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義弟の死ぬ死ぬ詐欺に疲れています。

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はじめまして。
とても疲れて、ネット上で解決方法を検索しているうちに、このサイトにたどり着き、登録してみました。
初めて質問します。

私自身は友達も多く充実した毎日を過ごしているのですが、幼い頃から周りの人たちの人間関係におけるトラブルが多く、一緒になって疲れてしまいます。
特に最近、とても疲れています。
最近一番辛いのは、義弟の自殺予告です。

幼馴染の主人の弟ですので他人事ではなく、力になりたい、どうにかしたいという気持ちはとても強く、これまでも、夜中に突然かかってくる電話に子どもに授乳しながら何時間も付き合ったり、直接会って何度も話も聞いたりしてきました。
主人は、義弟の自殺予告の度に、夜中に車を出して探しに行きました。
しかし、それによって自分や主人の時間やエネルギーが取られてしまい、休日に行こうと楽しみにしていた家族の予定がキャンセルになったり、私たちの不自然な様子に子どもが心配したりと、子どもたちにもいらぬ心配や我慢をさせていると思うと、最近、義弟や義母に対し怒りの感情が湧いて来ています。
義弟の自殺予告は、警察や消防に何度もお世話になるレベルで、すでに3年続いています。
引き金になったのは義弟自身の離婚ですが、それと同時に、義弟の幼少期のDV体験によるトラウマ、両親の離婚、義母からの愛情不足、兄への劣等感など、次々と持論を展開するので、
本来の原因は、全て責任転嫁して自責で考えられない彼自身の幼さ、弱さにあると思えてしまいます。
それと同時に、義母はそんな義弟との生活が耐えられないと、主人や私に涙ながらに甘え、頼ってきます。
私たち夫婦には子どもが3人おり、子育てにおける時間を大切にしたい時期です。
家計も火の車で、毎月赤字。
睡眠時間を削って仕事をしています。
援助できる余裕なんてありません。
時間もお金も必死になんとかやりくりしているのに、頼らないでほしい。
30歳過ぎたいい大人で、調子の良い時には偉そうな自慢話ばかりするのに、何か失敗したり、ダメになった途端にすぐ死にたがる義弟と、
その義弟と一緒になってダメになって、もう無理もう無理と何も考えようとせず、義弟と離れたがり、解決方法をこちらに丸投げする義母に嫌気がさしています。
もう自分達でなんとかして!!
…口には出せませんが、そんな思いです。
私は、どうしたら良いのでしょうか…


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手にしなくていいでしょう、表向きの言葉は。

あなたはもう十分に関わってこられました。
お疲れさまでした。
今日でもう卒業しましょう。
ぶっちゃけ身内では変化が無かったのですからそれが答えです。
専門家ではないですから、その義母義弟にhasunohaなりを紹介しましょう。私で良ければシヌシヌを本当に「ほとけにしたろか経絡秘孔」で仏にします。本人にその気があればですが。
知り合いに「死ぬ死ぬ詐欺」ではなく「ヂダヂダ詐欺」がいます。
痔の手術で金が要る、としょっちゅう電話が来たので「痔だ痔だ詐欺」です。
ボラギノールでしのいでもらいましょう。
痔にはボラギノールで黄門サマのかゆみにはオシリケアが有効だそうです。最近やたらと食事中にCMがかかってそのネーミングセンスに噴いてます。
風邪薬でカロナールという薬がありますが、軽くなーるの関西弁でしょうか。シャレが効いてますね。
シヌシヌ詐欺もナイスネーミングですね。問題の解決方法はカンタンです。本人の問題で本人の人生で本人の生き方選択です。
本人サマが自己向上をしようと思わない限り変わりません。
実質マザコンなのでしょう。その甘えは多方面に広がってかまってちゃんになっているのです。
義理のお母さんにも甘やかさないようにお勧めすると良いでしょう。
自分で向上したいという気持ちを起こさない限りは人間私もそうでしたが、変わらないのです。
とにかく、何があっても自分達が責任をあまり感じないようにすることです。
シヌシヌ詐欺の本人様に、自分で精神的な向上を求めるように、色々助言をすればいいのです。
そうすると、それはやりたくないから「うるせぇな」という思考になって向こうから電話切ります。
人によっては、こういうところで質問すると立ち直っていく人があるように、義弟にフィットする精神向上機関を見つけてもらうことです。貴女や母親の所では成長するわけがありません。だから、突き放すのではなく送り出すだけでいいのです。
どのみち、本人はしたいようにしか行動しません。
シヌシヌ言って死んでないのですから、死ぬ気は最初からないのでしょう。
こう言っちゃなんですが、私の所にはしょっちゅう死にたい電話がかかってきますが、メインは死にたいではなく、より良く生きるための方法を探したい、なのです。
あなた・ご主人・義母が死んだらその人は自分で生きていくよりほかにないことを自分で自覚させると良いでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

義理の弟の人生です。

同じような、質問たまにあります。

いつも、答えは同じです「相手にしないで!」です。
とても冷たいように感じますが、「死ぬ」というフレーズさえ使えば、相手は何でもしてくれるという、最も卑劣な方法です。
HASさんも、どれだけ、そのために苦労され、尽力されたかです。大切な子育ての時期や、家庭の楽しい時間を奪われたのでしょうか。その都度、一生懸命の努力されました。
でも、それで解決しましたか?
また、そのうち「死んでやる」といってかかってくるでしょう。

もう、関わらくてもいいです。たしかに「死」という言葉に不安になるでしょう。しかし、「死」に対する考え方(ここでは省略しますが)が変われば、恐怖でもなんでもありません。
いままで、「死にます」と言った方より、なにも言わずに亡くなった方のほうが多いです。

今日から、きっぱりと断ればいいです。義理の弟の人生は、彼自身の人生ですから任せましょう。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにもにある”と発願し、法筵寺を新寺建立。住職として41年になります。どこまで、その思いを達成しているか分かりませんが、少しでもお釈迦様、日蓮聖人の教えに触れて頂けたら思います。 FB https://www.facebook.com/kaisho.suzuki 法筵寺FB https://www.facebook.com/houenji/ 日蓮宗ポータブルサイト内 https://temple.nichiren.or.jp/3031069-houenji/

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