自分が嫌です
私は今学校を休学しています。元々学校が苦手で、学校に行くと具合が悪くなったりしていました。もうこのまま辞めたいと思っています。
しかし、今現在ほとんど働いておらず、ごくたまに派遣のアルバイトはしていますが両親に養ってもらっています。
アルバイトでもいいから働かなくてはと思うのですが働くのが怖く、うだうだと考えてしまいます。
お付き合いしている人がもうすぐ就職して遠くに行ってしまうので、ついていきたい気持ちはありますが、今のままの私では邪魔になるだけですし、ある程度貯金をしてからではないとついて行くことすら難しいと思っています。
最近自分が恥ずかしくて情けないです。甘えてるだけなのもわかっています。
でもどうしたらいいかわかりません。
まとまりのない文章ですが、何かお言葉頂けると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一人を生まれ一人を生き一人を死んでいく
この自己を扱うようにすると良いでしょう。
外の事ばかりを問題にしていることに気づくのです。
学校、バイト、就職、彼氏、自分の悩み…
みんな外の事にしているのがお分かりになりましょうか。
外にものや人、仕事があるのではないのです。
この身の上に行われる事しかないのです。
学校に行けばこの身の上に学校での生活が行われる。
バイトに行けば誰から何を頼まれようとも、仕事を実際に行なうのはこの身に他なりません。
仕事を求め、仕事を見つけ、仕事をするのも、他でもないこの自分自身。
彼氏とのやり取りをする場所はどこにあるか。みな、この自身の内で生じているのです。
自分の悩みを問題にするのも他でもなく、あなた自身の問題なのです。
人生は一生、この自分自身の活動しかありません。
外に何かがある要でも、自分の身の上、五感、六感上の現われなのであると知りましょう。
私は今これを入力しながらTVの音声を聴いていますが、TVとて❝外の事❞ではありません。
「私の事」なのです。「この身の上に生じている事」なのです。
TVが放映されて、それが映像が視えるに所まで映り、音声が届くところにまで届く。隣の家まで音量が上がれば隣の家の人の耳にまで聴こえる。
音が小さければTVの前にいても❝聴こえる❞ことが生じない。
この画面もディスプレイを他に向けてください。
貴女のみの上に映像や文字が生じないでしょう。
外の事ではなく、すべて我が身に生じること、生じていることしか経験ができないのです。
つまりは「この身をおさめ、こころをおさめる事」があなたの人生をより良く生き、自分を好きになれる最上の方法です。
あなたがロボットだとします。
ロボットの乗組員が自分であるとします。
この人間というロボットは実は乗組員無しでも働いてくれるのです。
あなたを主人公とさせないでください。
この与えられた命という乗り物を上手に活用するのです。
あなたが主人公であろうとし続けるからこの身心という乗り物を毛嫌いするようになるのです。
もっともっとオフィシャルにパブリックに私的感情を交えずして高い高い所からこの人間という乗り物を見つめてみましょう。
呼吸は誰がやってくれているのでしょうか。
髪の毛は誰が伸ばしてくれているのでしょう。
思いは何処から誰が生じているのでしょう。
本当の主人公を感じられれば好き嫌いすら無くなりましょう。