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子供に優しさやマナーの意味を教えたいのですが・・・

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有り難し有り難し 21

世の中には様々な人がいます。
皆が安全に、そして少しでも安心して皆が気持ちよく暮らせるために、マナーがあると私は思っています。
私には、未就学児の子が二人います。
見た目が元気でも実は具合が悪い人がいるかもしれないし、そういう人にぶつかったら可哀想人だから、人にはぶつからないように道を歩こうと伝えています。
駅や店での歩き方、また店の品物を無闇に触ってはいけない理由などを、妥協せずに教え続けています。
狭い道を歩いている時に前後に人がきたら、一列になって歩きます。
商品を買うものも選ぶ以外は無闇に触りません。
電車に乗るときも降りる人が先だとか、ドアが閉まるまでは端にいる等、そういったことは出来る様になりました。
意味を赤ちゃんの頃から私の口癖のように話つづけていたのと、妥協しなかったからだと思います。
知らない人達からも親切にされることが沢山あるものだから、自分も人に出来ることはしようと教えています。
ただ周りのお母さん達は、子供なんだからとあまり子供に注意をしませんし、教えません。
なにかあれば子育てしている私達は優先されるべきだといいますが、年寄りのを煙たがり、障害がある方への配慮もありません。
歩きスマホも当たり前で、下手したら幼稚園の子にスマホを渡して、スマホを見ながら歩かせたりしています。
私はマナーとは人に対する配慮だと思っていますが、自分の身をまもるものだとも思っています。
先日小学生の集団が、とても細い道を集団で歩いていたのですが、子供達は一列になりませんでした。
道を歩いていたお婆さんが道の端で立ち止まり、背中を丸めて小さくなっていました。お婆さんに声をかけると、いつも小学生に出くわすと、怖くて皆が通り過ぎるのを待っていると言っていたんです。
そのことを子供が通う幼稚園のお母さん達に話すと「小学生はまだ子供だからね~」と、みなさん笑っていました。
私は小学生になったら、どんどん子供は親から離れていくと思うので、基礎的なことを教えるのは小学校に入るまでが勝負だと思っています。
そして小学校時代は基礎の応用期間だと思っています。
ただ周りのお母さん達は、子供なんだから~と言いますし、周りとの温度差を感じてしまいます。
私はどの様にしていけば良いのか分からなくなってきました。
他のお母さんに合わせるべきなのか、自分の信念を貫くべきなのか悩んでいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

背中を見せて!。追記!

こんにちは、みなみさん。
今の世の中は、躾の意味がその家庭、家庭で違いますから
親がある程度は意識して教育するべきだと私も思います。
口で教えるだけでは不十分ですよ。
問題は教える人が実践できているかどうかです。
ただの多干渉になりがちですね!。
子供は親の行動を見て育つものです。
出来る事は、言葉ではなく、
「自らの行動で示す」を意識したらどうでしょうか。
自分の背中を見せて育てましょう!。
なんといっても今の世の中は
人を思いやる心の教育、心を育てるという事
が足りないですよね。
言うは易し、行うは難し
子供の事と言う事ではなく
自分の事として自分の身に引き寄せて考えてみて下さい。
その、心の持ちようを学ぶにはやはり
仏教を参考にされるとよいですよ。
子育ては真剣勝負、沢山悩んでください。
がんばって!。

追記  遅くなりましてごめんなさい。
こうしなければという明快な答えはないと思います。
結局は自分がどうあるべきかと言う事になると思います。
一人一人の立場や、考え方が様々で
自分の正しいが他人の正しいとも限りませんし
正しいいと言う事も状況によって変わるものですよね。
特に最近は大変、人とのかかわりが難しくなっていると思います。
一歩外に出たら矛盾だらけの世の中です。
町中の投げ捨てらた煙草の吸殻を拾い集める訳にはゆきません。
その時その時、自分は如何あるべきかと言う考えながら
その場、その場で答えを出さなくてはならないと思います。
時には自分の都合で同じ問題に対しても違う答えを
出さなくてはいけない事もあると思います。
自分は如何あるべきかと言う信念(生き様)が大切だと思います。
子供さんにはマナーも大切ですが自分の信念(生き様)を
伝えてください。
拙い文章でごめんなさいね。

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有り難し
おきもち

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子供を子供と思ってはいけないと思います。

たとえば世の中にはこういう親がいます。
子供に強く当たって子供を良くしようとする親。
「やさしくなりなさいっ!!(怒)」
って、怒ったら子供に伝わるのは実は「怒られたその言い方」しか伝わりません。
その子は親の前ではやさしくふるまうようでも強く叱った、怒ったように、他の人にも接します。
子供は授かったことが、そのまま授かります。
だから優しくソフトに接するという行為でもって、受け入れやすい形で受容させるよりほかありません。
やさしさを伝えるのに怒ったら伝わりません。
もちろん、しかるべき時にはしかるべきでしょう。。
叱られて育った子供が授かるのは優しさではなく、恐怖、萎縮です。
あなたがもしマナーを教えたいというのであれば、まず親のエゴを一切無くすことからです。
公平無私な気持ちで、親がこうしたいから、あたしがこうしたいからという気持ちや抑圧的押し付けを一切なくせば、子供はおのずから静かで素直になります。
子供が言うことを聞かない、マナーを守ってくれない、ということで親が叱ったり怒ってしまうのは残念ながら親御さんのエゴと言わざるを得ません。
失礼ながらあえてお子さんの為を思って申し上げれば、親にとって第一子はどの家庭にとっても親のきつい洗礼を浴びるものです。
その洗礼は家庭によって様々です。
親にとってははじめての子供だから色々詰め込もうとして子供の生命、人間の限界、本当の意味での適切な素晴らしい教育ではなく、人為的な押しつけが❝強いられる❞事もあるものです。
それゆえに仏教では出家という言葉に「家」の字があてられています。
「家」のルールこそは自分自身を一生涯支配するものだからです。
あなたにとっては親御さんは最高の両親であったのであれば、それをそのままお伝えすればよいでしょう。礼儀作法や優しさとは、角度を変えて眺めれば、自我・エゴの鎮まりです。
華道、弓道、茶道、書道、柔道、剣道、仏道…
道と名の付くもののその道の大家に教わると良いでしょう。
道の文化はエゴや自我が禁物です。
中にはカン違いしてエゴ丸出しで「道」を名乗っている世界もありますが。
何の道にせよ、わたくし、おれ、僕が僕が、あたしがアタシが、という心の抜けた、力の抜けた人はおのずからすべての作法にやさしさに通ずるものなのです。

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おきもち

質問者からのお礼

回答ありがとうごさいます。
子供に無理矢理やらせている訳ではありません。
ものごとの意味を伝え、考えさせるようにしています。
そして私自身も手本になるように心がけていますし、だから子供達に伝わっているのだと思っています。
私は茶道などをしていましたので、人に譲るとう教えなどは素晴らしいと思っております。
いずれ子供が小学生はに入学したら、茶道や弓道を少しづつさせたいとは思ってはいますが、こればかりは子供達がするかは私には判りません。
仰る通り、無理矢理させても意味がないとも思いますし。
ちなみにうちの子達は、それなりに子供らしく、やんちゃでもあります。
ただ公共機関などでは、やはり人にぶつからないように歩くべきだと思っておりますし、そこだけは妥協したくはありません。
遊んでいい場所では、思いっきり遊んでいます。
子供は一度言えば分かるわけではありませんので、その子その子にあった教え方があり、子育ては根気が勝負だとも思っています。
先日も目の不自由な方に、知らない子が走ってぶつかり、転倒しる場面をみかけました。
そういうことを自分の子がしたら、私は叱りますし、駅や店で走りまわらせたくはありません。
私はその辺りの基礎だと思われる部分だけは教え、時には叱ることもあり、自分もそれらを実践し、見せていっています。
ただ周りは、道の歩き方などを教えない方々がおおいです。
年寄りの方が狭い道を歩いている時に、子供達がぶつかってきたりするので怖がっている老人や、障害がある方をよくみかけます。
それをみて、私は悲しさが込み上げてしまいます。
ただ一列になって歩いて、通り過ぎる人も安心して歩けるようにしたらいいだけだと、私は考えてしまいます。
そして根気よく子供に伝え、親もみせた方がいいと思うっています。
親もどけませし、歩きスマホも普通の光景ですし・・・。
実際歩道や駅や店での事故も多いですし。
私が力を入れているのは、その辺のことだけです。
近所の年寄りからも、いつもそれらをしてるのを知っているので、とても優しくしてもらっています。
その優しさの恩返しをしたいので、私が出来ることは、知らない相手にでも回していこうと日頃から考えて、私なりに実践しております。 子供達もそれが普通なので、年寄りや自分よりもバスや電車などで座った方がいいと思ったら、譲ろうとします。
譲ったり優しさを向けるために考えさせることがあっても、叱り飛ばして強制はしておりません。
ただそうしていると、周りのお母さん達との間に、温度差が生じていまうのです。
文章能力が乏しく、上手くお伝えすることができませんが、私の文を読むと、単なる化干渉だと思われるということでしょうか?
今後の参考にしたいので、教えていただけたらありがたいです。

人に優しくしろと怒って教えているわけではありません。
分かりやすいように伝え、私はそれを実践して見せ、子供達とたくさん話し合っているだけなんです。
ただ私の周りでは、目や耳が不自由だったり、見た目は元気そうな人でも実は重い障害をもっている方もいます。
だから余計に私は考えてしまうこともあるように思います。
みんなが各々に少し譲りえれば、平和だと思うんですよね。
例えば他所の子が走り回って老人にぶつかりそうになっても、親が注意などをしない場合は、私はほっておくべきなんでしょうか。
先日交通安全の旗降りをしているお爺さんをからかうのに、道に飛び出して遊んでいる子達がいました。
車が来てもお構い無しです。
注意された子供は親にいい、親からうちの子に注意するなと苦情がいったそうです。
そういうものなんでしょうか。

意泉院 萩原徳雲様。
再回答、ありがとうございました。

私の子供の時ときは、悪いことをすれば、知らない人に怒られることもありました。
今は人の子になにをする~、子供の心が傷ついた、虐待だ~など、騒ぎ立てる人も少なくはありません。
回答にもありましたが、煙草の吸い殻を、拾い集めるわけにもいきませんよね・・・。
矛盾は世の中に溢れています。

時代によって人の持ち物は変わります。
今は沢山の便利グッツがありますが、時代の流れが早すぎて、本当の意味で使いこなせている人は少ないと私は思っています。
そしてそれを当たり前に使うには、責任も生じます。
そしてそれら便利グッツがなく知らな世代からすると、奇妙に不快に映ることもあると思います。
ものの本質を知り使うということは、大事な気がしてなりません。
そう考えると、全てに意味がある気がするのです。

『子供は国の宝』と言う言葉を、私は最近子育て中の親の口からよく聞きます。
子供だから国の宝とかではく、子供だけではなく、老人や大人も各々皆が国の宝であり、尊い命だと私は思うのです。
子供は将来税金を払い~とか言いますが、年寄りの方は今の日本を築いてきた人達です。
まだまだ戦争経験者もいます。
私たち親世代は今税金を納めています。
税金以外にも、皆それぞれに、意味があると思うのです。
だから私は、道ですれ違う人も、電車で隣に座っている人も、尊い命だと思うのです。
だからお互いに配慮しつつ、優しさを少しむけられたら、世の中はとても平和になると思うのです。
それに色々な人がいますし、配慮するということは、自分の身を守ることにも繋がるとおもいますし。
ちょっとことで、本当はとてもシンプルなことだと思うのですが・・・。
そして人は沢山の失敗をしますが、それに気が付き、未来に繋いでいけることが重要だと、私は思っているのです。

周りの親との関係に、とても悩んでおりました。
私も強情なところがあり、人にあわせきれない所が短所だと思います。
けどこちらに質問させていただき、意見を伺い、自分の曲げられない信念などを再確認することができました。
小学生になったら子供は親からどんどん離れていきますし、やっぱり今の内な気もします。
人は人、うちはうち、と、心の中の線引きを、今まで以上に強化しようと思います。
気にしなければいいだの、話なのかもしれませんね。
今は、それで良い気がしてきました。

お忙しい中回答下さり、心から感謝いたします。
心が軽くなりました。
ありがとうございました。

安穏寺 ・ 丹下覚元様
『道』について、改めて考えさせられました。
子供達が小学生になったら、一先ず体験させてみようと思います。

私自身があまり教育を受けられなかったこともあり、大人になるにつれて、とても苦労した面がございます。
ただ私には沢山の出会いがあり、沢山の方々からダメだしをされつつも、色々なことを学ぶ機会がありました。
それはとても幸運なことだったと、思います。

大人になってから茶道教室の先生や他の『道』がつく先生に出会うことがあり、習いにいかさせてもらえ、沢山のことを教えてもらいました。
『道』、とても素晴らしい日本の文化だと、今は思っています。
若い頃は、そんなもの~とか、気難しい人には近づかなければいいとか、色々と思いました。
でもその考えは間違いでした。
結局は自分で選んでいたわけではなかったのです。
今思えば、自分の無礼さを見透かされるのが怖くて、逃げていただけでした。
若い頃の振る舞いが、何が問題で、どうすれば伝わるのか、今なら分かる気がします。
ただ最近の親は、難しいです。

一先ず子供達のために、実践していこうと思います。
家の中で季節の行事ごとには、お抹茶を略式で点てつつ、子供達にもさせています。
子供達は飲みきりはしませんが、とても楽しそうです。
茶道的にはNGでしょうが、いつも大笑いになってしまいます・・・。
もう少し大きくなったら、自ら習いに行きたいと言いだしてくれたら、儲けものだと思っております。

文章能力が乏しく、うまく質問などができなくて、申し訳ありませんでした。
ご多忙中での回答、ありがとうございました。

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