負けるとわかっているから挑まない
私は人生で勝ったと心から思える出来事がありません
誰と何を競おうといつもいつもいつも負けてしまいます。
自信がなくて、自分を信じていないそんな私。
私は軽音学部という音楽に携わる部活に所属しているのですが、バンドのパート分けの時上手い人が選ばれるという仕組みなのですが、私も懸命うまくなろうと努力してるのですが、競う相手がとても上手い子で頭よくてなんでも出来る子が私と競う形になってしまいました
私は自分が負けるとわかっているので、相手に譲ったほうが気が楽といつもそうしてきました。
しかし、勝ち取りたいという気持ちもあります
相手に譲るか、勝負に挑むか
私はどうしたらいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
挑まなければ、後悔は残ります チャレンジしてみよう
音楽を勝ち負けのためのやっている訳では無いと思います。でも、バンドのメンバーのパート決めに当たっては、選考があり、上手い下手を競わざるを得ない。そして、競った場合、蒔ける可能性の方が高い。トッポさんにとっては、嫌な状況ですね。
そういう競争の場に立つのは、あまり気分の良いものでは無いでしょう。やめようかな、という気分になるのもわかります。でもね、やめても得るものはありません。たとえトッポさんにとって厳しい結果が予想されることであっても、チャレンジすることに意義があると思います。
他の方の質問への回答に、下記のように書いたことがあります。
アンナ・パヴロワの残した名言と言われるものの中に
「私にとっての成功は、 人々の称賛の中にではなく、
自分の理想が実現していくという満足感の中にある。」とあります。
http://hasunoha.jp/questions/6923
仮に、バントの希望するパートを得られなかったとしても、それに挑戦し、挑戦するためにレッスンに励んだことはトッポさんの財産となります。今後、仲間と共に軽音楽を続けていくための財産となります。逃げるよりも、ぶつかっていく方が悔いは残らないと思います。今できる最善のレッスンを積んで、挑んでみましょう。
結果はどうあれ挑んでください!
トッポさん
音楽で勝ち負けは本来はないはずだと思います。音楽は楽しむもの。コンクールとか作ったりして、競い合うのはちょっと違うし、うまい子が選ばれるなんていうのもなんだか変だな~という感じがしました。
ところでトッポさんは、ほんとうはけっこう負けず嫌いではないですか?譲るほうが気が楽とか、負けるとわかっているから挑まないというのは、こころのなかでは負けることが、とても嫌だと思っているみたいです。
勝ち負けにはかかわらず、うまくなろうと努力することはとても素晴らしいことです。ぜひ、その前向きに努力する姿勢を大切にしてください。そしてすばらしい音を奏でることができたら、音楽においてはそれが勝者だと思います。
そのがんばった結果、うまくなったら選ばれることもあるかもしれません。それが自然な勝者です。譲る必要もなく、挑むのをやめる必要もないと思います。最大限の努力だけはする。
そして譲るか?挑むか? 挑んでください! できるだけの努力をして挑みましょう!
結果は選ばれても選ばれなくてもいいのです。勝ち負けもどちらでもいいのです。前向きに頑張ることが大事です。がんばってください。仙如
勝ち負けとか有るのがおかしい
軽音ならもっと自由にやればいいのではないかと思いますよ。
部活に入らなくても、気の合う人や、選ばれない人と集まって演奏すればいいのです。
軽音同好会でも作ればいいのです。
練習しても選ばれずに人前で演奏できないなんてモチベも下がりますよね。
自由にバンドを作って学祭で好きな曲を演奏することを目標に頑張ってはどうですか?
それに、構成は型に囚われる必要はありません。ギターが2人でも3人でも、ドラムが2人でも、ボーカルが2人でも、太鼓や三味線があっても、なんでもありです。そんな自由な音楽が軽音だと思いますよ。
良き敗者になれない者は、立派な勝者になれない。
タイトルは、女優のハル・ベリーさんの言葉です。
譲って、負ける。
挑んで、負ける。
「ポジションを競う」という視点では、どちらも負けです。
しかし、「良き敗者」という視点では、どうでしょうか?
最初からあきらめてしまうのか、自分の弱さにとことん向き合うのか?
真の勝敗は、選抜結果ではなく、自分の心が決めるものです。
「立派な勝者」になるためにも、まずは「良い敗者」になる覚悟を決めてみてはいかがでしょう?
「良い敗者」が奏でる音は、「立派な勝者」にも引けを取らないと思いますよ。
応援しています!
合掌
質問者からのお礼
本当にありがとうございました