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嫌なことばっかり起きます

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有り難し有り難し 38

先週の金曜日は体調の悪い中行った飲み会で目の前の人がいきなりお店の人と喧嘩をし出して、席を変わろうと思って横の人に「どいて」と言ったのに、酔っ払っておしゃべりに夢中になっている人に「大丈夫。大丈夫」と無責任なことを言われて、どいてくれなくて、目の前で起こっている喧嘩の一部始終を見る羽目になり。
今日は今日で、毎週やっているイベントに少し遅れて行ったら(しかもそれは事前にわかっていて伝えてあったのに)嫌味をタラタラ言われて。
しかも、少し感じるところがあるので「怖い話は嫌だ」とい言っているのに、そういう種類の話を目の前でされたり。

嫌なことばっかり起きるのですが。

仕事も嫌なことが多くて。

なんなんでしょうねぇ〜〜

嫌なことから脱する方法はありませんか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

嫌なことが無くなる方法

こんにちは。
嫌なことを無くす方法、あります。
嫌なことを無くしたければ「禅」を学ぶと良いでしょう。
物事の根本を学べるからです。
物事の根本とは人間の見解以前の様相です。
物事というものは、あなたにとってのヨイワルイが感じられるとしても、それは第三者や当事者ではない人にとってはどうでもよいことでしょう。
世間の痛ましい事件に同情しようとしたり、気持ちを注ぐことが無ければ、元々「ただそれだけ」なのです。
「わたくし」という意識が、物事に善悪の基準や条件づけをする。
人間中心、自分中心の物事を眺めるから善し悪しや苦楽が生ずるのです。
盛りを追い出されたカラスがド実をつつけばカラスが悪者になりますが、カラスの親子にとっては人間こそ勝手に住まいを奪った悪党。
平和の象徴のハトでさえ、多く集まればフン害で憤慨です。
つまり、私ども人間は「私にとって」という眼鏡をかけて物事をみているのです。
私も昔は嫌なことばかりが起こってやれやれだなぁと人生をやみくもに歩んでいましたが、禅を学んだ時から嫌なことがただのそれになってさほど問題にならなくなりました。
「私にとって」が無くなるからなのでしょう。
そういう視点があるものです。
それが禅の功徳でしょう。
この自分自身を「わたしだ」と強く思い込んで、全部自分が自分がやっているという気持ちが強くなっているのが人間の苦しみの原因です。
「わたし」「わたしの」「わたしが」というワタクシ濃度を下げてみましょう。
物事や他人様がただのそれ、ただのその人になります。
自分にとってのなんちゃらという存在ではなくなるのです。
怖い話だって、意味を深く考えたり深読みするから恐怖が増すのでしょう。
自分の想念に騙されなくなれば怖い話も子供だましにしか感じなくなります。
全て自分の一念が物事をゆがめてしまっているのです。
禅は一念の生ずる前のまっさらのありのままの当たり前に目を向ける事を説きます。
機会がれば坐禅を学んでみてください。

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おきもち

無意識に「いやな事」を探してしまっていませんか?

例えば、3月21日が誕生日だとします。すると、自然と「21」という数字に親しみを持つようになりますね。
すると、「21」なんてそこらじゅうに溢れている数字なのに、何気なく時計を見た時に21分だったり、待合い整理券が21番だったり、なんてことない偶然が「すごい!私の好きな数字なのに!何かの暗示かしら!」と運命的に感じるものです。
無意識の意識とでもいいましょうか。普段から何気なく意識しているものは、自分でも気付かぬうちにそれを求めてしまっているものです。

「いやな事ばかり起こる」という人は、往々にしてその「無意識の意識」を抱いている事が多いように感じます。
「体調が悪い」という自身の問題が前提としてあり、更に「目の前の人がケンカをした」といういやな事が起こると、「隣のひとが道を空けてくれない」という普段ならそこまで気にならない事までいやな事として意識してしまう。
そういったことがあると、無意識に「いやな事」を探してしまうのです。ちょっとした、何気ない不快感すらも「いやなこと!」として認識し、イライラしてしまいます。エゴサーチのようなものですね。
実際、客観的に見ると全然たいしたこと無いような出来事が別々に起こっても、あなたが「いやな事が続く!!!」と意識しすぎているせいで、それが連鎖しているように感じ、また必要以上にストレスを感じてしまっているのではないでしょうか。
シンプルに言えば、ものごとを大げさに捉えてしまう被害妄想です。

様々な事に言えますが、何かを改善したいときは、周りを変えようとするのではなく自分自身のとらえ方を変えるのが一番です。
「いやな事ばかりおきる」という意識に引っ張られずに、心を整えて、「いいこと」も探してみてはいかがでしょうか。

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おきもち

自分から楽しむ気持ちで

ご質問の内容、私だったらそもそも「嫌なこと」と感じないエピソードばかりです。
居酒屋でケンカを見た、所詮は他人のケンカです。「おもしろかった」と思えないでしょうか?
遅刻して嫌味を言われた。
嫌味を言う人は嫌な気持ちがあるから嫌味を言っている。つまり、苦しんでいるのは相手の方です。
心の中で「ざまあみろ」とあっかんべーをして笑っておけば楽しいでしょう。
怖い話も、嫌だ嫌だとビクビクするのではなく、自分から積極的に楽しんでやろうという気持ちで聞いてください。

総じて言えることは、あなたは、襲いかかってくるエピソードに対して、気持ちの面で、最初から負けるつもりで戦っている、しかも負けたくないと思っているのでは?
襲いかかってくるエピソードはたいしたことないものばかりだ、死ぬほどのことではない、負けても楽しいゲームだ、という心の余裕を持ってください。
どんな嫌なことがあっても、それを楽しんでやろうという、襲いかかってくるエピソードを上回る大きな気持ちというか、高揚感を持つようにしてはどうでしょうか。

もっと他人をバカにして、笑いのタネにして生活してはどうでしょうか?
もっと自己チューになって良いのではないでしょうか?

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
確かにそうですね。
普段は感じないことも感じやすくなってしまっているのかもしれません。
いい事を積極的に探してみます。

自分から楽しめるでしょうか?
さらには職を失いそうなんです。どうやって楽しんだらいいのでしょうか?

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