父の死についての心の持ちよう
先日、父が亡くなりました。
半年ほど入院していて、ずっと家に居なかった上に、容態の急変で死に目には会えず、遺体は病院から葬儀社へ直行したため、父の死が実感できません。
火葬の日まで、祭壇を家に置くことを葬儀社から案内されましたが、断りました。家に帰って祭壇を見るたびに、父はもう死にました!と突き付けられるのが、どうしても嫌だったからです。
こう思うこと自体、親不孝なのでしょうか。
数日後に父を火葬します(通夜は行わず、葬儀は火葬後に父の故郷で行います)。お伺いしたいのは、その火葬の日までに、父の死としっかり向き合い、覚悟を決めて火葬に臨むべきなのでしょうか。
今、心をどこにどう置いていいのか、とても迷っています。
父の遺体と2度ほど対面しましたが、穏やかな顔してるね~と私は笑うばかりで、まだ一度も泣いていません。
遺体を前にしても、変な違和感と、どこか他人事のような感覚…というよりは他人事にしたい感覚というか、死と向き合うことから逃げているのかもしれません。
こうして文章を打っていると涙が込み上げてきますが、それでもまだ死と向き合えずにいます。
今、私は心をどう置くべきなのでしょうか。
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考えたくない時もある
嘉埜様。御尊父様のお亡くなり、大変で御座いました。
心の置き所を考えるよりも、まずは父の死を考えたくない自分は、それほどまでに父を愛してきたのだと受け止め、其の姿を決して親不孝とは思わないお父様だと感じて下さい。
火葬までに心が向かずとも焦る必要はありません。ゆっくりと受け止めて行きましょう。
今は、死を直視できない程追い詰められている自分の心を労わってあげて下さい。
質問者からのお礼
御回答を拝見して、父の死後、初めてぼろぼろ泣きました。
生前は、父とは口をきけば喧嘩になるような間柄で、決して折り合いが良くはありませんでしたが、お言葉を頂いて、ああ、そうか、私お父さんのこと大好きだったんだ、と思ったら、とても心が軽くなりました。
ご相談する前が嘘のように、今は心が凪いだ海のようになっています。これで、やっと、自然な気持ちで父を見送ることが出来そうです。
心を救って頂いて、感謝の言葉しかありません、本当にありがとうございました。