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輪廻転生では「人」に生まれることは良いことでしょうか。

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いつも様々なお坊さんの回答を読み、勉強させて頂いています。

輪廻転生の考え方では、前世での行いが悪いと畜生や地獄に生まれ変わると聞きました。
仏教では、人間は畜生より格上(優秀な生き物)と考えるのでしょうか。

わたしは人として生きるのがとてもつらく、植物や虫、大自然のなかで生きる動物たちがとても幸せそうに思えます。
本能や生命システムのみに従ってただ「生」を邁進する生き物より、苦しみや醜さ狡さを背負ってでもなお人間の「生」には価値があるのでしょうか。
お互いを脅かし傷つけ合うのが人間の性でもあるのなら、人間より畜生のほうが全うな道であるように思えます。

人間がすばらしい生き物とは思えず、人間に生まれて良かったとも思えず、苦しい気持ちを持て余す毎日です。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人だから仏になれる。

ぽち子さん、はじめまして。

本能のまま生きていることは一見楽に見えるかもしれません。

お互いを脅かし傷つけ合うのが人間の性とありますが、これは人間の中にある野生の本能の中の一部分です。
動物は、繁殖するために他の動物と境界を争い、自分が生きるために必要なら例え親子でも共食いをします。
植物も、種の保存のために繁殖する土地を常に他の植物を淘汰しながら生きているのです。

人の勝手な目には「呑気でいいなぁ」「のどかでいいなぁ」なんて映るかもしれませんが、人間より動物や植物の方が、常に熾烈な生存競争を繰り返しているのです。

仏教では、争う世界を「修羅」といいますが、人も争えば修羅であり、本能のまま生きれば「畜生」であり、そこで見る世界は「地獄」でありましょう。

我々も、動物や野菜を食べて生活していますが、生存のために食することは自然の摂理ですからこれを悪とは言いません。

ただし、必要以上に動物を殺したり、人の勝手で動物を売り買いしてペットにしたりしている時点で、人は既に動物よりも自分を上に見ているとも言えます。

動物は、他の動物や植物を見れば、食べ物なのか、共存出来るか出来ないかの対象でしかありません。

ですが、その動物を手元に置いて可愛がることは、人にしか出来ないことです。
人は確かに争う動物ですが、争うことを悪と言うことの出来る動物なのです。

仏教では、人しか仏にはなれないと説きます。

ものを考え、苦悩し、それに応じた行動が出来る。
ものを見て、美しいと思い、自分以外に愛情を注ぎ、必要なら堪え、それでも幸せを感じることが出来る。
これらは人だから出来ることなのです。
自分たちを棚に上げて見ることだけでなく、自分を下に置いてみることが出来るのは人だけが持っている能力です。

ただし、人として生まれても、ただ食べ、ただ生殖し、ただ争うだけなら、素晴らしい能力を持っている分だけ畜生にも劣るかもしれません。

動物は毎日食べるために精一杯生きているのです。
人が生を邁進していないと感じるなら、あなたが精一杯生きられていないと感じているからからかもしれません。

人として生まれたからには、人としてどう精一杯生きるかが重要なのです。

人として生まれたこと、とても希なことなのですよ。

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六道で終わるようではもったいない

ぶっちゃけ禅僧丹下です。
犬でもネコでもないのに、そんな事を考えちゃうこと自体、堂々巡りな六道輪廻❝的❞モーソーアルよ。そう思考に陥ることこそ六道に陥るというのでちゅ。
これは個人的に思う所ですが、あなたの為にも空想と、事実が混同して正しい思考を失うからそういう輪廻の解釈自体やめた方がいいと思いましゅ。
もちろん以前、私も、そういう輪廻があると思い込んでいました。
ですが、冷静に考えてみれば、死後の世界の輪廻なんて根拠がない。
そもそも誰が考えたのか?です。
立証できない根拠も何も無いことを、公の場で言ったら「仏教は確証されていないことをあたかも真実であるかの如くに吹聴しているウソ宗教」とバカにされて信じてもらえなくなります。
それは悟るどころかかえって迷いを生み出すというもの。
よって六道思想は、精神の状態を向上させるためのもの、インド古来の土着思想、日本の天国地獄アノ世思想のように人に悪いことをさせないための道徳的な教えと読みとるべきである思います。
明晰な思考、正見、正思惟によって、そういう思考の沼から抜け出すことこそ、本当の六道輪廻からの解脱であると、私は思っています。
アンパンマンも現実ではありません。ですが、正義と悪を教えるには良い教材です。
お釈迦さまの教えは「輪廻するぞ?」ではなく「輪廻から解脱せよ」に重点が置かれます。
禅では、次のように説きます。以下、ご参考までに、
この心に、
苦しみあらば地獄
我欲あらば餓鬼
人の道を外るれば畜生
争えば修羅
相対観念に住すれば人間
永続しない喜びは天上
この六道の輪廻より、さらに一歩を進めよ。
想念を離るれば声聞
事を縁に悟れば、縁覚
人を導き得れば 菩薩
無上の悟りを得れば仏陀

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おきもち

良いことか悪いことかは、あなたのとらえ方次第です。

まずは、このことを確認したいと思います。

輪廻転生ということ自体は、元々の仏教には無かった考えだと
いわれています。

六道と呼ばれる 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天(それぞれ、
他の言い方もありますが)を私たちは巡っているというのが、
簡単な輪廻転生の説明でしょう。

六道を悪い方からよい方に並べると、先ほど書きました順番になる
のですが、人間は四苦から逃れられないように、それぞれの苦しみ
があります。

天においても天人五衰といわれるような苦しみがあり、煩悩から
解脱できないのです。

ですから、畜生も人間も苦しみの程度の差こそあれ、苦しみを持つ
という意味では、変わらないと言えるのでしょう。

他の方々もご回答のように、六道はすべて苦しみを伴い、その苦し
みを抜け出る事が涅槃であり、生死(しょうじ)を繰り返すうちは、
苦しまざるをえません。

そういう意味では、畜生と人間とどちらがよいか、ということはあ
まり問題ではなく、「出離生死(しゅつりしょうじ)」が大切だと
いうことになるのでしょう。

これができるのは、人間だけです。

そういう意味で、人間として生まれ、悲しむ、苦しむということは
大きな意味を持ってくるのでしょう。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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六道輪廻は全て苦しみ

お釈迦様は六道輪廻そのものが苦しみであり、六道輪廻からの解脱が涅槃であると説かれました。

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昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。
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人に生まれたのはチャンス

浄土宗を開いた法然上人の言葉(一紙小消息)に、以下のとおりあります。
「うけがたき人身(にんじん)をうけて、
あいがたき本願にあいて、
おこしがたき道心(どうしん)を発(おこ)して
はなれがたき輪廻の里をはなれて、
生まれがたき浄土に往生せんこと
悦びの中の悦びなり。」
輪廻の繰り返しの中で、人間の身に生まれるのは有り難い(貴重)なことなのです。

さらに、道心(悟りたいという心)を起こし、六道輪廻から脱して浄土(悟ることができる世界)に生まれるのは、よろこびの中のよろこびだそうです。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

思いがけず、たくさんの回答を頂けたこと感謝しております。

人として生まれた苦しみは同時に、喜びでもあるのかもしれないですね。
「人だけが仏になれる」とは、人だけが生きる喜びに感謝して、世界を美しいと思い、他者を愛することができるということなのかなと思いました。

小原観慈さまの >精一杯生きられていないと感じているからかもしれません。
は、返す言葉がないくらいにその通りで、どきっとしました。
どう精一杯生きたらいいのか、いい歳をしてわたしには未だにわかりませんが、人生に対して投げやりな気持ちを持つことは止めようと思いました。

5つの回答すべてに優しさを感じました。
このようなわたしの悩みにお答え頂けて、本当にありがとうございました。

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