hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

夢だったことを諦めること

回答数回答 5
有り難し有り難し 84

今やっている仕事を、やめようと思っています。

いくつかお訊ねしたいです。

まず、夢を諦めることは、負けや逃げなのでしょうか。
後悔するかどうかを見極める基準は、どこかにあるのでしょうか。あるとしたら、何でしょうか。

次に、私は、夢だったはずの今の業界に、夢だったポジションに身を起きながら(3年契約ですが)、今や完全に興味とやりがいを失ってしまっています。この道における自分の将来性も。
追い求めていたはずの夢が、急に姿を消してしまったような感じです。
こんなことがあるのでしょうか?
ただの逃げでしょうか。
やる気ややりがいがなくなることは人間ありますから、一時の気の迷いだと思って今まで奮い立たせてきましたが、ここ1年だけみても、1週間以上そんな気持ちが続くことがもう何度もあります。
自分のプライドが、今やっていることを「夢」だと信じ込ませている感じがしています。

また、自分の本当の願いを知る方法はありますか。

漠然として曖昧な質問で申し訳ありません。
よろしくお願いします。

2015年7月23日 20:22

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

TO BEではなくTO DOの夢を。

miさま

ご質問ありがとうございます。お気持ちよく分かります。
私も、夢を叶えてみると「こんなものか」となった時がありました。
その時に思いました。
夢というのは「過去に作り上げた自分像でもあるのだ」と。
そして、あることに気づきました。夢には2種類あると。
1つはTO BEの夢. 1つはTO DOの夢。

小さな頃に憧れた夢。
野球選手、医者、ダンサー、モデル、社長、お金持ち、ヒーロー…

青年期に憧れた夢。
コンサルタント、映画監督、音楽家、美容師、僧侶…

小さいころの夢は、TO BEの夢でしかない、ということです。
そして、遂に現実として叶えたその夢は、憧れとして抱いていた夢とは違うものであった。

抱いていた夢と現実が異なることは自明にも関わらず
抱いていた夢への思いが強すぎて、異なる現実をつきつけられた時に
一種のアイデンティティ・クライシスが発生してしまいます。

これは、誰にでも起こりうることなのかと思います。
特に血が滲むような努力をして叶えた夢や
自分がその道しかない!と追いかけ続けた夢は特に。

夢が現実になった瞬間は歓喜に包まれるもののその瞬間は、儚くともすぐに過ぎてしまうものなのでしょう。

その時に、一番重要なことは
TO BEの夢への執着を捨てて、TO DOの夢に切り替えることだと思います。

実はその夢は、スタート地点に立っただけなのかもしれません。
その夢であったポジションにおいて

誰に
何を
どのようにしたいか。

ここまで言語化出来て、本当の夢になるのだと思います。
そして、言語化出来るかどうかが夢を追い続けるか、違うものを追いかけるかの判断基準にもなると思います。

私は、下記の順序でした。

坊さん→素敵な坊さん→社会や世界のことをよく知っている坊さん→日本の和の仏教を世界に発信するグローバルな坊さん→グローバルな坊さんになり、日本の和の仏教を世界に発信したい→和を尊ぶ世界を作りたい

過去の夢に引きずられて、それを意固地になる必要は全くないです。

そのTO DOの夢が現在のやられていることと異なったら、それもまた人生。
追いかけた夢は、実は自分には合っていなかったということが分かった。
ということなのかと思います。挑戦したということが財産なのだと思います。

miさんが輝ける夢が見つかりますようにお祈りします!

2015年7月24日 3:19
{{count}}
有り難し
おきもち

比叡山延暦寺 行院にて満行。 天台宗 高龍山明王院普賢寺 僧侶。 一般...

元々無いものはいつでも描き直せる。

夢は、元々何も無いところに想像を膨らませて自分の道を作り、自分の道の到達点として目標を掲げて、その目標の完成図を「夢」という言葉で括っているだけに過ぎません。

目標は達成した時点で目標ではなくなります。
夢もまた、いまだ実現していない時に描いているものが夢であって、実現した時点で夢ではなくなります。

目指した完成図と違えば修正も必要かも知れませんが、
目標を完成したら、もうその設計図は必要ないのです。

夢とは、自分の欲望が目標とする虚像であって、実現してしまえば虚像ではなくなります。
人は、ここに無いものに夢を抱くのです。

仏教では、この世は全て妄想から生じていると教えます。
しかし、全て現実ではない妄想だとしても、考え方をはき違えると、自分が進歩するための目標すら描くことが出来なくなってしまいます。

一つの目指した完成図を諦めることを「夢を断念した」というのかも知れませんが、元から無いものに心を注ぐのですから、途中でやめても何も無くなりはしません。
無くなったと思うものは、その時の自分が描いていた完成図だけです。

でもそこには、それまで自分のやってきた「経験」というプロセスがしっかりあなたの中に残っています。

一つの完成図が無くなっても、形を変えて違う完成図を描けば良いだけのこと。

今まで培ってきたプロセスで、人はまた新しい設計図を描くことが出来るのです。

自分の描いたものは、自分で如何ようにでも修正できます。

後悔するかどうかは、その時その時にかける自分の情熱が自分の満足出来るものだったかどうかで決まります。

新しい完成図を描いて、今から真剣に設計図を準備したら良いのではないでしょうか?

2015年7月24日 19:52
{{count}}
有り難し
おきもち

日蓮宗。倉敷市受法寺住職・岡山市妙立寺兼務住職 1965年生。坊主歴35...

夢は必要でしょうか

miさま

「まず、夢を諦めることは、負けや逃げなのでしょうか。
後悔するかどうかを見極める基準は、どこかにあるのでしょうか。あるとしたら、何でしょうか。」とのご質問ですが、そもそも夢ってなんでしょうか。世の中では夢を持て夢を持てと言っていますが、これは、どういうことなのでしょう。生きることに対して消極的な人に対し言っている極端なことのように思います。

私たちは、夢は持っていなくても間違いなく生かされています。
この仕事をやりたいやりたくないなどという気持ちは、単なる気持ちにすりません。欲望かもしれません。欲望が悪いと言っているのではないのです。欲望は満たされると、またほかの方向に向きます。やりたい仕事に就いた。しかし、やる気が出ない。不満があるわけではない。という感覚は、もしかすると今までやりたいと思っていた欲望が満たされたからさらに刺激のあることを求めているのかもしれません。

あまり気持ちに振り回されないようにしてください。気持ちは次から次へと出てきては消えていきます。考えの世界では答えは出ません。いくら考えても、損得や、プライド、こうあるべき、といった後から付け加えた気持ちに振り回されるだけです。

続けられる仕事かどうか、現実を見つめてみてください。後から付け加えた考えで見るのではなく、現実の仕事を。ついて行きたい上司がいる。とか仕事内容に共感する部分が多い。など・・・そして、続けられないともし思ったら違う道を選べばいいじゃないですか。
「人生こうでなくてはいけない」「こうあるべき」なんてことは一つもないと思います。

夢もなくてもいい。ただ、自分が悩みもなく続けられる仕事かどうかということです。

2015年7月23日 21:56
{{count}}
有り難し
おきもち

遠い夢 から 実現可能な目標 に シフトチェンジ

夢という言葉で考えるからいけないのかもしれません。
夢という言葉でそれを取り扱っているから「夢から覚めない」のかもしれません。
手が届かないからこそ の「夢」
叶えてこその「夢」
夢は実現する ーーー 成功者たちだけがこの言葉を独り言のように口にします。
みんな成功者になったら世界はどうなるのでしょうね。
夢は実現するもの?自動でなるもの?させるべきもの?(^

2015年7月25日 4:09
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

一切は「如幻」・「如夢」である

mi様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「夢」や「理想」にしても、「実際」や「現実」にしても、「実現」という「結果」のためには、因縁(原因と条件)が必ず必要となります。

何事においても「結果」へと向けた「因縁」というものがあって、その中で、自分の思い通りの結果となっていれば、それはそれで自分の「夢」として叶うこと、叶ったとなり、満足できるのでしょうが、しかし、いつまでも思い通りの因縁を調えられて、思い通りの結果を継続し続けることは、実はかなり難しいものがございます。

特に、欲や渇愛、執着などによる煩悩、あるいは無明(根本的な無知)により、「現実」という結果が受け入れられなくなればなるほどに、不満やストレスを抱えて苦しむことになってしまいかねなくなります。

また、因縁に関して、自分だけで調えられることには、かなりの限界がございます。そのため、周りの多くの皆様による支えや助け、励まし等、周りの環境・状況も相当に必要となり、また左右されることになります。

何事も多くの支えや助けがなければ成り立たないことを仏教的には「縁起」と言いますが、それは端的に述べますと、全てのモノ・コトは、他に依存することによって成り立っているということになります。

仕事を辞めるにせよ、夢を諦めるにせよ、後悔するかどうかにせよ、独り善がりとならず、自己満足に陥らず、一度、ご自身の周りの現状を冷静になって見られて、周りによるこれまでの支えや助け、そして、それらへの配慮、感謝や報恩の思い等も勘案した上で、ご自身の思われる結果へと向けた因縁が、ご自身の状態と周りの状態からもそれなりに調えられそうであるとなれば、継続されてみられる、もし調えられそうでないならば、少し周りとの関係を再構築されてみられる、その中で辞める、諦める、勇退するというのも選択肢としてはあり得て良いのではないだろうかと存じます。

最後に、「追い求めていたはずの夢が、急に姿を消してしまったような感じです」・・このことは、ある意味で真実です。一切は「如幻」・「如夢」であると仏教において表現することがございます。

この理解のためには、仏教における「空」と「縁起」の教えをある程度学ぶことが必要となります。また是非ご興味がございましたら仏教を学び進めて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

2015年8月19日 5:50
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

>円通寺 邦元様
早速のご回答ありがとうございます。とても参考になります。
たしかに欲望はある程度満たされてしまいました。もうたくさんだ、という気持ちもあります。

一つ疑問なのですが、「気持ちは次から次へと出てきては消えて」いくのであれば、どのようにして選択をおこなっていけばいいのでしょうか…。

おそらく今の仕事はやめます。
「続けられる心の状態」よりもストレスや辛さ、それらを引き起こす悩みの方が相当大きくなってしまっているから、というのが理由の一つです。

またいろいろと考えすぎてしまいました。何も考えずに生きていけたらいいのですが。

>普賢寺 小野常寛様
ご回答ありがとうございます。
身バレを恐れたあまり具体的に書けなかったのですが、「何をどうしたいか」は明確にしていたつもりでした。だから今のポジションにつけたはずだと思うのです。「夢であったポジション」ではなく「夢の実現につながるポジション」というのが正確でしたすみません。
挑戦した過程が無駄にならないことを祈ります。ご回答ありがとうございました。

>受法寺 小原観慈様
ご回答ありがとうございました。大変救われました。
一度捨てた完成図は、もう二度と取り戻せませんが、そこで得た経験までも失わないように、また新たな完成図を作って一歩ずつ進んでいこうと思います。
しかし、結局夢も希望も人間の妄想なら、生きるというのは何とも儚いものですね…。

>安穏寺 (天岑寺) 丹下 覚元様
ご回答ありがとうございました。
言葉足らずでした、すみません。数々の実現可能な目標のかたまりが、夢だと私はとらえております。夢というから誤解を生むのかもしれません。「より大きな目標の実現」のために、どうすればいいかはわかっていたつもりでした。だから今のポジションにもつけていますし、今のポジションにおいて、やっていかくべきこともわかっているつもりです。
しかし、本当にその先にたどり着きたいのか、というのがわからなくなってしまったので質問させていただきました。わかりにくくてすみませんでした。

ごめんなさい、私が「建設的」でなく、努力もしておらず、コツコツと行動を重ねることもせず、ただ「夢をみて」時間を無駄にしてきた人間だと言われているようでショックでした。私の手にしたポジションは空から降ってきたわけではありません。
誤解していたらすみません。

「目標・夢を叶えたい」問答一覧

夢との向き合い方

僕は現在27歳です。 僕は子どもの時に漫画家に憧れていました。子どもの頃は絵や漫画を描くことが好きで楽しく描いていたのですが、年を経るごとに絵を描くことが億劫になり、目標もなくダラダラとネットを眺めるだけの日々を繰り返してきました。それでも漫画家への憧れだけは残っていて何の努力もしない自分に苛立ちが募るばかりでした。 高校三年生の時に進路を決める時に最初は漫画の専門学校を志望していましたが、周囲に反対され、また僕自身の気持ちも冷めていたのもあって、漫画は趣味に留めておくことにして医療系の大学に進学しました。 大学に進学しても状況は変わらず、漫画家への憧れを抱きながらダラダラとネットを眺めるばかりで、勉強にも身が入らず単位もいくつか落として卒業も危うい状態でした。それでも何とか卒業して国家試験にも合格して資格を取得して、個人経営の医院に就職しました。 就職した医院は自分の時間が取りやすく、学生時代のように課題などもなかったため最初のうちは漫画や絵を描いていたのですが、その内またダラダラとネットを眺める日々になってしまいました。そして、就職して二年ほどで職場の人間関係が原因で退職して、実家に帰りました。 再就職した病院では仕事をしながら看護学校に通って准看護師の資格を取るのを条件で就職したのですが、自分の時間が取れなくなることが嫌で看護学校の話を断りました。 現在は病院の系列の介護施設で介護を仕事をしています。そして最近になってようやく絵や漫画を描く楽しさを思い出し、少しずつですが描けるようになりました。しかし、気がつけば27歳になり夢をみてばかりではいられない年齢となってしまいました。 親にも資格の勉強をするように勧められ、友人も今後のことで悩んでいる姿を見ると、本当に夢を諦めなければならない時が来たのだなと感じました。 しかし、どこかで諦めきれない気持ちもあって僕自身も自分がどうしたいのかわからなくなってしまいました。 「現実を見なければならないのはわかっているけど、漫画や絵は描き続けたい、漫画家の夢も諦めたくない」 こんな気持ちが毎日胸の中でモヤモヤとしています。 僕はこの気持ちとどうやって付き合っていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

夢へ死ぬ気で向き合えてない自分の弱さ

自分には夢があります。高校3年の時に役者を目指そうと決めてから高校卒業後、専門校に2年通い今年の四月に上京しました。 ここの生活にも慣れてきて仕事も少し頂き、さあこれからだって時に自分の中で「役者になる」という思いが「まあなれるでしょ。」になってしまい、何をやるにも演じるにも「こうやれば良くない?」「これでいいや」とセンス任せの傲慢な奢りたかぶった人間になって、やりたいことが見えなくなりました。 そんな生活を送っていた時、寺の娘の友達に一喝され「お前は1度お寺の方に説教された方がいい。」と言われました。ですが、どこで説教をして貰えるのか、いくらかかるのか等色々分からないことが多く、たまたま見つけたこのサイトを使わせていだこうと思った所存です。 今は少しずつ前を向いて、真摯に取り組もうという意識は働いているのですが、行動する前に「このまんまでいいや」「俺の方がうまい」「なんでこんなことしてるんだろ」「今度行けば良くない?」と、心の中の悪い自分が言ってくるのです。これをどう払拭したらいいのかわからず、受け入れたとして、取り込まれてしまうのが怖いのです。目指してる夢が直ぐに叶うような物でもないし、叶うとしてもひと握りで狭き門です。 けど、それに対して自分が「この夢を叶えられないなら自分の存在理由が、生きる意味がないんだ。夢が目標に変わった今俺は役者になるんだ」と思って上京した時の想いや熱意が薄れていっていて演劇を見ても映画を見てもどうしても熱くなれる自信がなく、今の自分が葛藤の中にいて、突破口を探してるのに見つからず、光が見えない中どうにか走ろう前かはわからないけど進んでみよう。と、空回りしながら生きています。 長文の相談になってしまい、申し訳なさで一杯です。ですが、ここで少しでも何か学べるか、一喝して頂ければ自分の中で何か晴れる気がします。 恐縮ですが、こんな自分のくだらない相談に回答して頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

自分の中で、夢が揺らいでしまった。

初めて相談させて頂きます。 自分の将来の夢について話します。 些細な事かもしれませんが、見て頂ければ幸いです。 自分の将来の夢はYoutuberになることで、やはりまだまだ世間には浸透していない職業であるため、自分でもリスキーな道だとは思っていますが、自分の作ったコンテンツで他の人が笑顔になってくれるのを思い浮かべると、心からワクワクして止まなかったのです。 しかし、その事を母親に伝えると 「あなたは目立ちたいだけなのではないか?」と言われ、心の中で認めたくは無かった核心を突かれ、放心してしまいました。 そして、その時気づきました。私は確かに心の何処かでYoutuberという職業が、他人からちやほやされるから良いという側面で見ていた自分を、他の人を喜ばせるという真っ当な理由を立てて隠していたのかもしれないと。 そして、私は今、こんな自分の事しか考えていない人間が、他の人のために何かを作ったところで結局は自分の名声や賞賛のために行動してしまっているんだ、心から人を喜ばす気なんて自分には無かったのかと思ってしまい、こんな人間はエンターテイナーになる資格なんて無いのではないかと、ずっと心がもやもやしています。 長い間掲げていた夢が、自分の中で揺らいでいます。 自分の夢に対して、どんな風に向き合ってゆくべきでしょうか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

努力は才能に届きますか

自分の力の無さに絶望しています。 人にはそれぞれ長所や得意な事とかがあって、見ていると「この人はここがすごいなあ」という所が少なくとも1つはあります。 ですが、自分にはそれを見つけられず、何を努力しても人よりも進みが遅く、私には才能というものが欠片もないです。もちろん、成功している方が努力をしていないとは思っていないのですが、努力をして、それが実際に実るだけの才能はあるんだろうな…と思っています。 私は昔から何を何年頑張っても報われず、後から始めた人にどんどん追い抜かれていってしまいます。でも、たったひとつ、絵を描く事だけはずっとずっと大好きで、それだけは絶対に諦めたくなくて絵を描き始めてから14年間、絵だけに夢を追いかけて生きてきました。変にプライドが高いので、一番好きな事でだけは誰にも負けたくなくて、頑張っていればいつか、才能がある人にも届くと信じていました。だけど、やっぱり才能がないのとあるのって差が大きいのかな…と思ってしまいます。一年前から描き始めた子、描き始めて数ヶ月の子、皆どんどん上手になって、その才能に呆然としてしまいます。私の十数年は他の子にとってはたったの一年、一年だってない時だってある。このまま描いても上手くならないかもしれない、何も出来ないのにたったひとつの大好きな事ですら出来なくて、悔しい、苦しいという気持ちで潰れてしまいそうです。好きな事だから、やっても無駄だなんて思いたくないし認めたくないけどやっぱり、何も出来ない人間は何しても無駄なのでしょうか。死んでも諦めたくない、好きな事で一番になりたい、絶対に叶えたいという気持ちと私は一生出来ないのかもしれないという不安に挟まれて苦しいです。諦めなかったらいつか報われますか?私はこの道を志してもいいんでしょうか?もし、これもダメだとして、それなら何も出来ない私は生きている意味はあるのでしょうか? 初の質問なので読みづらい所や、理解のできない箇所があったら申し訳ないです…。 長文乱文失礼致しました。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る