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仏教と神道どちらを信じればいいのか悩んでいます。

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初めて質問させていただきます。

御坊様に相談していい内容なのかとも躊躇しましたが、他に相談できる相手もいないため、筆を取らせていただきました。
ご無礼となってしまいましたら申し訳ありません。

私は家庭の事情もあり、小さい頃から宗教に関心がありました。
去年成人し、改めて自分の信じる道について考えることが殊更多くなり、仏教や神道に関連した本を読んだり、ネットで調べているうちに私はどちらの道を信じればいいんだろう、と結局悩むことになってしまいました。

どのような視点で、基準で自分の信じる道を選択したらよいのでしょうか。

2015年7月1日 9:05

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

両方やればいいと思います

ご質問いただきましてありがとうございます。

私たち日本人のご先祖様は1000年以上、両方やってきました。そこを信じましょう。お坊さんでさえ、神様に仏道修行の無事をお祈りするんですよ?きんぴらさまが両方やって何の問題がありましょうか。(浄土真宗さんだけは神社のお参りを勧めない場合があるので注意。)比叡山(仏教)では山王権現(神様)、高野山は社丹生都比売神社、永平寺では白山権現、建長寺は半僧坊権現などなど、お寺に鎮守の神社があるんですよ。

むしろ仏教では他者をのけ者にする心こそ悪心です。神職さんもぶっちゃけ寺というテレビ番組で「自分と違う立場にうなずく勇気が大切」とおっしゃっていましたよ。そういう基準で幅広く学んでみてはいかがでしょうか。
そもそも「1つの宗教を信仰する」という感覚はキリスト教やイスラム教のような一神教の感覚です。タイではピーという精霊信仰と仏教が習合してますし、インドではヒンドゥー教ヴィシュヌ神の25の化身のうち24番目がお釈迦さまという感じで習合しています。中国で道教のお寺に行くと、仏教の金剛般若経というお経が読まれていたりします。そんなもんですよ。いろいろやってみる中で、やがて自然に落ち着くところに落ち着くでしょう。

そして結局は本にどう書いてあるかではなく、どんな人と巡り合うかの問題です。宗教や宗派で足切りせず、良いお坊さんや神職さんとの出会いを大切にしていただきたいと願います。その意味ではhasunohaでのご縁を出発点に、仏教から始めるのもオススメです(笑)

2015年7月3日 0:49
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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

仏教は本当は「仏教」を学ぶことではなく自己を学ぶ

ある教師の言葉
「皆さんは国語や英語を学ぶのではない。国語や英語で何を学ぶかが大切なんだ。」

仏教は、仏教を学ぶことではなく、自分自身を学ぶことなのです。
「仏道をならうというは自己をならうなり」 道元

世界のあらゆる宗教の中で、仏教が優れている点は、外のなにか神様らしいものを拝むことが目的ではなく、この自分自身の本来の姿に出逢うことを目的とした宗教である点です。
宗派によっては、差異があるとは思いますが、次の言葉をよーく熟考して頂きたいと思います。
「そもそもお釈迦さまは仏教を信じていた訳ではない」

これを、ご理解いただけるでしょうか?
これは誤解を招くかもしれませんが、本当にそうだと思いませんか?
お釈迦さまは私たち日本人がいうところの「仏教」とか言う教えを学んだ人ではないからです。
ここは日本人の多くの方が誤解をされ、着目されない処です。

お釈迦さまが悟りを得られて、説法されていた頃ころは、仏教などという言葉もありませんでした。「仏教書、仏教語一字も無くして」ただ自分を明らかにして悟りを得た、覚者の教えです。

自分自身を、深く見つめ、思いの正体を見抜き、思いから自由になりあらゆる苦しみから救われ自己の本来の姿に至った方=ブッダのおしえです。
それを学んでいた弟子たちも「仏教」をまなんでいたのではありません。
自分の苦しみを何とかしたいと、自分を学んでいたのです。
ゆえに学び、信じるべき対象は、仏教というものではなく、自分自身。
自分自身が本来の自己に目覚め、お釈迦さまと同じく、あらゆる苦しみから・思いから自由になりブッダに成ることが仏教の本義です。

2015年7月1日 23:01
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丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

日本は神仏習合の国です

きんぴらさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

仏教と神道のどちらを信じた方が良いのか迷っておられるのですね。

日本は仏教と神道が融合した世界的にもめずらしい国です。
山にも川にも土地にも神がいると信じ、八百神を信仰します。五穀豊穣であった御礼に盛大に祭りを行い神輿を担ぎます。神社と隣り合わせで寺院が建っています。寺院の守護をするのが土地を守る鎮守の神です。互いに守り守られています。

仏教でも山川草木悉有仏性を説きます。山にも川にも仏の心があるのです。

仏教と神道では根本的な考え方に相違がありますが、日本に於いて互いに相補関係にあると私は考えています。

2015年7月2日 11:33
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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...

仏教は悩み苦しみをなくす方法論

仏教は、悩み苦しみをなくす方法論を説きます。

神道にかぎらず、他の神様を信じている方でも、仏教の説くテクニックは使えます。
だから、神仏両方を信じても可、です。
ただし、仏教では迷信や効果のない修行などに執着して盲信するのも煩悩(悩み苦しみの原因)だとされます。
神道を信じるのが悩み苦しみの原因になる可能性がありますので、あまり真剣に神道を信じないほうがよいです。

2015年7月1日 12:44
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おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

多くの回答ありがとうございました。
わたしの中のモヤモヤが一つ一つと読むうちに軽くなっていき、改めて自分自身としっかり向き合おうと思えました。
本当に、ありがとうございました。

「宗教について」問答一覧

信心するしないは、幸せに関係しますか?

いつも、ありがとうございます。 時々、疑問に思う事を質問させて下さい。 私の母は、昔から凄い信心する人で、私が思うに母が若い時に死ぬような病を祈願してもらって助かったことから、信心するようになったのかもしれません。 私が小さい時、お地蔵さんにお参りなど一緒に連れて行ってました。お寺や神社、お地蔵さん、ほんとによく通ってました。 私達が無事に過ごせますように。とのお願いをしていました。よく聞きますが、自分が年をとって人の手を取らなくていいように…のお願いもしていました。 そして、現在は私に依存しきってます。どんな時も私にです。人の手を取らなくていい!なんて有り得ません。とにかく私は、母の依存に疲れてます。年取ったから仕方ないとは思ってますが、仕事も忙しく、家事もして実家のことまで…それに適応障害の弟の事まで。 信心して、あれ程祈ってたのに。なので私が思うに人の手を取るとかは、自分の心の持ち方で変わると思います。そんな母の幼稚さ?になんだか悲しくなったり… 母は今では全く信心の気持ちは無くなってます。なんで、あんなにお参りしたんだろう?何もならんかった。と言ってます。 それに比べて私の友達の家は全くの無信心です。お父さんが亡くなって初盆でも和尚さんも呼ばずにお経もあげてません。 けれど、お母さんは、いつも前向きで 一人暮らしですが楽しく生活していて、娘(私の友達)に依存する事なく自立しています。 生きていくうえで信心していれば幸せになる、無信心だとご先祖様からも応援してもらえない。 なんて事は、関係ないのでしょうか? それは私の小さい頃からの思い込みでしょうか? 母からの依存は年だから仕方ない、後何年生きるかも分からないから、色々不満を持たずに接して行こう!とは思う時もありますが、ほんとにほんとに疲れます。 体が不自由になった訳でもなく、歩く速度は遅くなりましたが何でもできるのに、ヘルパーさんの仕事に買い物を頼んでるのに、週1は必ず私が買い物に連れて行かなくてはいけない事、それを母は当たり前と思ってる事も…ほんとに疲れてます。 母が亡くなるまで、こんな事が続くのかと思うと何とも言えない気持ちになります。 そんな気持ちを母に言っても何とも思っていません。 こんな私に何かお言葉をお願いします。 よろしくお願いします。

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新興宗教の人に業が深いと言われたのですが

おはようございます。 業が深いと言う言葉を昔から聞くのですが、結婚前にしつこく新興宗教に勧誘してくる女性がいました。 私は生まれつき持病がありますが、薬を飲んでコントロール出来て普通に生活をしています。 ある日突然新興宗教の女性に(近所に住む方)会ってしまい、また勧誘されました。 私は仏教徒ですとお断りしていたら「あなたのお母さんは業が深い」と言われました。突然言われ意味を聞くと「あなたのお母さんは前世から悪い行いをしてきたからあなたに持病などがでるんだ。だからうちの宗教に入信すれば大丈夫」など普通他人に言わないであろうことを平気で言われました。 最初は腹も立ちましたが今は母親のことをそんなふうに平気で言われたことが悲しいです。そういう宗教の人なので気にしない様にと思っていますがやはり自分自身が病気をしているのに何故母親のことを言うのか… そして、この方には散々勧誘されつづけ、引っ越してからやっと勧誘が無くなりました。今は自宅や、お寺などでご先祖さまに手を合わせたりお寺でも感謝の気持ちと共に自分の家族をよろしくお願いしますなどお参りさせてもらっています。 そして肝心な仏教では「業が深い」から家族が病気になるや、苦労するといったことはありえますか?よく前世の行いなどで来世で苦労するとは昔から聞くのですが、そうなると病気をしている方は前世で悪い行いをしていることになりますよね…? 肝心な私の母は昔からも何も問題なく暮らしています。私の持病にも普通に前向きですが… そして勧誘してきていた女性の新興宗教はまず神社に行っては行けない、他の仏教や宗教は全て邪教であるのでダメ等など… 業が深いの本当の意味やお坊さん達の解釈はどうなのでしょうか?

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私の信仰について

今の現状について私なりに答えを出してみました。家族の新興宗教のせいだと思ってきましたが、私が仏教に興味を持ったのもその新興宗教に対する対策がきっかけでした。 全ては仏縁なのかな。そう思えるようになりました。すべてを否定する。それでは新興宗教と一緒ではないかと。仏教を勉強してきて思えるようになりました。 以前、hasunoha様で浄土真宗から日蓮宗への改宗を考えているということで相談して、その縁で近くの日蓮宗のお寺に行き法話などを聞かせていただいております。 改宗や墓じまいなどの未来のことで暗くなって急がなきゃと焦ってしまっていた自分を見つめ直せました。hasunohaのお坊さま方、ありがとうございます。 前置きが長くなり申し訳ありません。ようやくここで質問に入らせていただきます。私は南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経を同時に信仰しているというような状況になっているのですが、この状況は問題ないのでしょうか? 日蓮聖人は南無阿弥陀仏を唱えると地獄に落ちると仰られており、親鸞聖人は念仏をして地獄に落ちても後悔はないと仰られたと歎異抄にありますが、 日蓮聖人や親鸞聖人は今の私の信仰の有り様にどう思われているのかなと思い、不安というか、こんな不安定な信仰をしている人間でいいのかなと思ってしまいます。以上まとまりのない文章ですが、お坊さま型のご意見お伺いさせていただきたいです。

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〇〇宗のお墓の前で、無宗教の人がお経を唱える意味は何ですか?

今や自分はともかく親が何を信仰しているかも分からない場合が多いと思います。そして特定の菩提寺を持たない場合において、祖父母の墓参りなどで直面する、お墓の前で唱える言葉の意味についてどう考えたらよいのか悩んでいます。 基本的には自分が信仰する宗派において、自分自身のために唱えるのは理解できるのですが、故人のために唱える場合は、どういう意味があるのでしょうか。 そもそも故人は自身の信仰によって成仏されていると思うのですが、それに対し後世に他人(親族です)が言葉を唱えることの仏教的な意味を知りたいです。 また、〇〇宗を信仰された祖父のお墓の前で、▲▲宗を信仰している(もしくは何も信仰していない)孫が唱える言葉は何が良いのでしょうか? 一般的には〇〇宗のお墓の前では、〇〇宗の言葉(例えば南無阿弥陀仏など)と教えられたのですが、よくよく考えていくと自分の信仰していない宗派の言葉を「形式的」にだけ唱えるという事になってしまい意味があるのかな、と思い始めました。 浄土宗などは念仏を唱えることに意義があるという点では、形式上であったとしてもある程度は理解できるのですが、浄土真宗やその他禅宗などにおいては意味があるようには思えないのです。 今まで深く考えず、親に教えられた通りに唱えていたのですが、勉強すればするほど分からなくなってきてしまいました。 迷える子羊をお救いください。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

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