愚痴ばかり言う自分が嫌です。
最近とてもイライラすることが多いです。
外では「いつも笑ってて楽しそう」と言われ、友人はそれで勘違いしたのか私に対して何を言っても私が怒らないと思っている節があります。
無神経な言葉を言う、ありがとうも言わない、いろんなことが気になってどんどんイライラが溜まっていきます。
私は内心、「なんだこいつは!ムカつくムカつくムカつく」と思っています。
自動車学校で嫌な教官にあたってしまったときも上記のようなことを思っています。
その反動でTwitterや家では愚痴を言ってばかりです。
最近ではそんな自分に嫌気がさしてきています。
愚痴を言っても自分のなかでは落ち着かず、更にはこんな愚痴ばかり言っている自分にも嫌になります。
こんな愚痴ばかり言っている自分がとても嫌です。でも愚痴を言わないとどうにもやってられない。
もうこんな愚痴ばかり言う生活は嫌です。
でも自分のイライラとの向き合い方がわからないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
表現の練習と習得
こんばんは。「あの人は、何を言っても怒らない」…言った本人は軽い言葉だったり、誉め言葉だったりすることさえありますが、言われた方は「後になってズッシリ重くなる」言葉ですよね。私も小さい頃からそういう風に見られていたようで(自分の記憶なので怪しいですが)、思い返せば相当酷い言葉をぶつけられていました。
…当時から私は「スルーする」癖があったので「ずしーん」という事はなかったのですが、逆に「本当に親切な忠告」もスルーする人に育っていってしまったのです。相手の言葉をみな軽く流しちゃう。そのせいか、計算間違えとか多かったですね。
でいろいろ他人とぶつかったりしながら気づいたのは「やはり、イヤも言えなければならない」ということでした。ですので、私は貴女より一歩、遠回りをしてしまった気がします。
今のところ、「ナンダこいつ!ムカツク!」という言葉が浮かんでしまうのでしょうけれど、それは粗野で乱暴。そのまま出すと人間関係に影を落とします(落としてもいい時もあると思いますが)。
なので、軽いところから練習しましょう。「え、どうしたの?」「聞こえなかったから、もう一遍はなして?」あたりは行けそうですか?「私、それはイヤだなぁ」と可愛さを注入して言うのは?「ゴメン、よく分からない」「ゴメン、私はそうは思えない」程度までは行きましょう。
若い貴女は、これから1人の人間として社会に出て行くのでしょう?その時、避けなければならないシーンが必ず来ます。「ムカツク!」で周りを蹴散らしてもいいのですが、それは喚いているだけ。「オモチャ買って〜」とジタバタしている幼稚園児とかわりありません。
否定したり問い返す時ほど冷静に(低めの声で)。それができる人は、実は信頼されるようになります。「いつも明るいけれど、ダメなところはビシっと言ってくれるんだよね」の方が、大人です。モテる子になります。
正しい行いと智慧に基づいて
拝読させて頂きました。確かに毎日生きているとああだこうだ愚痴を言いたくもなりますね。世の中理不尽なことがたくさんあって不平不満がつのりますよね。あなたのお気持ちよくわかります。
愚痴とは仏教では愚かさを表します。つまりは自分の愚かな様を表しているのです。それは自分にとっても周りにとっても良いことでは決してありません。
逆に自分も周りも害する毒なのです。
ですから愚痴を言えば言うほど自分も周りも毒されていくことになります。
つまりだれしもがその毒に害されて不幸になっていくことなのです。
吐き出した毒は取り返しはできません。
ですから愚痴を言うことをやめることが大切です。では何故そう愚痴が出るのかですが、根本的に真理や正しい智慧がないからなのです。我欲や目先の損得や感情に振り回されるから自分も周りも愚かな言動が出てしまいます。
それによって不平不満が集まりその毒が愚痴に変わるのです。
ですからできる限り先ず自分が心を清めて冷静に正しい行いをなすことです。
そして同時に我欲や感情に振り回されないことですし、我欲を優先する様な愚か者から離れることです。
しっかりと線引きして生きることです。
あなたがこれからの人生を正しい行いと智慧に基づいて周りの人たちと共に心から正しくお健やかに生きていかれます様にと仏様にお祈り申し上げます。