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母の態度に夫が怒っている

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有り難し有り難し 24

初めて相談させていただきます。
私の夫が私の母を嫌っています。
理由は母が夫を馬鹿にしたような発言をするためだそうです。

母は昔から人をステータス等で判断したり、私が傷つくようなことをやめてと言っても言うような人です。反論すると倍になって返ってくるので我慢するしかありません。

家族(弟夫婦も含む)と私達夫婦で食事中、夫の出身地を何もないところと馬鹿にして、そこに住む人はパチンコくらいしか楽しみがないとまで言いました。
夫はうちの祖父もパチンコに行っていたと話していて、笑っていたので気にしてないのかなと思っていました。正直私は母のあまりの失礼さに怒りを感じていました。

他にも両親と夫とで焼肉に行った時、夫が焼いてくれていたのですが、弟(自分の息子)が焼肉屋でバイト経験があるから焼くのがうまいという話を始めたこともありました。

結婚して8年目にして初めて、ずっと母のことを嫌っていたことを告白されました。かなり怒りは強いようで、「たまにしか会わない人間だし、表面上は普通に接してる」「(実家に)行かなくていいなら行きたくねーよ。めんどくせー!」と吐き捨てるように言われました。

私も母には幼い頃から傷つけられ振り回されてきたので、正直嫌で嫌でたまりませんがそれでも親なので、ひどい言われ方をしたのはショックでした。

でも夫に対して失礼な態度をとる母にも怒りでいっぱいです。

夫がいないところでも私に夫の職業を侮辱したり、父親を知らない夫の血筋をはっきりさせろ、うちは血筋を気にする家系だなどと言われたこともあります。

私が気づかないところで馬鹿にしたこともあるかもしれません。

そういうこともあり、次食事等に誘われたら私はどうしたらいいのだろうと悩んでいます。夫が怒っていることを母に伝えたほうがよいのでしょうか。アドバイスいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

他人は変えられない

お釈迦さんの言葉に
「人は口の中に斧を持って生まれてくる」
というのがあります。
「言葉というものは相手を傷つけてしまう事があるが、それは同時に自分も傷つけている」
という意味です。

お母さんの性格もあるのでしょうが、本人的には、相手を傷つけるつもりで言っているのか、なんにも気づかずに冗談として言っているか、私には解りかねるのですが、どのみちあなた方ご夫婦からは嫌われてしまっているわけで、それだけでも不幸なことだと言えますね。

もうひとつ、お釈迦さんの言葉
「他人の間違いに目を向けるな、他人のしたこと、しなかったことを見てはならない、自分のしたこと、しなかったことだけを見つめよ」(法句経)
他人は変えられません、ならば自分が変わるしかありません。
傷ついた経験もまた、人生の教訓と考え、夫婦仲良く過ごして下さい^^

恨みつらみを抱えたままですと、お二人の心の健康にもよろしくありません、よく話し合って適度な距離感をとる方が良いのかもしれませんが、和を保つことも大事ですよ。

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個別相談可能
様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

どっちもあなたが思っているほどではない

ぶっちゃけあなたのお母さんは失礼な言動があったのでしょう。
ぶっちゃけあなたの旦那さんはそれでカチンときたのでしょう。
ですが、それはそれでこの世の終焉ではありましね。
ぶっちゃけ旦那さんは本音を言ったのでしょう。
ですが、ぶっちゃけ、サラッと思ったことを言っただけ。
私もワイフに本音を言います。
夫はワイフを信頼しているからこそ、フレンドリーに本音を言う事があるのです。
女性はこの男性の心理を知らないと、なんてひどいことを言うの、なんてデリカシーの無い人なの!とカチンときたり、オーマイガ―になったり、ショック死します。(そこまでではないですが)
男性は、男性同士の会話の時、本当に思ったことを言い合える友達が気楽です。
信頼している相手には、思っていることをそのままストレートに言うのです。
ですが、言ってスッキリ、それ以上の事がある訳ではありましね。
お母さんも、毒を吐きますが、思ったことを言っただけなのでしょう。
それが相手には毒になって、傷つけてるとか、怒らせていることも知らないくらいにサラッと昭和感覚で言ってるだけでしょう。
話しの通じる相手には通じるであろうライト感覚な話をあまり大きく受け止めてはいけない。
別の人が聴いたら大丈夫なネタをあまり大きく受け止めて大ごとにしてはならない。
…と思ってみましょう。
間に挟まれると苦しいですから、お互いそれぞれの関係であなたはさほど干渉、介入しなくてよいのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

林様

とてもためになるお話ありがとうございました。質問するまでモヤモヤしていた気持ちが少し整理できました。あとは日々頂いたお言葉を肝に銘じて、和を大切にそして人は変えられないことを頭において精進します。夫婦仲良くが一番ですね(^-^)

丹下様

ご回答ありがとうございました。
ハッとさせられるお言葉でした。人から言われたことをいちいち悪くとったり深刻に捉えてしまう癖があるからです。今回の出来事もあまり深刻に捉える必要はないのですね。1人で考えていたえらどんどん恨みや恐れが積み重なるところでした。今後もこの癖を改め、他人の言動に惑わされず日々を過ごしていきたいと思います(^-^)

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