生きててもいいのか
消えてしまいたい、消えてしまったほうがいいんじゃないかと思ってしまいます。
私が生きててもなんにもならないような気がしてなりません。
どこにいても、この思いが渦巻いて苦しくなります。自傷も再発してしまい、気づくと手や手首を切っています。でも、これは自分への罰としてなんだとわかっています。こんなことを思ってしまう自分への罰なんです。
本当に消えてしまいたいと思っても、死ぬ勇気なんてありません。
充実した生活を送ったり、楽しんでいる友人たちを見てると、自分がみじめに思います。どんどん置いていかれるような、一人になっていくような思いもします。そう思うとやはり消えてしまいたいと思ってしまいます。苦しいです。
人と比べてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分のいのちに世界でいちばんやさしくなぁれ
和尚さんも同じような事を考えていた時期がありました。
ですけど、生きてていいのかとか思う前に、生きているし、3,4時間考えたって答えが出ないことは、分らなくたっていいのです。
誰かの期待通りに生きられないことだってあるし、誰かから良く思われなくてチッとかケッて思ってしまうこともあるけど、それも、ひょっとしたら、じぶんがそうしたかったのにできなかったことがくやしいからであって、そもそも、自分がそうしようと思わなければ、レールから外れても、問題にならなくなるものなのです。
誰かに強制されて、やりたくもない事をやるのは嫌だと思います。
嫌な事はイヤでいいのです。
ですが、もっといえば、好きとか嫌い無しに、それはただそれだってことです。
わたしは、わたし。
それ以上でもそれ以下でもない。
どんな顔に生まれたくても、そうでなくても、これが私。
悪く言う人がいれば、言わせておけばいい。
別に、この体も心も、ヘリも増えもしません。
そのひとが、それをダシに優位に立とうとしているだけです。
大切なのは、私自身を本当に優しくして挙げられるのは、あなただけだってことです。
和尚さんは、最近、体を壊しまして、歩くことも、体に負担の無いようにソフトに、やさしく歩いています。今から、ちょっと、世界でいちばんやさしい呼吸とか、表情とか、歩き方とか、してあげてみてください。自分に。
なにも、自分を傷つけなくても、人間って、幸せになれるものなんです。
過去は、もう、どうでもいいですから。
今から、ちょっと、自分自身に世界で一番ソフトに接してあげてみてください。
自分をイジメていたのは自分だったんだってことが分かるかもしれません。
遠慮なくどうか生きて下さい
ゆら様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
この度は切実なお悩みをお伺いさせて頂きました。
「生きていてもいいのだろうか」、「生きることに意味があるのだろうか」、「消えてしまいたい」・・私たちには、時に耐え難いほどにつらく苦しいこと、悲しいことが色々とありますよね・・非常に厳しく残酷な世界です。
でも、そんな世界であるからこそ、生きていくことは尊いことであり、有り難いことでもございます。
また、私たちは誰も一人で生きていけるような強い存在ではありません。
必ず他のものたちに多くを依存して、そして、支え合って、助け合って、分かち合ってでしか存在できないのでございます。
ゆら様は決して一人ではありません。あまり力にはなれないかもしれませんが、私たちhasunohaの僧侶たちもおります。
どうか、もっともっと上手に他を頼りにしてほしいです。家族、親類、知人、友人、先生・・つらく苦しいときは、助けて下さい、お願いしますと遠慮せずに声をあげてほしいと存じます。
そして、また、きっとゆら様も誰かに助けを求められて、頼りにされることだってあるでしょう、その時にはできることで、できる限り力になって頂きたいと思います。
私たちは「生きている」のではありません、邦元様もおっしゃられていますように「生かされている」のでございます。
人間だけではなく、動物たちや植物たち、大自然の営みにも目を向けてみて下さい。食べ物一つだって、息の一息だって、色々なお陰様で生かされてある己の存在というものをしっかりと捉えていければいくほどに、きっとそう軽々に「死にたい」とは思わなくなっていくのではないだろうかと存じます。
苦しいとき、しんどい時には、海や河原、山などに行かれて、心静かに自然を感じられてみて下さい。風の音、川のせせらぎや波の音、日射しの暖かさ、鳥や虫たちの鳴き声、流れゆく雲・・自分の「いのち」と向き合えるゆっくりとした時間も持たれてみて下さい。そして、生かされている自分というものを少しずつにでも体感なさられてみて下さいませ。
生かされている限り、生きてていいのです。余計な遠慮はいりません。大いに生かされて生きてほしいと存じます。
どうか、ゆら様が明るく笑顔絶やさずに過ごすことができていけますように。
川口英俊 合掌
責任なんてものは存在しない
ゆらさま
とってもまじめで優しい方なんですね。わたしも、同じような気持ちになった時期がありました。考えれば考えるほど、一人な気がするのです。わたしの場合、人の輪に入るのが嫌になりました。
でも、それは全て頭の中の世界の話でした。
妄想の世界。頭の中はひたすらに自分を責めて、痛めつけます。無限です。自分に責任があると感じてしまうことも根拠のない頭の中だけの話。責任なんてものは存在しないと思います。人間が作り上げたものでしょう。あるのは因果だけだとおもいます。そんなものに振り回されないでください。
生きていていいから、今もこうして生かされているのだ。ひとりぼっちなんてことはない。
生きるって簡単じゃ無い
ゆらさん、はじめまして。
自分が生きていることを実感したいのですね。
でも、自分を傷つけていても何も変わりません。
あなたが何をトラウマにしているのかわかりませんが、「自分への罰」と書かれているということは、なにか原因がありますね。
でも、そのトラウマを消そうとしてもなかなか消せない。
人間は過去のことを消そうとしても消せませんし消えません。
そんな便利な能力はありません。
過去のことは消すのではなく、色んな物事の作用で無用になってゆくのです。
左右の天秤に同じ重さのおもりを乗せると天秤が釣り合うのと同じように、それと同じかそれ以上の何かが過去のものごとを必要でないものにしてくれます。
つまり、自分を取り巻く色んな関わりが、それを消してくれるのです。
ただ、今いる場所から動かなければ、それを消してくれる物事には出会えません。
動かなければ、手の届くところに材料はなくなります。
一歩動けば、一歩分また新しい材料に手が届きます。
あなただけではありません。
全ての人はそうやって自分を保つ材料をつかんでゆくのです。
心が行き詰まりそうになったら、何でもいい、手近なことをやってみて下さい。
一度やったからといって変わるものではありませんが、二度三度続けてやってみることで、また新しい何かに出会うことが出来るようになります。
二度三度でダメなら、10回100回とやってみて下さい。
別のことを探すのもいい。
今のあなたには見えていないかもしれませんが、全ての人は、多かれ少なかれそうやって自分を一生懸命に保ちながら生きています。
必要でないものはここに存在しません。
必要でないと思えるのは、自分の目が一方向しか見ていないからです。
乗り越えなければいけないことは、目を瞑ってもそこにあります。
その場は逃げてもまた追ってきます。
例えこの世で逃げ切っても、来世でまた同じ事を繰り返します。
あなたはあなたのために他の誰よりも必要なのですよ。