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男性不振です

回答数回答 3
有り難し有り難し 35

助けてください
とても辛いです

半年ぐらい前にお見合いのことで相談させてもらったものです

自分はお見合い=結婚相手を探す場所と思い自分なりに本気で挑んでいましたがお見合い相手からは遊び相手(セックスする相手)を探す程度だったそうです

本当に本気だったので反動からかあれ以来男性不振になってしまいました

友達や親からこんな人いるんだけど会わない?と紹介されても

またそういう扱いされるかも
どうせ下の事しか考えてないくせに
近くにいるだけで不快
もう会うの面倒

と思ってしまいます

あの人が糞だ、他の人は違うかもというのは分かっていますがでも自分の中で踏ん切りがつきません

男性の事をそう思ってしまうこと
このままだと一生結婚は出来ないだろうということが辛いです

普段はそんな感じは出さないので紹介されても理由をつけて会いません

でもおやは私の歳を考えて会うだけ釣書見るだけと言いますが見るのも嫌なんです

このままだと人間不振になりそうだし、どうやったら男性不振は治るでしょうか本当に辛いです


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

男性とししとう

最近、ししとうの天ぷらを食べましてね。
3つあるうちの1つ目は美味しかったんですが、2つがとっても辛かったんです。
なので3つ目を食べることにとっても躊躇してしまいました。

まぁ、たぶん多くの方が似たような経験をしていると思います。

今回のあらたさんの質問も
「ししとうは辛くないと思い込んで、食べてみて衝撃を受けた」ことと似ていると思います。
私も次を口にするのは怖かったですから、疑ってしまったり不信になる気持ちは仕方ないと思います。

じゃあどうするか。
二度と口にしなければいいだけではありますが、
ただ、辛くなくて美味しいししとうも確かにあります。
男性も、今回のような男性ばかりではないことも事実です。

さてさて。
まだししとうネタを引っ張りますが、実は辛いししとうの見分け方がいくつかあるのです。
経験と知識で辛いししとうは結構避けることができます。
中には見分けがつきにくいのもあるかもしれません。
そこは、自分の調理方法でカバーするっきゃありません。

男性も、今回の経験と知識をフルに活かすことで、同じような男性を避けることができるようになるかもしれません。
また自分の付き合い方によって、相手との関係も変えることもできます。
振り返ってみて、自分の調理法(付き合い方)は百点満点でしたか?
そうではないと思うところがあるなら、まだまだ改良の余地ありです。

次に進むには、少しの勇気が必要です。
無理に踏み込む必要はありませんが、人の心も諸行無常。
今の感情が死ぬまで変わらないってことはありませんからね。

いいご縁があることを祈願しています(^_^)

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれることができればと思います。 そしてこの縁によって仏教の良さを知って頂けるととても嬉しいです。

この世に同じ男性はいません

「太ぇ野郎だ。ただじゃおかねぇ。」
これは私があなたの立場もしくはあなたの父親、遠山の金さんだったら、次の被害者が出る前にその男性をネットで実名顔写真付きの公開で公開処刑でございますね。
ふざけた野郎です。
法が裁かないのであれば、あ、俺が裁くまでよォ。
その事務所にも被害報告をするべきでしょう。ですが、何かをしてくれるというわけでもないでしょう。
女性の純粋な心を踏みにじる外道め、あ、生かしちゃおけねぇ。
結婚したい女性の純粋さを利用、悪用した法に引っかからない合法の性犯罪と言えるのではないでしょうか。
実名公開で社会的制裁あるのみでしょう。
悪人は表沙汰にならないから悪事を続けていくのです。
その悪事に気づいたのはあなた以外にありませんから、気づいたあなたならばこそできる何かがあろうと思います。
さて、男性❝不信❞ということでございますが、世の中そんな男性ばかりではありません。
確かに男性には性欲はつきものです。
被害に遭われたのは本当に悲しいことですが、泣き寝入りのままではいけません。
あなたが前向きに生きていくためにも悪に立ち向かう気持ちをもって下さい。
その男は今後もその場所を活用して女性を傷つけていくことでありましょう。
怒りは公憤であれば悪いものではありません。
あなた自身の尊厳を守るためにも公の憤りをもってそのふざけた人間の悪事を世に知らしめてください。
それは復讐ではありません。
悪事を世に明かすというだけです。
不正が明るみになり、御心が休まりますよう御祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お見合いがいいですか?

こんばんは。何とも失礼なことを言いそうで申し訳ないのですが。
前回の問いで「何十回とお見合いしてきた」事を書かれていますね。それが誇張でないとすれば、「この一件で男性不信」というのは、相当な箱入り娘様なのですね。今までいろんな男性を見てこられただろうに…。恐れ入りますが、「お見合い→交際→結婚」というプロセスよりも、交際抜きで結婚してしまっては如何ですか?どのみち他人なのですから価値観や性格の不一致は当たり前。その前提の上で共感できるところを探していく、というのが結婚の醍醐味です。「この人100%大好き!」でスタートすると、減点下り坂になりやすいものですから、一層の事0%スタートにしてみては如何でしょうか?
あるいは、もう紹介はコリゴリと、自力で見つける。もちろん玉石混交ですから身を晒して勝負しなければならないかも知れません。けれど、その方が度胸がついて多角的に男性を見られるようになるかも、と思います。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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