預かる住職の務めと私は認識しております。

松平師は、迷っておられますが、、、
生前葬で私の有難いお経が、パーティーのBGMに成り下がってしまうのは、拙僧のプライドが許しませぬとお答えいただければと私は思いました。

「宗教者としての確固たる立脚地」を求めたいというお気持ちは充分に理解できますので。

ただ、正反対のご意志、金の事でも迷ってられますが、、、

葬儀屋さんには、お抱えの僧侶が多数おられます。
施主さんの心づもり一つで、いくらでも松平師の代わりとして僧侶が来られ、生前葬が営まれる可能性も有り得るとご理解下さい。
もしくは、あなた抜き。

だって、葬儀会館押さえてあるんでしょ。

もう、あぐらかいて、せんべい食っとっても、お仕事が舞い込んでくると思うのは時代遅れ。
もし、あなたの代わりに生前葬を執り行われた僧侶が魅力的ならば、そのお寺の檀家さんになられますよ。

「依頼者は裕福なお方です笑」と書かれているところをみれば、失礼ながら僧侶としての意識が欠落しとるのではないかと私は思いました。

「宗教者としての確固たる立脚地」を求めるよりも、まずそこからですね。

{{count}}
有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
このお坊さんを応援する

私なら断ります

私なら断ります。
葬儀では亡き人の為に参列者みんなで念仏を唱え極楽往生を亡き人の代わりに願います。しかし、生きているのなら、生きている本人こそが念仏を唱えるべきだからです。

どんな葬儀になるのかなどは事前にしっかり親族や葬儀会社と打ち合わせしておけばいいですし、誰が参列してくれるかは意味が無いと思います。参列した人が心から悲しんでいるとは限りませんよね。生きているから行かないと後で怒られると思って参列する人もいるでしょう。

仏教を伝える為というなら、生前葬儀ではなく、その人主催で法話会を開いた方がよりしっかり仏教について伝えられるのではないでしょうか。

自分が亡くなって縁者が何をしてくれるかよりも、今生きている時にご自身が縁者に何をしてあげられるのか、そこが大切ではないでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

葬儀とはつまり

拝読させて頂きました。そもそも葬儀とは何でしょう。迷う人を正しい仏の道へと導いていくことではないでしょうか。
あなたが修行にて習得なさった仏教の教えを生きていらっしゃる方にお伝えなさる機会を得られることではないでしょうか。
確かに生きていらっしゃる方をご縁ある方々が集まってお見送りなさることもその一部でしょう。様々な演出もあるでしょうね。
私達僧侶はお釈迦様のみ教えを人々に伝えることが役割です。
改めて葬儀に関わるお経本を見て確認なさってみてくださいね。

あなたが無事その方を仏の道へとお導きなさいます様にと心よりご祈念申し上げます。

どうか試行錯誤頑張ってくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

葬儀はお釈迦様の弟子になる式

 こんにちは。

 曹洞宗です。なるほど「生前葬」ですかぁ。今のところ私の寺ではそういう要望はありませんが、これからだんだん出てくるかもしれませんね。

 私たち宗派の葬儀の内容は「授戒」(お釈迦様の弟子になる式)です。本来は生きているときに行うものです。数年前、息子の得度式を行いましたが、なるほどお葬式と一緒だなぁ、と思いました。ですから、私だったら、いつも通りのお葬儀=「授戒」を行うと思います。

 もし、音楽でワイワイやりたいようでしたら、それが終わった後の食事会(静岡では「精進落とし」とか「はらい」などと言います)で、お坊さんのいないところで盛大にやっていただくように勧めたらいかがでしょうか?

 その方の家庭の経済状況にかかわらず、ていねいにおこなうようにしてくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
このお坊さんを応援する

BGMならお断り

こんばんは。興味深い問いです。
まず、「回答は非公開」はあり得ません。ただ、お坊さん方の中には、個人プロフィールを公開しておられる方もあるので、直接伺うことは可能です。地域も近く、宗派の同じ方もおられるかも知れません。
わたしは浄土宗ですが、この宗派には五重という在家さん用の修養の会があります。また、大概の宗派では授戒会を行なっていると思います。お住いの地域でそういった会が盛んであれば、その授戒会なりの内容を取り込んではいかがでしょうか。
今回、可能性として「いいなぁ」と思えることは、ご本人とじっくり対面で話せる機会が多かろうということです。その中で、一定の信頼を勝ち得たとしたら、その後も力になってくれるかも知れません。
お戒名の文字選びにしても、式の組み立てにしても、弔辞の類(本人からの…と周りからの両方)にしても、いろいろ今後を考える材料になると思いますよ。没後の葬儀では、なかなか本人の意向は聞けませんからね。聞く必要はない、という考えも、勿論あります)。
ということで、地域の先輩ご住職も巻き込んで、場合によっては法話と陪席を頼み、協力してもらえたらいいですね。お坊さんが多いことは喜びそうな方もなのでは?
何れにせよ「BGMならお断り」、まずはそれを主張しましょうよ、結果はどうあれ。貴方ご自身が「BGMに徹すべき」と考えているならそれも宜しいが、がっぷり取り組むに相応しいケースだと思います。
「イヤ生前お別れ会だけど、名前は生前葬」というならば、逆にスピーチのコマをもらって法話に徹する。それもありかも。
その方が実際に亡くなるまで 、またその後のお参りまで、尾をひくことは明らかですから、ひとつ腰を据えて考えて下さいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

多忙の為、御礼申し上げるのが遅くなりました。
丁寧かつ親身な御指導ありがとう御座いました。
ご意見を参考に日々精進、模索して行きたいと思います

「お坊さんのお悩みにお坊さんがお応え」問答一覧

寺の長男は後を継いで当然なのでしょうか?

兼業の寺院の長男です。 姉が一人いますが私が跡継ぎとして育てられました。 子供の頃に跡を継ぐかは将来考えると親に言ったら叱られたのが衝撃で、以来、自分が必ず寺を継ぐものと思って生きてきました。 祖父も父親も僧侶として素晴らしいと思った事もなく、僧侶資格を取る為の過程で出会った講師の方達の話もポジショントークばかりの様に感じて僧侶に良い印象はありませんでしたが、経典や宗祖の残した言葉は興味深い部分もありましたし、継ぐ事で世話になった親の肩の荷を下ろしてあげられて、檀家さんの役に立つなら継ぐのも悪くないと納得していました。 しかし私が結婚してから、私達夫婦は寺と仕事を両立する為に両親とは異なる生活の仕方を計画している事を話すと、両親は話し合うまでもなく「寺をやる気がないのか」「そんなに寺を軽視していたのか」等と不快感を示しました。私達は詳しく説明して、話も聞かず頭ごなしに否定するのはおかしいと両親に抗議すると「お前達の考えを知らなかっただけ。自分達の態度は悪くない」と、話し合いもせず不快感をぶつけた自分達の失礼な態度を認めません。 両親は私が成人しても寺について何の話し合いもしませんでしたが、両親は私達が両親の気持ちを察して両親の思い通りに暮らすものと勝手に信じていたようです。 挙句の果てに私が跡取りである事や両親の寺のやり方は「祖父が決めた事であって自分達に責任はない」とさえ言いだしました。 もちろん私の人生選択に責任を負うのは私自身ですが、間違いなく私に影響を及ぼしてきた親なのに、恥ずかしげもなくそんな事がよく言えるなと思います。 姉は姉で結婚して家を出る時も、寺の事など気にもかけなかったくせに、両親の肩を持ち、後継ぎなら両親のやり方を踏襲するのが当たり前だと私達を責めます。 私が「貴方が私の立場なら今の時代でも両親のやり方を黙って引き継ぐ事を受け入れるのか?」と聞くと姉は「自分が跡取り?意味が分からない」という様子で、姉にとって跡取りとは私以外であるはずがなく、姉が私の代わりになる事を想像するどころか、私が継ぐ事をありがたいと思った事さえなかったようです。 私は寺や家族の事を思って選択の幅を狭めてまで生きてきたのに、家族にその人生を軽く見られてなお継ぎたいとは思わなくなり跡取りは辞退したのですが、寺族の跡取りへの思いというのは一般的にこの程度なのでしょうか。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

前住職の横領行為について

前住職夫婦の横領行為について 住職ですが、お寺から少し離れたところに住んでいます。   これまでの住職が高齢になり、身内に後継ができなかったことから、新しい住職夫婦として他のところから来ました。 寺の掃除も、一生懸命やっています。汚かった寺もきれいになったと、檀家様からお声がけ頂けたときは嬉しいです。   しかし、前住職夫妻はずっと寺に居座っていて、新しい住職夫妻は1年以上、マンションから通わされています。   ただ、最近前住職夫妻が急に引っ越しをしたため、お寺に行っては、前住職が残していった粗大ゴミを処分したり、、と、本来の寺の寺務もできない程に酷い惨状で、通いながらなので心がつらくなってきました。。お陰様で前に比べ、少しずつお寺もきれいになってきて、檀家様達からはありがとうと言って頂けていることが唯一の救いです。   問題は、他の檀家仲間の間でも既に噂になってしまっているようなのですが、前住職夫婦が引っ越しをした際に、お寺の運営や経理に関わる檀家さんのリストや、パソコンのデータ、会計の元帳等も昨年の分から過去の分何十年分と、全て処分して立ち去ったようです。   もちろん、年会費や寄付金など、年間300万くらいの寄付金がお寺には残っていません。つけるべきものを会計につけず、自分の懐に入れていたようです。在任期間で計算すると1億円以上は無申告の脱税、着服、といった横領をしていたことになります。何度も税務署も入り、重加算税を課せられてます。   いくら高齢とはいえ、失望しかありません。   真面目にやろうとしても、お供物やお賽銭が消え、とてもやりづらいです。   前住職が決めた総代?達はいまだに前住職寄りで、前住職には1億円近い多額の退職金も支払ったそうですが、引退した前住職には今後も固定給を出すようにと、新しい住職に言って困らせています。   今後のお寺を守るためにと一生懸命やっめいますが、もう辞めた方が良いのではないかとすら思えてきます。私自身は力もなく、何もできずですが、住職である夫にはどうしてあげるのが良いのでしょうか。   他のお寺さんでもこの様な事例はありますか?お寺の世界ではこれがふつうなんですか?横領、脱税、隠蔽をした場合のお咎めはないのでしょうか?

有り難し有り難し 51
回答数回答 3

寺院の次の後継者問題について

はじめまして。 宗派は伏せますが、田舎のお寺の住職をしております。 住職の身でありながら、次の後継者問題について、こちらにご相談させていただくこと、どうかご了承下さい。 私は現在30代後半独身ですが、一般家庭で育ちました。 15歳で高校中退→バイトや契約社員→実家(元々祖父と父がやっていた)のお寺を継ぐべく得度、本山で修行、僧籍取得→自坊に戻り、登記も済ませ住職任命→現在に至る・・・。 このような半生でしたが、現在独身の姉(30代後半)と父(60代後半でまだお寺の仕事はできるので何かあればお願いしてます)と一緒にお寺で生活しております。 母は父とお見合い結婚し、仕事を辞めて一般から寺に嫁いできましたが、寺の生活や慣れない檀家付き合い、祖父母との関係がどうやら合わず、数年で私らも連れて4人で寺を出て、別の場所に家を建てそこで生活してました。 継いだ実家のお寺は田舎で、近所との付き合い(今は希薄化)もあり、自坊の他、数件お寺を代務(近隣の寺に居住していた前住職が遷化したあと、子供はいましたが、継いでも生活できないので誰もやらないため)しております。 それらの代務寺院含め、私がほとんど継承した形になります。 檀家数は全て合わせて400前後、専業で生活できております。 私は寺の仕事担当、姉は裏方で主婦のような感じ、父はどうしても無理な時だけお寺の仕事を・・・と、協力してやってきました。 今後、母はもうお寺に戻ることはないので、いずれ私の父が亡くなった後、これから姉と二人だけでお寺を守っていくことになりますが、先が心配でなりません。 正直な話、私は昔から人と関わるのがかなり苦手です。 葬儀や法事が入る度、毎回緊張して顔を真っ赤にして心臓が破裂しそうながらもなんとかやってきました。 性格もコミュ障で、一部の檀家とうまく行かなく、姉も私も今までの異性関係は皆無で、いわゆる処女と童貞で年齢的にも40近く、もう結婚は難しいと思ってます。 近くの住職は20代、30代で恋愛やお見合い結婚して皆家庭を持っており、子供もおり、得度させて継いでもらうようです。 私も姉も、お寺はとりあえず継いだけどという形で、最終的には早めに本山や責任役(近隣住職)や檀家に説明して他の住職に来て住んで継いでもらう予定です。 その場合、私は還俗して寺を出たいと思ってます。可能なのでしょうか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

同業者です。同業者にしか分からない悩み

はじめまして、とあることからこのサイトを知り、私以外にも似たような悩みがある方が居るかもと思いご質問させていただきました。 私はとある寺院の跡継ぎ候補です。高校卒業と同時に望まない形ではありますが仏門に入ることになりました。数年後、社会に出て役僧として務めるようになりましたが、色々あり役僧をやめました。 人生の転機かと思い、転職も考える一方、学問として仏教を学ぶことは嫌いではなく、今後の人生について悩んでたところです。 望まない形で仏門に入ったものの、学生時代にやってみたかったことへの諦めがついておらず、しかしながら時間だけが過ぎてしまって年齢的なことも含め、もう一度学び直すべきなのか、複雑なこの業界に戻るべきなのかものすごく悩まされています。 元々やりたかったことは年齢的にも現役生に比べてしまうと就職先等も厳しい状態です。 働きに出なければ生きていけないような寺院の出身なのでどうすればよいか板挟み状態で私一人では解決できません。 就職しようとしても副業してると言われてしまいます。 しかし、わたしのように、望まない形でこの業界に入られた方も多くいらっしゃると思います。 ポジティブになれる考え方、生き方のヒントを、知恵を私にください。 夢を諦めるべきなのかやり直す時間があるのか。 今後の自分の人生について聞くのはお門違いかもしれませんが よろしくおねがいします

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

【高野山真言宗】亡僧位牌の書き方

曹洞宗僧侶です。 真言宗、特に高野山真言宗の先生にお伺いしたいことがございます。 先月、10年以上、日々托鉢と托鉢行で縁のあった方のご法務のみで、如法に生活されていた高野山真言宗の僧侶が遷化されました。(この話でどなたかお分かりの方もおられるかもしれませんが、詮索はされないようお願い致します) 私も現在、お寺に身を置き法務を主軸に生活はしているものの、暇があっては托鉢は極力欠かさぬよう行っておりますが、今日そのように行乞に歩めるのは、その真言宗の先生が、托鉢の先達として現代社会での(道場ではなく個人での)托鉢の在り方を、言葉や姿勢で示して下さったからこそにあると思っております。 件の先生とは、私が托鉢を始めてから間もなくご縁があり、以来、宗派こそ違えど同じ托鉢を行う比丘として垣根なく接して下さりました。 その先生なくしては、私は今日まで托鉢を継続することは出来なかったことでしょう。 その報恩感謝を示したく、遷化より四十九日に当たる日に件の先生が托鉢されていた地にて、ささやかながら亡僧諷経をお勤めさせていただこうと予定してております。 そこでなのですが、当日はその先生のお位牌をご用意し、お経をお勤め致したく考えておるのですが、真言宗の亡僧位牌の書き方が分からず、真言宗の先生方にそのご教示を頂きたいのです。 曹洞宗の場合ですと上から「【〇〇第〇世比丘(住持職の場合)】【道号】【法名】【僧階】」となりますが、今回は【道号】に当たる部分は分からず【僧階】についても、以前僧籍簿の写しは拝見したことがあるのですが、正確な僧階が分からない為(一応、住持職に付ける最低限の僧階とは仰ていました)、遷化された真言宗の先生に対する適宜な尊称にて代えさせて頂ければと思うのですが、どのような尊称が相応しいと思われますでしょうか。 周囲の高野山真言宗の先生方にもお伺いしようと考えておりますが、これは同じ宗派でも地域や法流によって様々であるかと思われますので、ひとつでも多く参考になるご教示があれば幸甚でございます。 何卒宜しくお願い申し上げます。 合掌九拜。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 109
回答数回答 6

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ