幸せになりたくない、死にたい
人に迷惑をかけてしまいました。
相手は大丈夫と言いましたが、避けられるようになりました。
最近自己嫌悪が激しく、人様にまで迷惑をかけてしまったら、幸せになってはいけない、なりたくないと考えてしまいます。
幸せになるのが申し訳ない気持ちです。
今までの私は世間知らずで、自己中心的で、悪いことを悪いと気付きもせずに、きっと色んな人に嫌な思いをさせてきたと思います。
今の苦しみは、何も考えずに生きてきた、その罰なのかなとも思います。
思い返せば、自分のことしか考えずに生きていた時は、幸せに向かって前向きに生きていました。
幸せになるには、他者のことは切り捨てるしかないのでしょうか?
だったら幸せになりたくない、幸せに向かって生きていけないのなら、やはりもう死んでしまいたいと思います。
今はただ苦しいです。楽になりたいです。
苦しみから逃げたいだけなのかもしれません。
弱い人間です。
これからどうしたらいいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一事は一事でしかないのです
こんばんは、初めまして。今までの問答も読ませていただきました。最初の、7ヶ月前でしょうか、その問いから、貴女ご自身も読み返してみることを、まずはお勧めします。
というのは、人間は忘れてしまうのですよ、以前どんなに本気で思っていたことでも。有り難くも困った習性です。ですから、文字に残っているものを、時々読み返してみると、忘れていたものを思い出す。消えてしまった訳ではないのです、忘れていただけ。
さて、世の中では「一事が万事」という言葉がありますが、これ、間違っていると思いますね。一事は一事、全てのことは前にも後にもない、ただ一回しか起こらない、「一期一会」なのだと思うのです。
貴女の問いを要約すると、「人に迷惑をかけてしまった。だから死にたい」。迷惑をかけたのは真実なのでしょう。けれど、それで「死にたい」という結論に至る。しかも実際死んでいない。これは、どこか間違えていると感じませんか?
「人様に迷惑をかけてしまったら…」ということを恐れていますが、「人に迷惑をかけずに生きる」という主張の、何と傲慢なことか。「人様」って誰以外ですか?家族や彼氏以外ですか?家族や彼氏なら迷惑かけてもいいのですか?
…はい、そう考えるなら「死にたくなった」に至るのは分からないでもありません。けど、ここで疑いましょう。「何か出発点を間違えているのではないか?」と。
人は、周りに迷惑かけずに生きていけないのです。貴女が彼氏に、家族が貴女に。関係があるというのは、即ち迷惑をかけ、かけられる関係であるといっても良いほどです。
どうですか、今までほんの一欠片ほどの迷惑をかけなかった相手なんていないでしょう?何の迷惑も被らなかった相手なんていないでしょう。それを忘れていただけで。
ですからね、出発点を少し修正しましょう。「なるべく迷惑をかけないようにする」って。シンプルな言葉を後生大事にするよりも、現実に即した言葉を頼りにしましょうよ。
そして、迷惑をかけたと知ったら、キチンと謝るというフォローをしましょう。感謝する、忘れないというフォローをしましょう。それがなくては生きて行けないのです、我々は。
他者を切り捨てて幸せになる道はありません
haluさん
人に迷惑をかけながら生きているということ、自己中心的であるということ、そして弱い人間であること。それを自覚したところからが人としての本当のスタートではないかと思います。
人に迷惑をかけていることをほんとうに自覚したとき自分が許されていることに気づきます。そして人への思いやりを学びます。自己中心的であることをほんとうに自覚したとき人を許すことができるようになります。そして謙虚さを身につけます。自分の弱さをほんとうに自覚したとき人と互いに助けあうことができるようになります。
人間としての幸せとは他者の幸せを願えることです。そこに喜びを感じることです。自分のことしか考えずに生きていた時は、幸せに向かって前向きに生きていたように思えるかもしれませんが、それはただ未熟だったからです。他者のことを切り捨てて幸せになる道などありません。
あなたがほんとうに自分の弱さを自覚したのであるなら、他の人の苦しみも見えるはずです。
自己嫌悪と自己憐憫は違います。
今までの自分の行動の未熟さを自覚したのなら、それが罰だとほんとうに思うのなら、逃げるのではなく、他の人も苦しんでいることに気づいて下さい。そしてあなたにできることをするために歩きはじめてください。仙如
幸せを感じる時!
haluさん相談ありがとうございます。
迷惑をかけても、しっかりと、真摯に謝罪したのなら、そこで学んだことを
次にいかせばいいのです。
きになるのは
「自分のことしか考えずに生きていた時は、幸せに向かって前向きに生きていました。」
これは本当かな?と思います。
頑張って、一生懸命生きていることを認めますよ(^O^)/
でも、自分の事しか考えないで、幸せに向かえたのかな?疑問です。
これは、独りよがり、とか、一人で有頂天に成ることで
それが終わると苦しみが始まりますから、幸せに向かっているとは言い難いですよ(^^ゞ
ですから「幸せになるには、他者のことは切り捨てるしかないのでしょうか?」と
考えるのではなくて
「他者の幸せを考えると自分が幸せになる」という事を考えればいいと思います。
よーく思い返してください。これまで生きてきた中で
誰かと一緒に、何かを成し遂げた!とか
クラブでも勉強でも、ゲームでも何でもいいですから、協力して、達成した
ということは無いですか?
そこに、充実感、幸せを感じていきましょうという事です。
人間は一人では生きていけません。
生まれたての時は、お母さんとかの手を借りないとお乳を飲めませんし、
大きくなるまで色んな人の手を借りて生きているのです
お乳を与えるお母さんは、赤ちゃんが力いっぱい、しっかり自分のお乳を飲むのを見ると
幸せを感じるといいます。
お母さんと赤ちゃんが協力して二人ともが幸せを感じる瞬間です
ですから本来、一人で幸せは、ありえないのです。
人間は他者との協力に、本当の幸せを感じるようにできているのです。
宗教者ではありませんが、最近流行のアドラー心理学では
「自分が好き。他人が信頼できる。そして何か貢献できている」
と感じる時、人は幸せだと、言っています。
どうぞ、周りの人を沢山巻き込んで、幸せになっていきましょう!!
コツは、ダメ出しではなく、自分に良い出し、他人良い出し!!です
自分の良いところを見る、(欠点も認める、受け入れる。)
他人の長所を探す。そして笑顔で応対する。
というところでしょうか!
完璧な人間なんていません。失敗は誰でもあります。笑顔を出していきましょう
\(^o^)/
大切な人生ですから
拝読させて頂きました。人を傷つけてしまい大変自己嫌悪なさっておられることを読ませて頂きました。
そう思うと本当に自分は生きていていいのだろうか、生きる価値さえないのではないかと感じてしまうこともあるかと思います。あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
なるほど、そう思うことも間違いではありません。ただ私達はその様な愚かな行いや罪を犯しながら生きていることも確かです。
であるならば罪深い己れを反省して懺悔して少しでも愚かな行いをなさない様にと心がけることを学ぶことはとても大切なことかと思います。
誰しもが経験しなければ人の心の痛みはわかりません。そのことをしっかりと我が身のこととして捉えなければ本当の成長はありません。
世の中を見渡すと本当に我欲による愚かな行いや罪深いことが蔓延しております。
少しでもその様な愚かな行いがなくなる様にと我が身も心がけて学び活動していくことが大切なのではないでしょうか。
私達はたくさんの方々から支えられて生きております。そのご恩に報いながら少しでも皆さんが生きやすい社会や世界を作っていくことが私達に与えられた使命かと思います。
あなたがこれからの人生においてたくさんの方々とお互いを尊重しあいながら皆さんとお互い助け合い、価値ある毎日を過ごして頂きます様にと心からお祈り申し上げます。
大切な人生ですからあきらめないでくださいね。
あなたを応援していますね!あきらめないでください。