状況を察することができません。
今日、友人に私がKYだと指摘されました。もちろんその友人に悪意はなく少しからかい口調で教えてくれました。
私もKYだと言われたことは何回かあり、自覚して気をつけていたのですが、治っていませんでした。
私は場の空気を悪くするのではなく(と思いたいのですが…)状況や場面を正しく読み取れません。
例えば内進生の子が固まっているのにそこに入って行ってしまったりします。
友人に指摘されたことに心当たりはあり、確かにKYだと思うのですが、それ以外にあるかと自分で考えてみても分かりません。
しかし1度や2度くらいで指摘してくる子ではないので他にも必ずあるのです。
KYな人が気をつけることを調べてはみましたが、私とはタイプが違うように感じてしまいなにをすればいいのか分かりません。
改善すべきところも分からなければ、改善方法も分からないのです。
考えれば考えるほど今までKYだと思われてたのではないか、あの反応は拒絶なのではないかと考えてしまい恐ろしいです。
私はよく言えば器が広く、悪く言えば他人に興味がない人間です。そのためなぜその行動が駄目なのか、相手がどう思っているのかなどが分かりません。いわゆる暗黙の了解などは察せたことがないです。
また自分のことになると思い込みがひどく、こうなるに違いないと確信したら違う意見を考えるということすら頭に浮かびません。
相手の気持ち状況を察する、空気を読むってなんなんでしょう?
積極的にならないといけないのに少し間違えるとうざがられてしまうのが恐いです
明日からどうやって生きていけばいいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相手に花を咲かせる 花を持たせる
こんにちは。hasunohaイチのKY回答僧、丹下です。(^<^)
今日も空気を読まず感じよく空気のようにカカク安く(無料)で回答させて頂きます。
「空気を読まない」というものの言われ方は、空気が読めないという面ばかりがクローズアップされるべきことではなく、その人がその人なりの全開ちゃんを発揮しているという面があります。
黒柳徹子さんだって、強烈な個性があったからこそ現在がある訳です。
KYという言葉にあまりネガティブな意味を添えないことです。
自分という植物が自分という植物の個性の働きを全うしているだけなのだと思いましょう。
痛みやすい植物の中にサボテンが入り込んだら周りがチクチクすることはあるかもしれません。
黄色い菜の花畑に一人だけ赤い花が存在していれば周り全体が背景に代わってしまうようなこともおこるものです。
その個性は認められるべきことですが、共同体、グループ、組織の中では時と場合状況によって❝浮いてしまう❞という現象が起こるものです。
お友達との会話もそれぞれ別々の植物であるとします。
それぞれ花や実のなる植物であるとします。
そういう時は、自分が花になろうとせず、自分が自分の花を咲かせるよりもあえて相手の花を咲かせる、花を持たせて美しさを引き出してあげると人間関係においてキレイに咲けます。
自分は自分を生きつつ協調性をもって相手を立てて接する。
会話というのは数人で話がなされる場合AKBセンター的役割をする人が発生します。しゃべりたい子、聞く側、あえて聞き役を徹する側、それぞれ役割があります。
ですが、その人がずっとセンターで居続ければブーイングです。
タイミングで交代をしなければ総選挙で総スカンです。
ちなみに、このhasunohaもハスノハであって蓮の花じゃないのです。蓮の「葉」です。
そこに人生の深~いヒントがあるかもしれません。
他のお坊さんの答えにも耳を傾けてみてください。(^-^)
ここではあなたが花です。
ですが、葉にもなれます。根にもなれます。茎にもなれます。実もなります。
そのお友達が自分がセンターにいたがる子たちであれば、あなたはプロデューサー、カメラ、照明的立場になる事も大切なスキルです。
自分が自分の花だけを咲かせるより、誰かの花を咲かせてあげるという花の咲かせ方の方が大きな花を咲かせる力となれるのではないでしょうか。
自分を見つめながら
拝読させて頂きました。その様友人から指摘を受けてあなたも不安に思っていらっしゃるでしょうね。これから人とのお付き合いをどうしていくのか考えてしまうでしょう。あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
場の空気を読むことや人の感情を感じることはなかなかできそうでも難しいところもあります。明らかに意図があるならば或いは発言があるならば理解することはできますが、社会の中ではやはりその場の雰囲気というものを察知して速やかに対応することが求められる場合がありますからね。
おそらくは人それぞれに感覚の違いはあるものです。感覚の鋭い方は瞬時に察知して判断することができますからね。ある意味動物的な感性があるのですね。
逆にそう感じとることができない方もいるのです。全くできないならばそれは精神的な障がいがあることも考えられますよね。
人との意思の疎通ができないことは本人も相手もつらいことにもなりますから、感情的になることもありますでしょう。
あなたがやはり不安に思うならば一度専門医の診断を受けてみることも必要かと思います。その結果を踏まえてからじっくりとご自分にお向き合いなさることはこれからのあなたの人生において大切なこととなるでしょう。
自分自身は実は自分のことはあまり良くはわからないものです。第三者から客観的に見てもらわないと自分について見えないこともたくさんあるのです。
その様な特性を持った自分であることを理解して受け入れていきながらも自分の良い部分や得意分野を伸ばしていくことでこれからの生き方は開けてくると私は思います。
誰しもが完成された完全な人格の持ち主ではありません。それぞれに未熟な部分や或いは障がいもあるのです。
それは決して恥ずかしいことでもありませんし、悲観することでもありません。
あなたなりに自分自身を受け入れていければ良いと思います。同時に周りの人も特性を理解して受け入れてくださいます。
あなたの未来がこれから自分自身をしっかりと見つめていかれ心も身体もお健やかに成長なさり、皆さんと共に様々な経験を積んで分かち合いながら充実した毎日を過ごしていかれます様にと心よりご祈念申し上げます。
こんにちは。仏教界イチのKY僧、川口です。(^<^)
こんにちは。仏教界イチのKY僧、川口です。(^<^) (丹下さんのマネ)
正直、集団行動はどこまでも慣れませんし、集団にのまれてしまうのもイヤな性分です。
「空気を読め=集団・普通・多数が正しい」みたいな感じがあり、誠に押し付けがましいと思うところも。
まあ、ある程度、道徳やルール、社会常識が守れていたら個性の範囲内で全く問題がないと考えております。
あまり気にして委縮し過ぎてもいけませんし、逆にもったいないことになるかもしれませんよ。
そういえば、昔から、KYな子って、可愛く目立って異性からもモテル子が多かったような。拙生は、いつも可愛く見えていたものです。もちろん、拙生の場合は、共振性からかもしれませんが。
川口英俊 合掌