とある不思議なお寺の住職
先月からご縁があり、とある相続関係の仕事をさせていただきました。内容は、同じ区画内の土地と建物の権利者がそれぞれ4人おり、権利が複雑な為、権利関係を整理するという内容でした。その一部にとあるお寺の所有の土地があり、事前に住職にお話しをしたところ他の権利者に譲渡(売買)の話をしてもらえないかとの事だったので、時間がかかりましたが何とか承諾いただき他の3人の権利も整理できそうな所まで話がまとまりかけたところ、
そのお寺の住職が売らないと突然言い出し、話が破断に終わりました。私が残念に感じたのは、その住職はお金の話(そんな安い金もらってもしょうもないなど・・)が多く、また誰が損か得かの話も多く、仏に仕える方として有るまじき発言だと感じました。同じ住職としてどう思いますか?私はお寺や住職さんの心を作るお話が好きで前から「住職」という職務を全うしている方には尊敬の念がありましたが、そこのお寺の住職さんは欲深く、由緒あるお寺なのに修行が足りないのかな?と感じました。大きなお寺ほどそういう方が多いのですか? ちなみに私は今回の仕事に対して報酬はなく、奉仕(無料)でさせていただいておりました。どちらが仏に仕えるものかわからなくなりました。同じ住職でもこの方欲深いな?と感じる方いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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原点に還る
私も含めて、僧侶が、職業になってしまっています。。。。。
若かりし頃、師匠より、
『 僧侶は、職業では無い 僧侶は生き方だ 』
と、言われた事を思い出しました。
今一度原点に帰りたいと思いました。
この様な僧侶だけでは無いこと、分かっていただけるとありがたいです。
テラリーマン
てる坊主さん、こんにちは。
同じ僧職を拝命する立場として、ご不快な思いをさせてしまったこと、先ず以てお詫び申し上げます。
状況が詳しく解らないので、はっきりとは申せませんが、
お寺の立場から言えば、お寺の土地とは取りも直さず檀信徒様の土地でもあります。
ですから、あまり売るという状況にはならないものと理解しておりますが、もし売却する段になりましたなら、檀信徒様の代わりに土地を預かる身としては、少しでも檀信徒に供与すべく値踏みすることは当然とも考えます。
ただし、もしそれが、住職の私利のためであるとすれば、同じ僧職を拝命している立場としてお恥ずかしい限りです。
お寺をして、宗教法人という一種の会社として扱われてしまう現代社会においては、中にはそのような金欲からなかなか離れられない者も幾何かはおるものと存じます。
僧侶、住職といっても、一生涯修行半ばの身であります。
決して僧侶の全てがそのような者ではありませんが、我々も、お寺のご本尊にお供えいただくお布施の中から、月々なにがしかのお給金を頂戴してこの身を養っております。
てる坊主さんの御諫言を懐深く刻み、皆様のお志であるお布施や財産を、あたかもサラリーのように扱うテラリーマンにはならぬよう、精進して参りたいと存じます。
御諫言有り難うございました。
私から見て欲深い僧侶もいますし、僧侶と名乗らないでほしい僧侶もいます。さらにお礼文の内容を拝見したうえでもう一歩…
私のお寺と言うべきか宗派というべきか分かりませんが、ウチのお寺には2つの会計がありまして、一つは宗教法人の会計、もう一つは総代会の会計です。そしてここからが重要なのですが、お寺名義の土地は総代会の管轄ですので、いくらで処分しようが住職の収入には一切関係しません。ただ、高く売ってプールしておけば、寄付金を募る必要ができた時にお檀家さんの分担金が減るという面はあります。
世知辛いことに、都市部ではお寺の掃き掃除をしただけでコストが発生します。野焼き禁止で燃えるゴミに出すのですから。東京にいたっては木造建築が制限されており、鉄筋コンクリで作らざるを得なかったお寺もあります。コンクリには耐用年数がありますから数十年スパンで建て替えが発生します。
お寺の建て替えはいくらかかるでしょうか?人づてに聞いた話ですが、あるお寺の例では『本堂だけで』最低3億円の見積もりがでたそうです。お檀家さん300軒として、単純に割っても1軒あたり100万円です。護持会の積み立て、宗教法人の予算や住職のポケットマネー、有力な大檀那さんがやりくりしても、半額になるかどうか…これが数十年スパンですよ?当然、本堂だけというわけにはいかないですし…
東京は極端としても、似たような計算は住職には付き物です。木造だって修繕すれば切りがないですから…
まともな金銭感覚ならたとえ欲深と罵られようとも、あらかじめ儲けてできる限り準備しておくことを考えます。準備して、し切れなかった分をお願いせねば申し訳なくてなりません。
もし住職にその気がなくても、総代の誰かしらは必ず金額の話を持ち出すものです。(と言うより本来は総代さんの職分です。上座部仏教でお坊さんが聖人でいられるのは、お檀家さんが何から何までやってお坊さんに絶対さず、修行に専念できる環境を整えるからです。)そこに嘘をついてしまう要因があるように思われます。
さて、実際の本音は知る由もありませんが、事情を考慮せず、他人の欠点をとりあえず人間性のせいにしてしまうことを、心理学では「根本帰属エラー」と言います。それは真実を見るための見方ではなく、自分を満足させるための見方でしかありません。この単語を自分に言い聞かせると心に少し余裕ができますよ。
悲しいことです
てる坊主さん 本文読ませていただきました
我々僧侶はお寺を預かる身ではありますが、長く住職を務めていると、自分の物の様に思ってしまう方もいらっしゃると思います。
元は自分がしっかりとお寺を護って行こうという気概が時間と共に変質してしまうことも有ると思います。
てる坊主さんが不快に思ったのは、住職の態度や言動に世俗以上の世俗の臭いを感じたからではないでしょうか?
これは僧籍にある身としては、気をつけなければならないと思います。
色々な事情で断わるにしても、間を取ってご苦労をかけた方に不快な感情を起こさせてしまい、あまつさえ釈尊の教えに不信感を抱かせてしまうことは、僧侶として甚だ配慮に欠けていたと思います。
しかし、この住職さんが特殊であるわけではなく、私も同じ様になる可能性が常にあります。
てる坊主さんの体験を通して私も心の底から気を付けてたいと思います。また、今回の出来事は、仏様が「お前も心して気をつけよ」とお悟しくだされたと思い忘れないように日々精進してまいります
お坊さんも人の子
てる坊主様
私の知る限り、お坊さんも人の子。あまり一般の人と変わりません。ただ、人によってはそれぞれ光るもの、よいところも悪いところがあります。
ちなみに私の知る限り歴史上もっとも欲深い方はお釈迦様です。
だってあれだけ多くの人を救い、2500年・600年たったいまでもこれだけ多くの方を救おうとされているのですから。
残念ながら……
残念ながら、世間様にお話したくない内輪話は多々ありすぎます。私からみて同業者、一般の方から見て聖職者のありようは、あまりよいものとはいえません。
私の場合は、数少ない例外的に立派なお坊さん(や牧師様)とお近づきになり、その方々とのかかわりを大切にし、他のものはあまりみないようにしています。
くれぐれも申しておきます。立派な宗教家は少ないながら存在しますので捨てたものではないにしろ、単にお坊さんだからという理由で立派な人だとはお思いにならないことです。
質問者からのお礼
小黒澤 和常様 小原観慈様 さっそくのご回答ありがとうございます。 この権に関しては、身を引きましたのであまり罰当たりな事は言いたくないですし、お寺の大事な財産を右から左に簡単に動かせないのは、認識してますが、最初、そのご住職に私が問題を説明に上がった時に住職からもう一方の地主にもらってくれるか(買取って)聞いてくれないかと提議したのはその住職さんからで、それで他の方に話をし、まとめた上で再度確認したら売らないと言い出しました。また、他の筆頭総代役員の前で私は売るとか言ってないとまで言われたので私は唖然としました。方便ならまだしも嘘までもついたのでこの住職はありえんと思い、だったら最初から譲るとか言うなと思いました。今回の件に関しては、私は無報酬なので皆さんが円満に解決する事を望んで徳を積むつもりだったので非常に残念に思い、身を引く事を決意しました。最後に私が言いたいのは、すさんだ世の中(平気で親を殺したり・子どもを殺したり等)で、お寺を通じて争いのない世の中にしていただきたいところ、もめるかもしれない道をその住職が選ばれた事に残念にかんじました。私も心が狭いと思うので気持ち切り替えてもっと心の勉強に精進したいと考えております。
讃岐英昌様 藤岡俊彦様 回答ありがとうございます。罪を憎んで人を憎まずという言葉がありますが、私は、人から受けた良い行いも悪い行いも真に受けたり、引きずったりする癖のようなものがありますので、これからは、できるだけ人から受けた良い行いだけを考え、感謝の気持ちを念頭におき精進したいですね。争いや憎しみや恨みつらみからは何も良い事は生まないと考えてるのですがついつい腹を立てたりしますので心の勉強をしていきたいと思います。