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自分が拝む仏様

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有り難し有り難し 58

十方諸国土に三世諸仏様、
数多の菩薩様や天部の神様がいらっしゃいますが、

特定のお寺に檀家に入っている意識も薄く、
仏像様も身近にない
在家の者は
自分が集中して拝む仏様というのは、
どうやって選ぶのですか。
別に選ばなくても良いのですか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様は常に現前しておりますが

  曹洞宗の吉田俊英と申します。

 我々住職がお仏壇などの仏像の開眼供養を行う際に、下記のような回向文(開眼供養することの意義を説明し、仏様のと功徳を説明する)を唱えます。
「仏身は法界に充満し、普く一切群生の前に現ず。縁に従い感に赴いて遍からずということなし。」

意訳しますと
  仏様というのは、この世界に満ち満ちており、すべての人たちの目の前に現れています。(我々が先祖のことを思い出したり悩み事で心がくじけそうになったりして)何かに神仏に頼ろうとして手を合わせようとする時があります。また(見えざる大きな力によって守られ支えられていることに思わず「お陰様」と言うように)感謝や供養の心を抱く時があります。このように仏様はいつも我々の側に居て下さり、あらわれないということはない。

  阿弥陀様でも観音様でもお薬師様でも、自分なりに信仰している佛菩薩がある方でしたら、必ずしも自宅に本尊様を置かなくても構いません。その仏様のことを思って手を合わせる時、仏様は現前(目の前に現れる)致します。

  確固たる信仰とまでいかなくても、自宅に仏壇があったり日頃から菩提寺を身近に感じたりして居られる方でしたら、上記の回向文もしくはそれに近い気持ちを持っておられると思います。

  前置きが長くなりましたが、Tk_K46さんが仏様をお祀りする場合は、下記のような方法で御検討されたら、いかがでしょうか?

1、ご実家の菩提寺の御本尊様、もしくは御宗旨(宗派)の御本尊様
2、先の質問で「達磨大師様が伝えられた武術をルーツにしている」と書いておられますが、達磨大師は禅宗の祖と呼ばれる方です。禅宗の伝統では、お釈迦様を初代の祖師としており、達磨大師は28代目の祖師にあたるとされております。お釈迦様すなわち釈迦如来を本尊様としてお参りされたら、宜しいかと思います。

 費用面のことも気になるかもしれませんね。仏壇用の本尊様は仏像となりますと、数万円から数十万円ぐらい致します。仏壇用の掛け軸でしたら、数千円で購入できると思います。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

拝むということ

拝むという行為は、対象を作り偶像に向かい何かを願ったり、祈ったりするものではないのでしょう。
一般的には、自分と、自分以外のものというように分けて物事を考えるので、仏像を拝むように感じると思います。
しかし、本来は、対象を拝むのではなく、目の前に広がる様子はまさに自分自身のようすであることを知り自分自身を拝むかのように手を合わせることができる。それがお釈迦様から今に伝わる様々な偉いお坊さんたちの姿なんでしょう。対象を作っているうちは本来の手を合わせる行為になっていないということですから、私たちは修行する訳です。

対象になる仏像がなくても手を合わせる行為そのものに意味があるのです。もし対象が欲しければ紙に”〇〇菩薩”とか書いて貼るだけでも良いと思いますよ。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

自分が惚れる仏さまを探しましょう!

Tk_K46さん、こんにちは。

特定の寺院、宗教に入っていない場合は、いろんな仏さまを調べたり実際にお寺に行って仏さまを見て、自分の心と波長の合う仏さまを探してみてはいかがでしょうか?たくさんの仏さまがおられますので、必ずあなたに合う仏さまがいるはずです。

または自分の仏教の師を探すのもいいでしょう。もし師が見つかれば師の尊崇する本尊を自分も祀るのは普通です。

そして一番スタンダードなのは、やはりお釈迦様です。お釈迦様から信仰をはじめて、そこから広げていくというのもいいでしょう。

がんばって、my仏さま を見つけてくださいね!合掌

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★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

師僧を探されてみられる

Tk_K46様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏様に礼拝(敬礼)するというのは、三宝への帰依と共に、菩提心(悟りを目指すための強い意志)を起こし、しっかりと仏道を歩んでいくために大切なこととなります。

また、どうか尊い教えをお授け下さいという勧請の意味合い、しっかりと賜りたいという受け手の側の真摯な心の表れでもあるかと存じます。

ご本尊様をお祀りになられましたら、しっかりと礼拝(敬礼)致して、仏法を学び修して参りたいものとなります。

ご本尊様につきましては、菩提寺も無いようでしたら、一度、仏の教えを説いて頂ける師としての僧侶をまず探されるということからでも。

やはり直接に仏様から教えを賜ることができないこの現世においては、その法を確かに扱い実践している師となる先生がやはり必要となります。

師を探されることから、その師より、ご本尊様のことも具体的にご指導を受けられていかれると良いのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

邦元様
御回答ありがとうございます。
自分の拝む仏様はむしろ名がないほうが善いと感じました。
たとえば、山に登ったりしたら、みえる景色に「ありがたや」と拝み、
空手の稽古をしては、達成感やスゴワザを見た時に「ありがたや」と拝み、
道を歩いては何か発見しては「ありがたや」と拝めばいいんだと、
無宗派なりに考えました。
すこし、いいことに気が付きました。ありがとうございました。

吉田俊英様
御回答ありがとうございます。
考えようによっては、武道を通して、達磨大師様⇒お釈迦様へとつながるということもできるかもしれないわけですね。
仏壇やお軸の件もなかなか捨てがたいですが、
ひとまず「トレーニングしては拝み...」という段階を愚直に繰り返してみたいとも思っています。
ありがとうございました。

染川智勇様
御回答ありがとうございます。
そうですね。myほとけを捜すことのプロセスを楽しむという考え方もありましたね。

今日見つからなくても、明日見つからなくても焦らず、
新興宗教に騙されず、邪魔されず、myほとけを探してみます。
ありがとうございました。

川口英俊様
御回答ありがとうございます。
そうですね。
自分勝手に仏様を探して、拝んでいては、
独りよがりのインチキ宗教と変わらないということに気づきました。

空手も師範に学ばなければ、
ただのケンカの練習に過ぎないというのと同じで、
仏の道も正しい師に導いてもらわないと、
良い結果に結びつかないわけですね。

私は浅はかでした。それに気づきました。
ありがとうございました。

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