僧侶のいじめ
私は、高校一年生の時に、パーキンソン病を発症しました。
当時の同級生から、かなり私の身体障碍のモノマネをされてきましたが、その私の身体障碍のモノマネをやって楽しんできたヤカラの中に、後に仏教僧になった輩がいます。
その者は、よく私に
「いじめを受けるやつが悪い」
といいました。
こいつは、後に仏教系の大学に進学し、卒業後親の経営する寺の副住職をやっており、檀家・信者に仏陀の御教えを公然と説いています。
こいつは、裁判所の調停委員やPTAの会長もやっています。
質問ですが、こんな身体障碍者のモノマネをやって楽しんでいたヤカラが、仏陀の御教えを説いていることを、仏陀はどう御覧になっているのでしょうか?
私が、こいつから身体障碍のモノマネをされ続けたのは、「仏罰」なんでしょうか?
是非御回答をお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思い出してまで嫌な思いをしないで
嫌な思いをされましたね。
その当時のことを思い出して腹が立っているのでしょう。
僧侶にも色んな人がいることは確かです。
40代のあなたが高校時代という事は,それから少なくとも20年以上経過しています。
いじめをしていたり、不良だったりした人は沢山いるとは思いますが、20年以上も経過して、今でもそのままのいじめっ子や不良だったとしたら、正直言って全く成長していない子供としか言えません。
人はどういう形であっても必ず成長します。
高校時代に不良だった人が教師になっていたり、警察官になっていたり、ボランティア活動をしていたり、そんな人も沢山います。
もちろん僧侶の中にもいます。
もしかしたら、その僧侶は、あなたをいじめていたことを今では反省しているかも知れませんし、その反省が今の彼をつくった材料にもなっているかも知れません。
あなたからすると腹の立つこととは思いますが、一度その僧侶とお話しされてみては如何でしょうか?
その頃のまま僧侶の仮面をかぶっているということもあるのかも知れませんが、もしかしたら、その頃とは全く違う人格者に成長しているのかも知れませんよ。
でも、人には色んな人間関係がありますから、好きになれない人がいても当然です。
その彼のことが好きになれないなら、そんな嫌いな奴のことを考えている分だけ、あなたの貴重な時間が無駄になってしまいますから、そっちの方が心配です。
嫌いな奴のために時間をさくなんて、もったいないとは思いませんか?
そんな奴のことは放っておいて、あなたはあなたの時間をもっと大切に使って下さいね。
自分の為にも相手を赦す
私も人生の中で沢山の人に可愛がられて(イジメられて)きました。
ある時、ずっと一人の人間の事を怨み続けていたのですね。
そうすると、どういうわけかこちらが苦しいのです。
悪いのは相手であるはずなのに、こちらが苦しいし怒りの精神状態ですから失敗ばかりする。
「これは良くない」と、諺にも「人を呪わば穴二つ」「人を呪わばアナもエルサも姉妹ゲンカ」(ナンダソリャ)と言いますから、相手を憎むことはやめました。
しかし、どうしても相手がした事が赦せないと思う気持ちを静めるには、その人を嫌いになる15秒前に帰る必要がありました。
私はタイムマシンに乗って(妄想)、その相手を嫌いになる瞬間の自分を見つめました。
そこで、感じた事は、相手がどんなにひどい言葉を言った、傷付けたにせよ、精神面で傷つくのは自分自身であったということに目覚める事が出来ました。
何故なら2000人が同時に同じ1つの体験をしても、まるで心が傷つかない子もいるのです。これはどうしてだろう?不思議にしました。
「ああ、私がその事をっ頃で過剰にピックアップして、身の危険から最大悪のレッテルを貼ったのだ」と自覚しました。つまり、出来事には罪はない。思い方によって罪が発生する、ということです。
極端な例でも、我が子を殺されて裁判にする人もしない人もいます。
大檀家さんがこう語っていました。
「オラがあってきた人間で怒りを強く持ってる人間はみんな早死にしただ。仏教の言ってることは本当だ。」と。
私は、自分の精神衛生上の為にも憎んでいた相手を赦しました。
誰もがお互い、発展途上、未完成、未熟な人間性なのです。
バカをやって、バカをやりあって、はじめて気づくこともあります。
人類全体の人間性向上のためにも、相手を赦すことは、世界平和に貢献することにつながります。
相手を憎む、その気持ちは、自分の心の中にくすぶる炎です。
その炎を増大させれば、一番身を焦がされるのは自分自身なのです。
手塚治虫のブッダに「本当の敵は自分自身の心なのだよ」というセリフが今も胸に突き刺さります。
仏教を学ぶ前と後 追記7月27日
高校時代の話と現在の彼とが同じ人格でまったく成長していない、とは思えません。
また、仏教を学ぶ前と後とでは、ものの考え方が大きく変わります。
たとえば医者や弁護士だって、高校生のときは医学や法律の知識はなかったでしょう。
追記7・27
障害は「仏罰」ではなく自然現象ではないでしょうか。
人間には病気や障害がつきもの。
それでも生きていたい、という執着、渇愛があるかぎり、苦しみまみれの輪廻をくりかえしてしまいます。
そういう意味では、自分自身に生命への執着があるから、障害のリスクがあっても生きていたいという業があり、その報い(自分の執着の報い)で苦しみの人生から抜けられないのです。
べつにあなたを責めているのではなく、生きものが皆そうなのです。
あと、障害は、肉体的能力の話ですよね。で、いじめは、精神的能力の話(いじめる奴は精神的能力が低い)です。
他人の能力の低さをとやかく言っているという点では、あなたもいじめをした輩に共通しています。
他人をいじめる程度の精神能力しかないのは哀れ。仏教で精神能力が上がれば、いじめはしなくなる。
質問者からのお礼
小原観慈師、本当にありがとうございました。
この「相談」を、これまで何度かいろんな仏教僧にしましたが、貴師だけが真剣に御回答してくださいました。
初め仏教・仏陀なんか「ふぁっきゅ~!」と思っていましたが、貴師のおかげで、仏道に戻れそうです。
毎日、こいつは学校で私と顔を合わせるたびに「チック チック w」とニヤニヤしながら私の身体障碍のモノマネをやって楽しんできたので、「坊主憎ければ・・・」で、仏陀も憎んでいました。
ここに相談をさせていただいて正解でした!
これも仏陀の御導きなんでしょうか。
願誉浄史師、有難うございました。
このヤカラが、まともな僧侶であってほしいものです。
御二方、どうも有難うございました。
*事務局より
お礼の中に一般向け利用規約第7条に該当する部分がありました。その方が立派に成長されたことを信じて、一部削除させて頂きました。
丹下覚元師
御指導ありがとうございました。
貴師の御助言は、しっかり私の脳みそに叩き込みます。
ただ、貴師に一言「口答え」させてください。
たとえ私が心の狭いヤカラといえども、30年も前のことを引きずることの醜さ・愚かさは、少しは理解しております。
ただ、身体障碍者のモノマネをやって楽しんできたヤカラどもが、普通のサラリーマンや自営業者や企業経営者とか農民や職人とかだったら、もう昔のことで流せます。
しかし、身体障碍者のモノマネをして楽しんできたクズ・ゴミどもが、宗教家・教育者・政治家・法律家とか担って、正義や人道とかを公然と厚顔無恥にも口にしていることが許せなかったのです!
この相談の仏教僧は、身体障碍者のモノマネという煩人道・反社会正義的なことを「チック チック w」とニヤニヤしながらやって楽しんできて、どのツラ下げて、仏陀の御教えを門徒に語っているのか、どのツラで裁判所の調停委員やPTA 会長ができるのかと思うと、はらわたが煮えくり返ってくるのです。
しかし、貴師をはじめ、三名様の師各位の御指導で、吹っ切れました!
もう憎しみの業火は、仏陀と貴師の下さった「消防車」で消火します!
ありがとうございました!
丹下覚元師
御指導ありがとうございました。
貴師の御助言は、しっかり私の脳みそに叩き込みます。
ただ、貴師に一言「口答え」させてください。
たとえ私が心の狭いヤカラといえども、30年も前のことを引きずることの醜さ・愚かさは、少しは理解しております。
ただ、身体障碍者のモノマネをやって楽しんできたヤカラどもが、普通のサラリーマンや自営業者や企業経営者とか農民や職人とかだったら、もう昔のことで流せます。
しかし、身体障碍者のモノマネをして楽しんできたクズ・ゴミどもが、宗教家・教育者・政治家・法律家とか担って、正義や人道とかを公然と厚顔無恥にも口にしていることが許せなかったのです!
この相談の仏教僧は、身体障碍者のモノマネという煩人道・反社会正義的なことを「チック チック w」とニヤニヤしながらやって楽しんできて、どのツラ下げて、仏陀の御教えを門徒に語っているのか、どのツラで裁判所の調停委員やPTA 会長ができるのかと思うと、はらわたが煮えくり返ってくるのです。
しかし、貴師をはじめ、三名様の師各位の御指導で、吹っ切れました!
もう憎しみの業火は、仏陀と貴師の下さった「消防車」で消火します!
ありがとうございました!