五戒 殺生について
先日の疑問に答えてくれた方、ありがとうございました。m(_ _)m
仏教を学び、これからは五戒を守ろうと決めました。
仏教を実践しようと、身近な家の手伝いからはじめたのですが、
家が農家なので当然畑仕事が含まれます。畑仕事の内容のほとんどが
作物の収穫なので、植物の命を奪う殺生の罪にならないのでしょうか。
仏教を実践して、五戒を破るようでは本末転倒なのでわないか?と思い疑問を投稿させていただきました。
また、畑仕事は悪いことでは無かったとしても、その為に害虫や害獣の駆除はいいのかなどの、どこからが良くてどこからが悪いなどの事と、何故、虫や動物の殺生が悪くても、植物の殺生はいいのかと言う
事にも答えていただけるとありがたいです。
ご回答お待ちしています。
アニメ、ゲーム、特撮大好き
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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節度を持てばいいだけ
ご質問の、不殺生戒についてですが、
厳密に言えば「殺生をしない」ということは、蚊取り線香さえ焚くことは出来ません。
ですから、あくまでも「必要以上は殺さない」という感覚で捉えられては如何でしょうか?
人はもちろんですが、動物もむやみに殺してはいけません。
野菜を採ることは殺生にはなりませんが、虫を殺すことは殺生になります。
ですが、農家の手伝いをされるのなら、害虫を駆除するためには、何らかの方法を執らないと虫食いだらけの野菜になってしまいます。
野菜を収穫するために必要ならば致し方ないこととして、害虫を駆除するしかありません。
にーくさんは、出家を志されるのでしょうか?
もしそうならば、五戒を守るという志を曲げる訳にはいきませんが、もしそうではなく、在家で仏教を学ぶといわれるのであれば、今すぐ五戒を全て守る必要はないと思います。
不殺生戒は先ほど申しましたが、必要以外の殺生はしない。
不偸盗戒については、盗んではいけないと言うことですから、これはやってはいけません。
不邪淫戒についても、守れるとは思いますが、にーくさんはまだ10代の若者です。
これからたくさんの恋愛を経験されることでしょうから、あくまでも「不道徳な性行為は行わない」ということに限れば実践されて良いと思います。
不妄語戒も、方便以外の嘘をつかないことは守れると思います。
不飲酒戒については、お酒を飲まないとお決めになることはかまわないと思いますが、社会へ出た時のコミュニケーションツールとしてのお酒は日本の仏教社会では禁止されてはいません。
ほどほどに嗜むことはあなたの人生にとって、よい効果がある場合もありますので「酒に溺にれてはいけない。」くらいに考えておられたら良いのではと思います。
大切なのは、五戒を何が何でも守ることではなく、何をどう心がけるかという事ではないでしょうか?
形に囚われてしまうと、考え方が狭くなってしまいます。
戒律とは、取り決めがないとものごとに振り回されてしまう人のためにあるのであって、戒を定めなくても振り回されない人には必要の無いものです。
要は、戒律を気にすることよりも、これから目の前に現れるたくさんのものごとに対して、あなたが振り回されることなく、理性と節度を以て、その都度どう対処するかということでしょう。
一切皆苦(あらゆる物や事は思い通りにならない)
戒は「守る」ものではなく、「持つ」(たもつ)ものです。蚊をペチンと叩いたら戒違反!というものではなく、無駄な殺生はしたくないと『願い』、生活の中で『努力』するのが戒です。言いかえれば何をするとマイナスかの発想ではなく、どういう生活をすればプラスかという発想です。
そして殺人のように明らかに「仏教教団に迷惑をかける」もの以外は罰則はありませんし、罪でもありません。本人の仏道修行としてもっと頑張りましょうというだけのことです。細かいことを言うようですが「仏教教団に迷惑をかけるもの」は戒ではなく、律です。戒と律は別物です。
これを忘れないようにしないとだんだん変な方向に進んで悩み苦しむことになります。
さて、肉を食べれば家畜の生命、魚を食べれば魚の生命、米を食べれば稲の生命ですね。では、食べることは他者の生命を奪うことだから、私は食べません!ということにしたらどうなるでしょうか?それは自分の生命を奪うことになります。
あるいは世界中の人間全員が蚊をペチンと叩くことを一斉に止めたら?生態系が壊れて莫大な生命が奪われます。某国ではスズメが害鳥だからと駆除まくったところ、虫が大量発生して田畑が死に、人間だけで数千万人の餓死者を出したと言われています。
もうお分かりでしょう?あっちを取ればこっちがつかず、こっちを取ればあっちがつかない…そんな思い通りにならない世界をお釈迦さまは一切皆苦と呼びました。
その中での不殺生です。本も末もありません。みんな平等に繋がっていて、みんな同じ一つの大きな生命の中で食物連鎖をしているのです。
その大きな繋がりの中で、にーくさんはにーくさんの立ち位置を一生懸命に生きることが不殺生です。畑で作物にくっ付いている害虫をプチっとすることも時には必要でしょう。でも、その時に「この憎たらしい奴め!こんにゃろ!」と必要以上に攻撃したなら、その死なせた結果よりも、その憎む心が殺生です。
あるいは昔の人は普段は社会の中で精一杯、自分の役割をこなし、法事やお盆、お彼岸などの仏事の日は絶対に目の前の生命を奪わないぞという生活をしていました。こういった習慣は良い事でしょうね。
最後になぜ肉食はダメで植物は良いか?それは奈良時代に養老律令の僧尼令で禁止したからです。本当は仏教とは関係ありません。(修行中に元気になり過ぎて辛くなるよという考え方はありました)
普通は、必要以上に貪らないと答えるところですが
まずもともと仏教は肉食を忌避していません。お釈迦様やお弟子様方は基本的に残飯を布施していただいて命をつないでおられました。暑いインドに冷蔵庫なんてありませんでしたらから食べ物の保存が効かないので、残り物を仏弟子に布施したのです。その残り物のなかに肉があってもそれは忌避されるものではありませんでした。また、ご招待をうけご馳走をいただく場合も肉料理を食べてはいけないなどということはありませんでした。
「僕は野菜のことを言っているのだ」とおっしゃると思います。大乗仏教では、野菜は生命のないものに分類されます。これは上記が変化していき、肉を食べていかん、となったとき、じゃ、何を食べるのと問われると、植物性のものしかなくなりますね。殺生はいけないわけですから、植物は生命のないものというしかなくなったのでしょう。詭弁といえば詭弁かもしれません。
また、植物を育てるプロセスで虫などを殺す(あるいは殺してしまった)ということは多々あります。
したがいまして、野菜をつくって食べることに罪の意識を感じるのでしたら、托鉢なさればよいのだと思います。賞味期限間近のものや、へこんで変更した缶詰などをスーバーから安く譲ってもらえばよいのです。どうせ廃棄される運命にある食べ物ですからお釈迦様と同じことです。私は穀倉地帯に住んでいますから分かりますが、お米などもお願いすれば農家から分けてもらえます。自分で食べるだけでなく、フードバンクを立ち上げ、必要なところに分配すれば多くの人が救われます。五戒を保てるばかりでなく布施を行ずることにもなります。
植物は有情(心がある生物)ではない
植物は不殺生戒の対象ではありません。
髪の毛や爪みたいなものと思っていただければわかりやすいのではないでしょうか。
ただし、植物に宿る精霊(神様?)みたいなのが、仏教の経典だったか物語だったかに出てきたのを見た記憶があります。
いずれにせよ、虫も含め、われわれは他の生物を殺さずには生きておれません。
他の生物を殺さないためには、輪廻転生の世界から解脱して涅槃(平安なる滅び)に入るしかないのです。
修行の結果悟って煩悩がなくなれば、涅槃に入ることができるのです。
そのための小さな小さな一歩にすぎないかもしれませんが、五戒を守ったり瞑想するのは良いことです。
質問者からのお礼
お礼が遅れて申し訳ございませんでした。皆様ありがとうございました。参考にさせていただきます。