生きるために
はじめまして。
私は、どうも精神病のせいか、元々かはわかりませんが、すごく馬鹿です。
簡単な算数ができない。容量が悪い。教えてもらったことはすぐに忘れる。ちょっと前の事を忘れるのは当たり前。信じられないくらい不器用。
そんな私を、ある人は助けてくれています。私が一人前になれるように、今まで生きてきた環境や、親、親族の正体を教えてくれました。
さて、それから私は一人前になるために頑張っているのですが、
自分なりに考えて頑張っても、「本当に馬鹿だねえ」「つくづく馬鹿だね」と言われます。わかってても、言われるたびに悲しくなります。
生きて、楽しいことなんざ1つもない。友達なんてものもいない。辛くて苦しくて、本当に、死にたいくらい辛い。
けど、死なない。この世界に、魂が修行に来たって思っているから。ここで死んだら、修行を途中で投げ出すことって感じがして。あと、ちょっとの意地で。
どうしたら、生きることが楽しくなるでしょうか。名言や格言を調べながら、いつも考えています。
どうしたら、辛くても生きていきたいと強く思えるでしょうか。
まだ、私は楽しいと思えることを見つけられない…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思い考えの世界で生きることをやめてみましょう
はむさま
お話を伺っていますと、
「すごく馬鹿です」←これは人と比べて?人に言われたから?何をもって言ってらっしゃる?
こんなに文章が書けるではありませんか。そんなこと何の根拠もありませんよ。
「簡単な算数ができない。」←算数ができないと馬鹿ですか?計算機があればいいじゃないですか。
「教えてもらったことはすぐに忘れる。ちょっと前の事を忘れるのは当たり前。」←うらやましい限り。人は過去の記憶によって苦しみます。あの人にこんなことを言われた。苦手なあの人。前に失敗したからまた失敗するかも。・・・など様々な記憶が真実をすっきりとみえなくさせます。忘れっぽいということは、今目の前の真実がなんの曇りもなく見えるということ。後は思いを付け加えないことです。
私は容量が悪い、だの馬鹿だの、自分で何もないところに根拠の無い足し算をしてすっきり見えているものを曇らせているように思います。
「楽しいと思えつことを見つける」 というのは自分のほかに見つけるということでしょうか。カラオケで発散することでしょうか。友達を作り騒ぎまくるということでしょうか。
苦しみの無い真実は自分以外にありません。考え、思いは妄想として捉え、そのものそのまんまを見つめることが大切です。
人から「お前は馬鹿だ」と言われても、そこに二次的な意味を付け加えず、ただ声がぞんざいし、目の前に居る人が言っているだけ。「馬鹿」という言葉には何の良い悪いは付け足されてないはずです。
あなたの心の中で意味を付け加え苦しみとして捉えただけでしょう。
頭で考え物事をとらえる癖があることに気付き、只目の前のリアルのみを真理として受け入れていってください。きっと生きるのが辛くなくなるはずです。まずは思いをつけたしている自分に気付いてください。
酒井雄哉大阿闍梨も苦労なさいました
酒井雄哉大阿闍梨を知っていますか。千日回峰行を二度も満行した方として知られています。たいへんな尊敬を集めた人物でしたが、お坊さんになられる前はたいへん苦労なさいました。たとえば33歳で結婚なさった直後、奥さんが実家にお帰りになり連れ戻そうとなさったところ、自殺されてしまいました。よほど酒井(後の大阿闍梨)様がお厭だったのでしょう。
あなたの文面を額面どおりに受け取りますと、なかなか生きる道を見つけるのにご苦労なさると思います。実は私自身もそうでテキパキ動くとか、サッサとやるとかといったことが全くできません。では、時間がかかっても構わないからひとのできないことができるかというとそんなこともありません。だから、正直に申して自己嫌悪に陥るばかりでなくひと様にもご迷惑をおかけすることが多いのです。
だから偉そうなことは言えませんが、あなたにも必ずあなたが生きる道があると信じて、諦めずにその道を見つけてください。すぐには見つからないだろうし、失敗を繰り返すことになり、自己嫌悪と他人の蔑視に苦しむかもしれませんが、できることを探してください。私も「どんくさい」(関西弁で極端に要領の悪いさま)人間ですから、あなたの辛さは自分のこととしてよく分かります。できないことばかりだからこそ他人の痛みを理解できる資質をお互い身につけているのかもしれませんね。そういう自分を好きになってともに生きていきましょう。
馬鹿にされることはつらいことです
はむさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
はむさんは何かにつけて馬鹿にされるのですね。
人から馬鹿にされることは辛いものです。
弘法大師空海も、周りの人に理解されずに人知れず涙を流しました。
しかし、自分は馬鹿であるかどうかは分からないものです。
はむさんは、簡単な算数ができない、要領が悪いなど自分を責めておられますが、自分をいたわることができるのもはむさんしかいません。
世界に一人しかいないはむさんをいたわってあげてください。
質問者からのお礼
余計な意味を付けないことですか…気をつけてみます。ありがとうございます。
自分を好きになれるかな…。
こんな出来損ないでも、こうして共感してくれる人がいたのですね…
一緒に頑張って生きていこう…ありがとう…!
自分を労わるって思う時に、「果たして自分は自分には労わるほどの価値があるだろうか?」って思ってしまうのです。労わるほどの事もしてないくせに、って…
それでも、自分で大事にしないと、他人は大事にはしてくれないですからね。気をつけてみます。ありがとうございます。