自分本位な子育てから抜け出せない。
健康だけを祈って出産した息子(4歳)なのに、
今では男の子なんだから、体力・運動、元気が一番と、
鉄棒や自転車、ジョギングなど、強要してしまいます。
昨年末、買い物に私は歩きで、子どもは自転車で付きあわせた結果、
下り坂で鉄柵に激突して、顎関節と歯の骨折、顔を縫う大けがを
負わせてしまいました。
帰りは暗くなることをわかっていながら、運動だからと付きあわせ、
暗くなってきたので私が急がせた矢先に起きた事故でした。
今はすっかり元気ですが、治療は今後も続きますし、
クリスマスには流動食しか食べられず、
何より本当に痛くて、怖い思いをさせてしまったと、
泣いて謝ってばかりでした。
でも、やはり元気に外で遊んでほしい
という気持ちがまだあります。
どうしたら、本人の意思を尊重することができるのか、
ワンマンになりがちな自分の子育てに、悩んでいます。
助言頂けるとありがたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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子育ては親育て
我が子には元気でたくましく育ってほしい、それは親として当たり前の気持ち。
まさしく「親心」ですね。
けれど、子供は決して親の所有物ではありません。
どんなに小さな子でも、立派な一人の人間です、ひとつの人格という点では、あなたと等しい存在であることをお忘れなく。
もちろん、さくらさくさんご自身も「自分本位」であるという自覚があるのですから、あとは、よく自分を律するのみです。
放っておいても、子供は勝手に遊ぶものです、この先、学校に行くようになれば、逆にあなたの言うことなんて耳も貸さずにどこかに飛びだしてゆくようになるでしょう、男の子なんてそんなもんですよ。
願わくば、自然な成り行きにお任せして、いつか良い形で親離れ・子離れができれば最高です。
何かを強制するのではなく、自然な流れに任せつつ、愛ある言葉で導くことが大切なのではと思います。
親もまた、子育てをしながら学び、成長してゆくのです。
しっかり考えて、よりよい道を模索していきましょう。
役割分担を
こんばんは。私も東京ですので、「ひ弱な子供にはしたくない、消極的な子どもにはしたくない」と思って、色んな機会を与えてきました。4歳といえば年中児ですね。友達の範囲が広がったり、車や電車といった機械物に目覚める頃でしょうか。アレコレと自分の好みを言うようになりましたか?言えているなら一安心。「僕はこれが好き、コレが良い」と言えるなら、先ずは順調だと思います。
でも、時々いるのです。この問いに対して思わずお母さんの顔色を伺う子が。なんて可哀想な。「外で遊ぶ事柄」を答えてくれるなら、(お母さんとしては顔をしかめるような事であっても)まずまず上手くいっていると判断して良いと思いますよ。
残念ながらというか幸いというか、これからの年代、子供の体力を伸ばしたいなら、おやが相手をするのではなく友達の中で遊ばせる方が良いです。体力も似たようなもの・興味も似たようなものであればベストです。「子どもが走り回るのをにこやかに見守る」段階でしょうよ。
今回の事故は、「暗くなるのが分かっているのに」が肝ですよね。その状況判断を誤った。それが問題なのであって、「体力をつけたいから自転車を」自体に誤りはないと考えます。程度の問題。
あと…若干辛い言い方ですが、お母さんが「子供の評価は私の評価」と、自分の代理人にしていませんか?彼は別人です。もっと旦那さんに愛情を注いであげるのは如何でしょうか。
質問者からのお礼
龍興寺
林 浩道 様
回答、とてもありがたく頂きました。
「どんなに小さな子でも、立派な一人の人間」
「強制するのではなく、愛ある言葉で導くこと」
こんなにも大事なことが、私にはみえていなかったです。
今回の事故と、頂いたお言葉で十分反省し、
気付けたことをありがたく思います。
私自身、律することを忘れずに、子育てをしていきたいと思います。
どうもありがとうございました。
光圓寺
佐藤 良文 様
回答、とてもありがたく頂きました。
確かに「子供の評価は私の評価」と思っていたのかもしれません。
息子がお礼や挨拶がきちんと言えて、褒めらると嬉しいですし、
苦手な運動ができるようになったらホッとしたり、
まわりの評価(褒められること)を気にしていたのかもしれません。
事故の後は、私も考えを改め、子どもの意思を尊重した遊びをしていた中、
先日「いろいろな自転車が乗れる交通公園に行きたい」と言い出したので、
涙が出そうになりました。
外遊び、室内遊びどちらでも、楽しく健康でいてくれたらよし!と思うように、
そして欲張りそうになったら、今回のことを思い出して修正していきたいと思います。
心が助かりました。
ありがとうございました。