hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人間って、何?怖いです、助けてください!

回答数回答 3
有り難し有り難し 41

立て続けに大変申し訳ありません。
 ごめんなさい、やっぱり人間が信じられません。
                      *
 過去の出来事を思い返すとやはり、「人生は戦争、人間同士の殺し合い」なのではないか?という考えに囚われてしまって苦しいです。
 いかに相手を油断させて法の裁きを潜り抜け相手を陥れるか?
 優しさ、慈しみ、利他などと言っていては食われ、奪われ、殺される。
 それが人間社会のように思えて仕方がありません。
 なのでこちらも負けじと啖呵を切っても、怒鳴られたり強い言葉を言われると負けてしまい、心に負傷してしまいます。
                     *
 お医者様がたは「闘う、殺すという考えは間違っている」と仰いますが、どうしても信用できません。
 でも、過去の私には確かに、「布施」「利他」を真剣に考えていた時期がありました。「戦意と殺意」に変わってしまったのは、最近です。
 挙句、「親友」に対しある仏様の名前で「宣戦布告と言う名の迷惑メール」を連続で送ってしまい、絶縁されてしまいました。
 悲しげな怒号が耳について離れません。
                     *
 祈願寺の職員や親兄弟(現在は死別と別居)すらも牙を剥いてくる世界。
 優しくしてもいいんですか?闘わなくていいんですか?
 人間は、慈悲心があってもいいんですか?
 本当は、優しくなりたい。皆さんに堂々とお布施がしたい、もう傷つけたくもないんです!
                     *
 今では、仏様が私の愛しく尊敬する父母です。
 愚かな娘に、どうかお示しください。
 先生方のお知恵を、どうか拝借させてください。
 よろしくお願いいたします。

2017年1月21日 20:55

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が傷つけられるのが怖いというこころ

あなたのここでの質問の根底にはこの心があるんじゃないかと思います。
誰でも傷つくのはいやでしょう。
ですが、人生は長きもの。その心の正体をよくよく見極めなければいけません。
その正体は、自分が想定する最悪の事態というシナリオが起こるのではないかと、妄想することに他なりません。
身を見てください。
どこに傷がありますか。どこにあざがありますか。
どこに打撲痕がありましょうか。
多くの人は実際に傷つきもしないのに、本当に傷つけられたかのような気がして、その錯覚をつかまえて傷ついた傷つけられたとから騒ぎ、騒ぐ必要のないことを騒いでいるという事を知るべきです。
それはものの実相をみていない無明の姿なのです。
だからこそ、ものの本性、真相を知る必要がある。
仏教とはそのためにこそあります。
あなたがあなたの想念地獄に陥らないこと。
それがあなたを今後の人生で迷わせないための方法です。
理知的に生きたければ坐禅、禅マインドを真似ぶと良いでしょう。
関心がありましたら未成年でしたら親御さんもご一緒に坐禅会にお越しください。

2017年1月22日 12:46
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

慈しみを携えて

拝読させて頂きました。あなたがおっしゃるとおりこの世は争いに満ちています。人を蹴落として自分だけが生き残ろうとする弱肉強食の世界が世の中です。どんなに善良な志を持って行動しようとしても、他者の利害の為に潰されてしまうことは本当に良くあることです。
そうして正しく良心に基づいて生きていこうとする人や弱者を助けていこうとする人を排斥しようとする者が多数いることも事実です。
人の歴史とは争いの歴史ですし強者の歴史でもあります。
強者は己れの都合のいい様に勝手に歴史を書き換えてしまいます。
それが現代でも変わらないことは事実です。
とはいえ本当に人はその様に我欲にまみれて悪を行うことで良いのか?と考えてしまいます。
誰もが自分のことばかりを優先して他者を顧みない世界で世の中で本当に良いのか?です。
これはあなたの問題でもあり、私の問題でもあり、みんなの問題なのです。
親子兄弟ご縁のある方々が共に仲良く生きていくこと、お互いを尊重しあい心から理解しあいながら分かち合う生き方は本当に大切なことです。
私達の親は二人ですが、三十代以上遡れば何十億人のご先祖様がいることになるのです。ですから本当は私達はみんなご縁のつながった者同士なのです。
だからこそ共に生きていくことが人を思いやることが大切なことなのです。
あなたも私も天皇陛下も大統領も難民になっている人々もずっと遡ればみんなご縁がつながっているのです。
そのこともどうか心におとどめなさって頂きたいと切に願います。
私達はみんなつながって共に生きているのです。
どうかお互い助け合いながらこれから思いやりながら共に生きて参りましょう。
いつの日にか私達はその生命を全うする時が参ります。その時には仏様にそして私達のご先祖様に心から迎えて頂けます様にと思います。そして私達の親しい方々と心から再会を果たし喜びあうことができる様にと生きて参ります様に切に願います。
あなたの人生も大切な方々と共に心から穏やかに幸多き毎日であります様にとお祈り申し上げますね。
どうかこれから慈しみの心を携えて生きてくださいね。

2017年1月21日 22:21
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして9年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

仏の心は大慈悲なのです。
そして私達は仏教徒ですから、仏になろうと努力しているのです。
慈悲を持とうと努力しているのです。
確かに、世の中、他者と争うこともあります。
その中でも自分にできる範囲で慈悲を持つ努力をしましょうね。
それが私達の仏道修行だと思いますよ。

2017年1月21日 22:29
{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

質問者からのお礼

kousyo Kuuyo Azuma 先生
大変申し訳ありません、ありがとうございます。確かに彼女は私と違い、学校行事に付き合いに多忙なので、余裕をなくしていたのかもしれません…。
過去に「悪いけど、私も忙しいので前のように雑談はできない」と言っていました。
彼女も辛い過去があるせいか「大人な子」で物事をハッキリ言う人間ですが、あんなに感情を露出させたのは初めて見ました。
本当に、配慮が足りなかったと思います。
✴︎
聖章 先生
ご回答、ありがとうございます。
あるお坊様のご著書に「仏教は智慧と慈悲の教えである。智慧をつけるよう努力しなければ慈悲の実行は困難」とありました。
私の脳の特性上、何かあるとすぐにダークな感情や欲求が核分裂を始めてしまいます。
これを機に自分を見つめ直し、「自分、周囲を明るく照らす為の智慧」を付けていきます。
大好きな阿弥陀様やお不動様の悲しむお姿は見たくありません!
その為にも智慧を求めていきます!
まずは私自身の治療ですね……。

丹下 覚元 先生
ご回答ありがとうございます。
無明、今の私にピッタリな言葉だと思います。
確かに「過去に」人間関係でいい思い出が無かったのでそれの繰り返しが怖いのです。
身体に傷はありますが、それは全て自分でつけたものです。 もしかしたら、
「就労訓練や治療に通っていても仕事をしていない私は、いるだけで疎まれる」というのも私の妄想かもしれません。
よく考えたら私は、色んな方に「あんたは若いのに偉いね!よく頑張ってるよ」と褒められることも多いです。それに、ここでも先生方から素敵なお言葉を沢山頂いていますは

すみません誤送信です…
もしかしたら「本当に戦うべき相手は自分の中」にいるのかもしれません。精進致します!!

「人が嫌い・怖い・苦手」問答一覧

他人に興味を持てない、怖い

見てくださりありがとうございます。 自分は他人に興味が無い(もしくは人嫌い?)かもと思っています。 他人に興味が無いのは恐らく中学生くらいのときからで、これは両親の離婚と引越しによる環境の変化で心に余裕がなくなったせいかなと考えています。 人嫌いのきっかけは、大学の卒業研究のペアの人と上手くいかず、思い詰めてしまい社会不安障害になってしまったことだと考えています。 ペアの人は私の都合を気にせず勝手に研究を進めたり(共同でやるべきものでした)、私がほとんど研究を手伝わないなど共通の友達に言いふらしたり、私が先に就活を終えたことを知るとその日から完全に無視したりと、当時の私にはキツいものでした。社会不安障害は医者曰く治りやすいタイプだったそうで、良くなっております。 現在職場での休憩時間中や勤務中のたわいもない雑談、飲み会での話題に興味を持てず、話を終わらせてしまうことが多々あります。 話しかけてくれている相手に気まずい思いをさせたり、気を使わせてしまい、それがしんどいです。 また医療関係の職に就いているので他職種との連携が必須です。医者や看護師など他職種の方と仕事以外の会話が弾まないためか、相手から信頼してもらいにくいのも悩みです。人間関係を広げたり深めたりすることができず、人として医療関係者として成長できないのではという怖さもあります。 書いているうちに、人に興味がない、嫌いというより、人への恐怖感を持っているのかもと思ってきました。 人に興味を持ちたいです。嫌い、怖いという気持ちを少なくしたいです。 医療関係者としてこのままだとまずい気がします。 前回の質問で頂いた回答の通り、これもしっかり休んだり充実した生活を送ればなんとかなるものでしょうか。 お坊さんの考えを教えていただけないでしょうか? 支離滅裂になってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

人間は怖いけど繋がりたい欲とのつきあい方

・中学生くらいの頃から、自然性(身体)と人間性(脳)のことで葛藤をかかえています。 主訴は、人間社会や人間関係などの人間性から生まれる生活(慣習など)がたまらなくしんどいことです。 ・30代前半ではじめて、自我が人間性の部分にがんじがらめになっていたことにたくさん気づくきっかけがあり(わかりやすい例だと、他者からの言動をうけとって性の自己認識が歪んでいたことなど)、 ここ1年ほどそれとどうつき合うか、心理面と肉体的な作用の観点から勉強しています。 ただどうしても、人間性に向き合うとこじれた部分は垣間見るし、人間的な生き方ってしんどいと感じてしまいます。 脳の特性上否応なくわく精神的な欲とずっと折り合いをつける途方のなさに人間しんどい、、のような気持ちになります。 ・仏教的には、人間関係性や人間社会性から離れたいと願うことは、人間の生き方としてどう捉えられるのでしょうか?? ・現実的には、これだけ人間社会にどっぷり浸かって生きてきたので その恩恵からは逃れられないだろうと思いつつ(人間性や人間社会の仕組みのおかげで生きてこれていることもわかる)、 山と里の境のような物理的距離で、人里から離れて自然8割くらいの環境で暮らしたいと夢想してしまいます。 ・だけれど、人間性に傷つきながら、人間関係欲のようなものが強いです。 精神的にしようがない欲だと見ながら、人間はこわいけど人間と繋がりたいのような欲とどのように折り合いをつけていればよいでしょうか? うまくまとめられませんでしたが、アドバイス頂ければうれしいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

人の集まりが苦手です、親戚の人やいとこ達が苦手です

私は、親戚の人達や、いとこの人達の集まりが苦手です。集まりの中にいても、話はうまくできないし、私が話すとシーンとなってしまって、私はいないほうがいいかなと思ってしまって、自分から集まりにも行かないです。 お正月やお盆や、兄が県外から帰って来る時など、よく家に集まって、バーベキューをしたり、ご飯食べたり、話をしに集まるので、毎回、皆が集まる時はその場にいないといけないのに、だめだなと思うんやけど、なかなか直せません。小さい時からやから。 私は皆が集まる所から、だいたい離れています。ご飯は一緒に食べるけど、食べるとだいたいいつも離れて別の部屋に行きます。気まずい空気になるのが怖いから。 皆がわちゃわちゃ楽しそうに話をしてるのを遠くから聞いてて、いいなぁて思います。孤独感を感じます。もう30になるから、しかたないかなぁ… 親戚の人やいとこの人達など、久しぶりに会っても何を話せばいいのか分からないから、あまり話さないし、気まずくなるから、なるべく避けてしまいます。いけないなぁと思うけど、小さい時からやから、やっぱり、しょうがないかなぁ… 私はダメやなぁと思います。誰かが来ると、嫌やなぁとか、早く帰ってほしいとか、せっかく休みやのにゆっくりできんとか、そんな事考えたらいかんけど、考えてしまいます。 誰と話す時も、会話がうまく続かなくて、自分が言いたい事もうまく言えなくて、だから、周りの人達が、楽しそうに話してるのがうらやましいです。でも、私はやっぱりできません。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

傷ついた体験から臆病になりました。

現状問題としては、自他共に無職であることだと認識しています。きっかけは不登校からひきこもりです。どれだけ駄々を捏ねても、他人が人の為に出来ることなど人生においては無くて、自らが動く他はないのでしょう。それを分かっておきながら、他人を責め、自分も責め、何もかもを嫌だと泣き喚いて、日々を無為に過ごし、その過去ですら足枷になる中、真綿で首を絞められるような生活を送っています。 人から指摘されるであろうあらゆる非難や中傷や叱咤激励は、私の中からいつだって私に向けて放たれます、もはや何を言われてもそこに胸を打たれる鮮やかさも無く、ただ心のささくれかの如く事ある毎に引き攣るよう痛むだけです。 しかし、もはやどれほどの痛みを以てしても私は変われないのでしょう、そうすると私を変えてしまうのが肉親の喪失ではないかと思い、恐ろしいです。 そうまでしないと変われないのか、どこまでも怠惰で臆病で卑屈で救いようのない者なんだと。 自らを責めても何のメリットもないことは承知です、でも人に身の上話をする中で自らを痛めつけることを交えなければ、他者からの傷つく言葉が殊更目立つでしょうから、そうして自分を守る癖がついてしまいました。 自分を守るために自分を傷つける、最悪な防衛ですね。そういった手段でしか自分を労われません。 このような性根のねじ曲がった己がただただ口惜しいです。 両親は私の有様を嘆きこそすれ親身に寄り添うことはありません、嘆くことに治めることで精一杯なのでしょう、そうでもしないと私を追い出してしまいたくなるでしょうから(普段からその片鱗は見受けられます)。 過去に深く傷つきました、未だに癒えた気はしません、何かにつけ傷口に塩を塗りこまれ、おかしな癒着をして、もう以前の私には戻れなくなった。 しかし傷つくのは誰しもが日常茶飯事のはず。 ただ私は運がなかったのでしょう、車に轢かれ誰も通りがからず、雨風に晒され血は流れ傷口が塞がっても折れた骨はそのままに、見た目だけやや不格好ながらも立ち上がれた、しかし轢かれたことを知られていない私は誰からも手を差し伸べられずに途方もなく立ちすくむことしか出来ない、歩こうとすれば足は激しく痛み、また轢かれるのではないか今度も誰も助けてくれやしない、こわいこわいこわい。 今の私はおおよそこんな感じでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る