このような動機で僧侶になるべきか?
こんな動機で僧侶になっていいものでしょうか?
月並みなことですが、私の幼少の頃の夢は正義のヒーローでした。
戦隊モノなど、幼い私にはとても魅力的に思えたものです。
それから時は経ち、直接的な正義のヒーローという職などはないということに気付きまして、それでもそれに近い職がないかを考えておりました。
そして、祖父が曹洞宗の方丈であるというご縁があり、僧侶になるという選択肢が出てきて、私は出家をしたくなりました。
なぜかというと、般若心経というお経の意味を本で知ったからです。より良い生き方への道しるべのような意味を持つものだと本で読み、死者や生者を救う仕事のように思えたのです。私自身、あまり善く生きてきたとは言えませんが、この般若心経の現代語訳を知ってから唱えると何か心が安らぎ救われたような気がしました。
このような仏教の教えを深く知りたいですし、それによって誰かを救いたい、仏教こそが私の幼少の頃より目指していたものだと感じました。
今現在、得度すら終えていませんが、このような考えで僧侶になってもいいものでしょうか?
出家するのなら、恐縮ですが善い僧侶になりたいと思います。
ご回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ちょっと話が広がってしまいますが
私も昔は人並みに「発心(出家の動機)が何より大切」と信じていましたが、この論文を読んで世界が変わりました。
http://ci.nii.ac.jp/els/110006997907.pdf?id=ART0008909172&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1484776828&cp=
原始経典に見えるお釈迦さま当時のお弟子さんでさえ、大半が他人の出家や貧乏からの逃避、祇園精舎の設立で興味を持って…のようなロクでもない動機でお坊さんになっています。あぁ、それで良いんだな…と。
私たちはついつい、いわゆるナマグサ坊主を見かけると「あいつはちゃんとした発心を持って出家しなかったからダメだ」と言ってしまいます。でも少なくともお釈迦さまは逆だったのですね。どんな動機であろうと出家させた後に、仏道に目覚めさせてやろうという自信と覚悟があった。だからどんな動機であろうと門前払しなかったわけです。
考えてみればお坊さんだって表では「お寺に来るキッカケは何でも良いんです」とか言いながら、仲間うちでは「あいつが真面目に修行しないのは発心がねぇからだ」と矛盾したことを言います。これって、指導者や先輩としての甘えですよね。見下してさえいれば対外的にも内的にも、自分は真面目だと面子を保てるだけですから。この論文、お山に行く前に知りたかったな…
実際、人によって「世襲のクソ野郎どもには発心がねぇ」と言いますが、じゃあ世襲でなければ真面目かと言うとそうでもありません。逆玉目当て、嫁さん目当てで出家した人いっぱいいます。世襲でも嫁さん目当てでも真面目な者は真面目だし、不真面目な者は不真面目です。それは上辺でしか無いんです。
そしてコレが大切。真面目な者でも真面目な時は真面目だし、不真面目な時は不真面目。不真面目な者に不真面目な時間が多くとも、真面目な瞬間はあります。
さて、回答です。出家しちゃいましょう。そしてよくよく覚えておいて下さい。最初の一歩を踏み出すために動機は大切です。世間に対する方便としても動機の良し悪しは大切です。でも、本当はあなたは1秒1秒違う自分です。その意味で過去の動機に意味はありません。良くも悪くもお坊さんになる前から先入観を持たず、日々、目の前の仏道にクリアに向き合って下さい。
まず、「この人だ!」と思えるような良い師僧を探してください
曹洞宗で出家得度されるのであれば、まず良い師僧を探されることをおすすめします。
得度させてくれれば誰でも良い、というような気持ちでいるととんでもない失敗をすることがあります。
蛇足ながらつけくわえると、僧侶の世界に過剰な期待をされないことです。
人の集団として見た時、僧侶の世界も娑婆の会社などとさして違いはありません。
せっかく得度させてもらったのに、いざとなって「自分の思っていたのと違った」と落胆したり、さらには得度の師にまで「だまされた」と怒りを向けるようなことになってしまった人を、実際に見ています。
そのようなことになってはご本人にとっても、師僧になってくれた方にも残念なことです。
あせらず、良い師僧を探されることをおすすめします。
ご縁がととのう=仏さまからのOK
わーい!祝・発菩提心!おめでとうございますー!
動機がなんであれ、仏門とのご縁がととのっているからこそ、出家させて頂けるのだと思います。
一緒に修行に励みましょうー!
さて、僭越ながらひとこと…
「何故するか?」も大切かもしれませんが、「何をするか?」も大切な気がします。
『便所掃除』という濱口國雄さんの詩があります。
「扉をあけます/頭のしんまでくさくなります/まともに見ることが出来ません/神経までしびれる悲しいよごしかたです/澄んだ夜明けの空気もくさくします/掃除がいっぺんにいやになります…」
かなり衝撃的な詩なので、続きを引用するのは遠慮します…笑
でも、何かにつまづいたときに、「修行ってこういうものだよなー」って、思い出させてくれるすてきな詩です。
もし良かったら、修行生活のお守りとしてお持ちくださいね。
応援しています!
合掌
ぜひお坊さんになってください
拝読させて頂きました。ぜひお坊さんになって研鑽を積んで皆さんを正しくお導きなさるお坊さんになってくださいね。
己が仏となるために、そして人々を導くためにぜひがんばってください。
修行にはいればたくさんの同僚であり道場仲間ができます。
そのなかで皆それぞれお坊さんを目指すわけですから様々いろんな話も聞けるでしょう。
あなたがお坊さんになって多くの方々が有難きご佛縁に導かれて救われて参りますことを心より仏様やななたのご先祖様にお祈り申し上げます。
またお坊さんになったらぜひhasunoha回答僧侶にもなってくださいね。
あなたをこれからお待ち申し上げます。