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起こることが起きているだけと、因果応報の違い。

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有り難し有り難し 21

起こることがただ起きているだけ
というのと
因果応報との違いが
なんとなくわかりますが、
よくわかりません。
ご教授いただきたいです。
変な質問ばかりでごめんなさい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同じことではないでしょうか。
因果応報とは原因があって結果があるということですよね。
ただ起きることも、それが起きる原因があるのです。
そして、起きたことが、また次に起こることの原因になるのです。
その繰り返しです。
遥か過去から、遥か未来まで、この因果が永遠に続いていくのですね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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ゆりかごさま

因果応報というのは、原因に応じた結果がある
ということです。
ピーマンの種をまいたら、ピーマンができて
なすはならないという感じです。
「起こることがただ起きているだけ 」の
なかの「起こること」は、何らかの原因があって
起きたことで変わりはないのですが、
たぶん、「起こることがただ起きているだけ 」という表現で
言いたいことは、使われている状況によって違ってくるかも
しれませんが、
起きたこと自体に意味は無いということだと思います。
たとえば、歩いていて鳥の糞が頭に降ってきたとき、
ただ事実は降ってきたということですが、
そこに不運とか不幸とが何かの罰というような
意味は初めからついてないということだと思います。

この事実、結果としての事実の原因は誰にもわかりません。
どうして糞が当たったかなんて、
わかりようがないとおもいませんか?
それを「自分の過去にした悪いこと」と結び付ける
解釈は誤りです。

たとえば目の前に消しゴムがあったとします。
この消しゴムは、それ自体、本来は名前はありません。
物そのものに、名前はありません。
人が勝手につけたものです。
またいいものとか悪いものという評価も
人がつけたもので、物そのものにはついていません。
物も出来事もそれ自体に意味はありません。
みんな人がつけています。
「起こることがただ起きているだけ 」は、
日常の様々な出来事は、意味づけ以前に
起きているもの、そうゆう意味かと思います。

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有り難し
おきもち

地方の小さい町の小さいお寺の住職をしていました。
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「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

苛まれ続けるのならば死を選びたい

この世に因果応報はないのでしょうか? 私は学生の時に集団いじめを受け、卒業してからも今までずっと容姿のことで批判されたり、外出先で出くわそうものなら大声で悪口を叩かれるので一時期は買い出しすら恐怖でした。 やはり、そういった出来事が自分の中で積み重なって性格も歪んでしまい、大学生活はずっとひとりぼっちで、国家試験も落ちて、現在は毎日泣きながら予備校に通っています。 極めつけに、私をいじめていた女共は今彼氏もできて、友達に囲まれて幸せそうです。 現在は遠く離れた土地にいますが、腐れ縁っていうのですかね、以前ばったり会って、それはそれは幸せそうでした。 私は信頼できる友達も、相手もいないのに。 ふとした瞬間に、涙が溢れます。 予備校にいるときに泣きたくなかったのに、この間はついこぼれてしまいました。 常に、幸せそうな人を見ては憎んで心の中で貶してしまう自分が嫌で、日頃から出来損ないの社会不適合者と、自分を罵ってしまいます。 正直言って、恋人が欲しいとは思っていません。ですが、いじめてきたやつらは幸せで私はどん底にいることが悔しくて、情けないですし、 街で仲の良さそうなカップルをみると、微笑ましいより、憎しみが湧いてきてしまいます。そして「私はそういう相手がなんでいないんだ」とか、普段なら考えないことも考えてしまいます。 多分、恋人が欲しいというのは、女に生まれてしまったことによる生存本能だとわかっているのですが、今の状況が惨めすぎてそんなつまらないことに囚われてしまっています。 この様な劣等感に、苛まれ続けない良い考え方があれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ