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寂しい、友達が欲しい

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有り難し有り難し 49

以前にも質問しましたが、未だに友達がいなくて寂しいです。

ずっと悩んでいるのですが、
A,友達を作る
B.いっそ友達がいなくても平気な人間になる

私はA,Bどちらの道を選んだ方がいいですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そんなに必要ですか?

まず、私の答えはBです。
なんか、Aの答えは軽い。

私には20年前、30人くらいの友達がいました。
今は2人です。

この2人の友人は、時には泣きあって、つかみ合いの喧嘩をして4年間連絡をしなかった時期もあり、でも、感情をぶつけ合った結果、相手のためなら何でも言い合えるような存在になっております。
でも、25年という歳月を経ての結果であり、いつ離れてもおかしくなかった仲です。

まあこれが親友というのでしょうか、、、

他者には他者なりの考えがありますので、、、
おともだちになりまっしょ(^_-)-☆
なんて、そんな程度でおともだちになるなんて、大それた話です。

コイツは一生の友達だと思っていた人間が、少しの食い違いで絶交したり。
信用して友達に相談した内容が、周囲に行き渡っていたり。
約束していた旅行をドタキャンされたり。

etc・・・

本当に他者には他者なりの思惑があるんだなと考えさせられます。

最後に、、、
「いや、アンタには親友が2人もいるから、そんな余裕こいて言ってんだろ」と思われてるかも知れませんが、、、

私は友達がいなくなっても、特にいいやって在り方で生きております。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

関係を求める前に、関係が開かれる場を求める

う~ん、選択肢を出されるとそれ以外で答えたくなるのは僧侶の性か、私の性か…何というか、

友達なんかいらないやい!と強がっても孤独に挫けるのが人間

友達なんかたくさんいるぜ!と誇っていても、ふと「あれ?本当に友達なのかな?」とやはり孤独に陥っていくのが人間

なのでしょうねえ。

そういう我々の現実においては『「本当の友」などない』とハッキリと知るところに、

Bのような「友達など存在しないのだから求めない」という虚無主義・ニヒリズム的な在り方か、

Aのような「私は誰かの友となり得ない現実を抱えているが、それは友が私の中においてはないだけで、私をして友としてはたらいてくださる関係があるのだ。私はそれを求めていく」という願い・希望をもった在り方か

どちらの在り方が展開されていくのかが問われているのだと思います。(わかりにくくてすいません)

で、具体的にどういう友人が欲しいのでしょうか?定期的に連絡をとったり、食事をしたり、バカ話をしたり、ふざけあったり…なんてイメージでしょうか?

おそらくですが違いますよね?本当に胸に抱える思い、例えば「私は寂しいんだ。友達が欲しいんだ」というような切実な叫びを共有しあえるような関係を求めているのではないですか?

それは中々大人になってからでは難しいですよね~、長い時間をかけて作るというか、私が作ったのではなく、気づいたら作られていた…そんな関係ですよね。

でも、今からそういうのが完全に無理という事はないでしょう。

私としては、いきなりそんな重い話しをぶつけてもなんの違和感もない場所は、法話会や聞法会、いわゆる仏教のお話を聞く会の後で開かれる「座談会」しかイメージがつきません。仏様の前では人はウソもつかないし、皆抱えているものを素直に吐き出しています。

いきなり友ではなく、そういう「場」を求めてはいかがでしょうか?(中々見つかりませんが例えば下記を参考に)
http://shinshuhouwa.info/

仏法の下に集う関係を「法友」とも言います。そしてお経には菩薩(諸仏)が「不請の友」(頼まなくとも向こうから友達に)になってくれるとも説かれています。

友達にも誰にも言えない思いを吐露できる、そういう場が仏教にはあります。
まずは場を求めましょう。そこでは仏教に限らず何かに本気で取り組む姿勢が求められます。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

回答ありがとうございました。

友達が必要かと問われれば必要ではないです。ただ寂しいから欲しいだけです。

本当の友なんてないんですか?

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ