輪廻転生の仏教的解釈について
近年、量子力学等の学問での研究に目覚しい進歩が見られます。
量子力学や精神系分野で輪廻転生の研究の話題が盛り上がっています。
量子力学では遂に死後の世界について【量子もつれ】と呼ばれる現象で論文を発表したり輪廻転生の研究をしていらっしゃる学者さんもいますし少し前ですが精神系分野では著名なアメリカのジム・タッカー博士は輪廻転生をしたと思われる2500人の子供達に関して発表しました。
この子供達の実例を見る限り明らかに例えばAという死んだ人物とは関係ないBの少年又は少女がAの生前の記憶を持って生まれてきている事があるようです。
それでも脳の錯覚だとして懐疑的な学者さんが多い中、現在進行形でこの分野の研究は着実に前へと前進しています。
ちなみに、私は死後の世界も輪廻転生も存在すると考えています。
そこで、今回は輪廻転生についてお聞きしたいです。
お坊さんは輪廻転生とはどのようなものだとお考えなのでしょうか?
輪廻転生の仏教的解釈やお坊さん個人のお考えをお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
瞬間瞬間に生まれ変わっている
こんにちは。
「輪廻転生」は、仏教発生以前からインドにあった思想です。
インドで仏教が誕生した当時、インドの人たちは死んだら当然何かに生まれ変わると考えていました。
それは例えると現代人が「水は100℃で沸騰する」と考えているように。
私は、お釈迦さまは「死んだら何かに生まれ変わる」とは考えていなかったと思います。ただ当時のインドが輪廻転生思想だったので、それに乗っかって話をしていただけだと思います。「水は100℃で沸騰する」を覆すより、それを利用して布教を進める方を選んだのです。お釈迦さまは死んだ後の事について「無記」(わからない)としています。
さて、今日私は目が覚めた時、「まだ寝ていたい」と思いました。「まだ寝ていたいオヤジ」でした。でも起きてきてお経をしました「お経をするお坊さん」です。その後妻と話をしました「妻と話をする夫」です。そのうちに子供たちが起きてきました。今日は期末テストです。励ましました。「子供をはげます父」です。そうこうしているうちにメールがなりました。私は地元の消防団に入っていますが、消防団の事務連絡メールでした。「メールを確認する消防団員」です。
このように、今日一日のまだ半日ですが、私は「まだ寝ていたいオヤジ」「お経をするお坊さん」「妻と話をする夫」「子供をはげます父」「メールを確認する消防団員」と次々に「生まれ変わり」ました。このように私たちは瞬間瞬間に「生まれ変わって」います。私はこれを「輪廻転生」(うまれかわり)だと考えています。
死後の世界の科学的証明については、科学の進歩を待ちます。
類似があったなぁと思ったら、あなたの以前の問いでした。お坊さんたちの答えをもう一回読み返してみて下さい。
http://hasunoha.jp/questions/10886
拝読させていただきました。
個人的にとても興味深い分野のお話でした
私からはなぜ転生するのか?という所からお話しさせていただきます。
仏教は原因があって結果があるという大原則に基づいて物事を考察します
仏教では転生を良しとしていません。
と言いますのも転生の原因は執着そのものであるからです。
人間が持て余すほど持ってしまって
野放しにしてしまいがちな「欲」
それらを放っておくから欲が欲を呼び執着が強くなり
また来世への転生を招く
仏教を学ぶものは
欲にかまけず
また欲に気づくため座って自分の内面と向き合い
悪を行わず
善を行うよう
勤めています
こうして転生の原因を日頃から作らないで生活するものなのです
まぁそういう意味では実はお釈迦様の教え自体は根本的にあんまり宗教的ではないんですね
例えば私がフェラーリ乗って豪邸住んで贅沢の限り尽くしている最中に事故で死んだとします
すると、その物への執着が原因となって
再びその執着に囚われ来世に生まれ変わってしまうのはこれ輪廻があるとすれば当然なわけです
面白いでしょ〜
私の知り合いの子でも本人は見た事もない仏様の絵を描いて
自分で祭壇を作ってしまうような子供さんがいらっしゃいまして。
幼稚園の頃から見守らせてもらってますが、その祭り方は正しい祭り方ですし
祈りの姿を見ててもこの生だけのものとはとうていおもえるものではない不思議な子です
その子が生まれた理由はなんにせよ
まず、その転生をしない為に仏道修行を行っているのが私達仏教徒の基本的スタンスです。
合掌
輪廻から解脱する道。それが仏教です。
アルファ・ケンタウリ様
こんにちは。拝見いたしました。ハスノハに投稿くださり有り難うございます。
輪廻転生のお話でしたね。確かに科学の分野では結構昔から死後の世界や輪廻についての研究が真面目になされてきました。日本ではあまり知られていませんけどね。
仏教は輪廻が前提になって説かれています。もっと言えば「死ねない」のです。何度も生まれ変わりを繰り返しその度に苦しみを受けます。(人間だけに生まれるとは限りません過去世、現世での行為の報いによって変わります)ですからその苦しみの繰り返しから逃れる方法(生死解脱)を目指しています。だからこそ智慧を得る修行が必要になります。この場合の修行はいわゆる人生修行ではなく、仏教の智慧に基づいた修行です。「人生は修行だ」というのは自分の欲望を満たそうと苦しんでいるだけなので修行ではありません。
死んで終わりなら修行も成仏も必要ありません。生きてる間好き勝手すれば良いのです。
私はこの世で修行がとても完遂できない身であり浄土真宗を歩む者ですので阿弥陀様のお力によって浄土に生まれさせていただいて成仏のための修行をさせていただきます。死んで終わりなら「極楽浄土」に生まれる必要もないのです。輪廻するからこそ浄土に生まれる必要が出てきます。
私の眼に映る仏教界は近代化によって死後だのあの世だの輪廻だの「近代的思考」から外れたような話はしなくなりました。魔術や占いオカルトと区別する必要もあったのでしょう。これはお坊さんだけの問題ではなく、聞く側も「納得出来る説明」を求めるようになったからです。
お坊さん達は次第に近代化の過程で教えを「学問化」「内面化」し輪廻もあの世も全部「心の中の事です」という話をするようになりました。心を見つめる面では大切な事だとは思いますが、宗教は「科学」でも「思想」でも「哲学」でも「倫理」でもないのです。対立するものではなく「役割が違う」と私は考えています。
科学的に証明された事が仏教が伝える死後の世界と同じとは限りません。座禅をするとα波が出るとかいう話がありますが、それは測定の結果であって座禅はα波を出すためにするのではありません。輪廻を信じお釈迦様のお悟りを信じ歩む事が肝要だと思っております(もちろん歩むか歩まないかはぞれぞれの自由であります)
合掌
輪廻転生について
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「輪廻転生」というのは、迷い苦しむ存在として存続してしまっていることを申します。その主体となるものは、粗い肉体や物質に左右されない程の微細なる意識の連続体、微細なる心相続となります。
輪廻は、その意識の連続体、心相続上における無明(根本的な無知)・煩悩による行為の因縁(原因と条件)による業・カルマの状態によって決まっていくことになります。
仏教によって、無明・煩悩を智慧により対治し、これまでに積んでしまっている悪業を慚愧・懺悔・浄化していくと共に、智慧の伴った福徳行・功徳・方便行によって、悟りへと向かうための善業を積むことにより、やがては、悟りの妨げとなっている障り(煩悩障・所知障)を完全に断じることで、悟りへと至れるように精進して参りたいものでございます。
基本的には丸山晃俊様のおっしゃられておりますように、仏教に基づいて、悪い行いを無さずに、善い行いに努め励みたいところとなります。
個人的には、チベット仏教を学ぶことによって、輪廻転生のありよう、心相続のありようについての理解を深めているところでございます。
興味がございましたら、「ダライ・ラマと転生」(扶桑社新書・石濱裕美子先生著)や「ゲルク派版 チベット死者の書」(学研文庫・平岡宏一先生著)、「チベットの生と死の書」(講談社文庫・ソギャルリンポチェ著)などを読まれますことをお勧め致します。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
詳しくお答え頂き、ありがとうございました。
今後の参考にさせていただきます。